朴勝俊 Park SeungJoonのブログ

反緊縮経済・環境経済・政策に関する雑文 

太政官札の発行・流通・廃止の経緯 『明治財政史 12巻 通貨(2)、銀行(1)』から学ぶ

2020.6.24

解説・要約:朴勝俊

f:id:ParkSeungJoon:20200714142138j:plain

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11895319

 

■ 解説

 太政官札(だじょうかんさつ)は明治元年(1868年)に、新政府によって発行された政府紙幣です(ちなみに太政官は現在の総理大臣に相当する役職です)。それまでの小判とは異なる紙切れであって、政府は金などとの交換(兌換)を約束することで、その価値を保証していたわけではありません。そのため現在では、すぐに政府が太政官札を乱発して、ひどいインフレを引き起こしたと、つまり太政官札は失敗の歴史だと信じている人が少なくありません。

 しかし実際には、西南戦争が起こる明治11年頃までは物価は安定し、むしろ下落傾向にあったことが知られています。戊辰戦争(1868年1月~5月)のあとは若干の物価上昇が見られたものの、明治10年の物価水準は明治元年よりも8%低く、その前年の慶応3年(1867年)に比べると18%も低かったということです。新政府が、慶応3年末から明治2年9月にかけて行った財政支出は、戊辰戦争の戦費も含む5129万円でしたが、そのうち実に4800万円を「太政官札」の発行でまかなっていました(丹羽2005;廣宮2013、pp.95-96)。

 常識的に考えると、こんなことをすると激しいインフレにつながると想像されますが、どうして物価が安定していたのでしょうか。

 昨年あたりから日本で広く知られるようになった現代貨幣理論(MMT)では、「租税が貨幣を動かす」ということが言われます。紙幣であっても、その貨幣単位(当時は両)で税額を定め、その紙幣で税を納めるようにさせれば、人々は紙幣が必要になり、その流通が促進され、価値が保たれる、ということです。そこで筆者(朴)は、明治政府発足当時の税制を調べると、太政官札が流通するようになった経緯が明らかになると考え、1905年にまとめられた『明治財政史 12巻』(明治財政史編纂会編 1905)を紐解きました。

 その結果、明らかになったのは、どうも「税さえ課せば貨幣が簡単に流通する」というような話ではなさそうだ、ということです。紙幣を金と交換する者を処罰したり、小判の使用を禁じたり、地方政府に金と引き換えに紙幣を受け入れさせたり、色々なことが行われました。しかし明治2年5月ごろには、早くも太政官札の廃止が予定され、発行高も3250万両に制限されることとなりました。

 1871年明治4年)には金の裏付けのある新紙幣との交換が始まり(新貨条例)、政府紙幣は1879年(明治12年)ごろまでかかって回収されていきます。1873年明治6年)の地租改正で、日本も本格的な徴税システムを導入するのですが、それよりも早くに、廃止されることとなったのです。

 以下の資料では明治元年~2年に関する記述の要点を、現代文で読みやすく記しました(厳密な現代語訳ではありません、原典は財務総合政策研究所のHPで読むことができます)。この資料を見ていただけると、新政府の人たちが新貨幣を流通させるためにいかに苦労し、課税でだけでなく、いかに様々な策を凝らしたがよく分かるのではないかと思います。貨幣論を研究する方々にも、最近になってこの分野に興味をもつようになった方々にも、お役立ていただけたら幸いです。

 

■ 資料:『明治財政史 12巻 通貨(2)、銀行(1)』(pp.14-22)

明治元年(1868年)

[明治元年2月の]発行後、金札(太政官札)に慣れないのと、政府の信用が固くないことで、流通は困難となり、価値は正貨(小判等)に比べて著しく低かった(三都でも金札100両=正貨40両)。

6月20日、政府は打歩引換(金札を割り引いて正貨と引き換えること)を厳禁した。それでも効果はなかった。

9月23日の布告で、租税その他、一切の諸上納に金札を用いることを命じた。それでも十分な効果はなかった(これは、少しは効果があったという意味か)。その後もいろんな方策をとったが、金札は正貨より2割ほど安かったという。いろんな方策とは、禁令者の処罰等である。

12月4日の御沙汰では、金札の時価通用を認めた。
12月24日の御沙汰では、諸上納は物納・金納をすべて金札で、時価で収めさせることとした(金100両=札120両)。

それでも、人々は金札を忌避し、禁令・勅諭が出るごとに拒否感を募らせたため、政府は政略を一変することとした。

 

明治2年

2月3日の布告で、金札に関する禁令に違反して投獄されたものを特赦した。

さて、当時流通していた正貨は、幕府末期の小判等であったので、粗悪であった。2月5日の決議で、太政官の中に造幣局を設置し、東京の金座・銀座を廃止し、自ら貨幣改鋳に乗り出すことと、政府のあらゆる支払は正貨ではなく金札で行うことを決めた(外国人に対するものだけは例外)。官吏の給与や物品の代価もすべて平均相場で、金札で支払うこととした。全国の府・藩・県に対しても、金札を正貨に換えて支出することを禁じた。

しかし、全国の金札流通量が急に増えたため、金札価格は激変を起こし、商家の破産・閉店が増えた。官吏も金札を両替店で正貨に換える有様であった。

4月8日の御沙汰では、政府は商品の売買に正貨の使用を禁止した。それでも、金札の価格回復と流通円滑化の効果はなかった。

4月29日の布告で、政府は金札の通用年限を改訂し、新貨幣が鋳造されればそれと交換することとして、それまでは金札と正貨は同じ価値で通用するよう命じた。断固として、金札相場を廃止するとしたのである。この布告により、5月2日からは金札と正金の引換を禁止し、租税その他の上納のうち、金納されていたものは全て金札を用いるようにさせた。

5月28日の布告では、金札の発行高を3250万両に制限することとして、製造機械を廃棄すると宣言した。また、この年の冬から明治5年まで、金札を新貨幣に兌換し、兌換できなかった金札は、1月あたり5朱の利子を付けるとした。金札と正金の両替を行った者に対する罰則も制定した。

これによって、ようやく金札が流通するようになった。

6月6日、ここに乗じて政府は、府・藩・県に1石あたり2500両の金札を配布し、これと同額の正貨を納付させた。地方の金札流通をはかったのである。地方への配布高のうち1550万両は、発行制限高3250万両には含まれない。こうして発行高を増やしたが、金札の価格は安定し、流通はむしろ円滑化した。その理由は主に、5月28日の布告によって金札の信頼度が高まったことであるが、他にも重要な原因があった。江戸末期より当時まで主に流通していた正貨(二分金)が粗悪だったことである。

 

 

参考資料

丹羽春喜(2005)「時事評論」『カレント』、平成17年2月号

廣宮孝信(2013)『国債を刷れ![新装版]これがアベノミクスの核心だ』彩図社

明治財政史編纂会編(1905)『明治財政史 12巻 通貨(2)、銀行(1)』
https://www.mof.go.jp/pri/publication/policy_history/series/meiji.htm

 

「構造改革」で労働生産性を向上させることは本当に、「給料安すぎ問題」の解決策なのか?

toyokeizai.net
2020/09/11 追記:関連動画とスライドはこちら(説明の図式は若干異なります)

parkseungjoon.hatenadiary.com


<はじめに>

 経営アナリストのデービッド・アトキンソン氏が「MMTでは解決しない「日本人の給料安すぎ問題」 労働生産性向上のため「産業構造」を転換せよ」という論考を発表された(東洋経済Online,2020/7/9)。この論考はあるツイートの引用からはじまる。「アトキンソン氏のお話は先日ある学界で聞いたが、端的に言ってマクロ経済の理解を誤っている。GDP=人数×生産性なる数式を出して、小企業を淘汰して生産性を上げれば日本は成長するという。逆です。生産性=GDP÷人数だから、積極財政で成長させることが第一です」というツイートであり、この論考はこれに対する「反論」なのである。

 実は、このツイートは他ならぬ、わたくし朴勝俊のものである。なお、私はMMT(現代貨幣理論)の論者ではないので、彼のMMTの理解についてはあまり深く詮索しない。しかし、MMTはひとつの経済学説なのだが、氏は政府支出をいくらでも増やす政策と勘違いしている可能性があることは、指摘しておきたい。

 拙稿の問いは、タイトルのとおり「「構造改革」で労働生産性を向上させることは本当に、「給料安すぎ問題」の解決策なのか?」ということである。アトキンソン氏は生産性向上によって「日本人の給料安すぎ」を解決しようとしているようである。しかし、本稿は、現状の不完全雇用下で、「ゾンビ企業」の淘汰を含む労働生産性向上策が仮に成功したとしても、失業が増えるだけで給料は上がらず、一人当たりGDPはむしろ下落することを明らかにする。

 

アトキンソン氏の理解>

 氏は上記のツイートを引用した上で、「「GDP=人口×生産性」も「生産性=GDP÷人口」も数学的には同じことですが、言わんとする意図は伝わります。この意見は、「政府が財政支出を増やせばGDPが増える。生産性=GDP÷人口なので、生産性を上げることもできる」と解釈できると思います」と述べた。ほぼ、その通りである。いつの間にか、人数が人口に変わっているが、私の意図するところはある程度、理解していただけたものと思う。

 引用箇所についてひとつ付け加えるなら、「数学的には同じ」式であっても、経済学の方程式については一般に、左辺に来る変数が結果を意味し、右辺にくる変数がその原因とみなされる、ということである。アトキンソン氏は、生産性が原因となってGDPが決まると考え、私はGDPを決める様々な要因によって、結果として生産性が決まると考えているのである。

 氏は(彼が解釈するところの「MMTの主張」が正しいとすれば)「日本政府は支出を大きく増やすことで、GDPを高めることができます。「生産性=GDP÷人口」ですから、生産性も上がります」と述べられている。このカッコ内の理解はほぼ正しい(正確には、労働生産性GDP÷就業者数であり、GDP÷人口=一人当たりGDPであるので、話はちょっとだけ違ってくるが、後に詳しく説明する)。

 さらには、氏が「労働市場完全雇用に近くなると、労働参加率はもう上がらなくなります。そこから生産性をさらに上げるには、労働生産性を高めていくしかありません」と言っていることにも、異論はない(多分、MMT論者も異論はないであろう)。完全雇用になってはじめて、生産性の上昇がGDPや賃金の上昇と矛盾しなくなるのである。

 ここまでで、現時点におけるアトキンソン氏の認識はかなり正しいことが分かる。

 そのため、話はこれで終わりだと思いたいのだが、それでは終わらない。氏は、「人の給料は、国全体の生産性で決まるものではありません。人の給料は、労働生産性で決まります。ですからMMTは、労働生産性を高める効果がない限り、給料とは関係のない経済理論なのです」という。やはり労働生産性にこだわりがあるというか、労働生産性があたかも、何らかの能率のようなものと考え、能率を上げることによって賃金が上がると言いたいようである。では、「国全体の生産性」とはなんだろう? 「労働生産性」との違いは? そして、「労働生産性」と「給料」との関係は、いかなるものだろう。以下で詳細に検討する。

 

アトキンソン氏の生産性概念の混乱>

 アトキンソン氏は、左辺を生産性とする式(生産性=GDP÷人口)を、次のように展開してくれている。

 

「冒頭に引用した意見にもあったとおり、「生産性=GDP÷人口」です。この式は「生産性=労働生産性×労働参加率」と展開することができます。
【補足】生産性=GDP÷人口=GDP×(1/人口)=(GDP/就業者数)×(就業者数/人口)=労働生産性×労働参加率
 実際に仕事をしている就業者の労働生産性が1000万円の場合、国民の中で就業者が占める比率、すなわち労働参加率が50%であれば、国全体の生産性は500万円となります(1000万円×50%=500万円)。

 このときの失業率が10%だとしましょう。国がお金を出して需要を増やし、企業が労働者を雇って失業率がゼロになれば、労働参加率は60%になります。労働生産性が変わらなくても、生産性は600万円まで高まります(1000万円×60%=600万円)。」(※改行位置は筆者(朴)が適宜変えている)。

 

 この箇所を読まれた方は混乱を覚えたに違いない。ここは、アトキンソン氏が人数を人口としたことによって、混乱が生じたものと思う。アトキンソン氏は「労働生産性」とは別に、一人当たりのGDPのことを「生産性」とか「全体の生産性」と呼んでいるのだが、このような言葉の使い方は特殊である(生産性の分母となりうるのは、あくまで働き手の数である)。そこで、GDP÷人口のことを、ただしく「一人当たりGDP」と呼ぶ。また、就業者数÷人口のことを氏は「労働参加率」と呼んでいるが、正確には、労働参加率とは一般に、15歳以上の人口に占める、失業者を含む労働力人口(就業者数+失業者数)のことであるから、氏が意図する意味(就業者数÷人口)とは異なる。ここでは就業者数÷総人口を「就業者総人口比」と名付ける。

 彼がここで言っていることは要するに、失業が解消され、就業者数が増えることによって、労働生産性が変わらなくても、一人当たりGDPが増えるということである。これは当然のことである。そして、失業が解消されれば、アトキンソン氏の言うように、1人あたりGDPの増加は労働生産性の向上とともに起こらねばならない。逆に言えば、就業者数が一定の場合も、全体のGDPが増えれば労働生産性が向上することに代わりはないが、そのGDP成長は、供給力(設備・技術力)の増強によって行われねばならない。この理解は正しい。

 同じことだが、ある箇所で「労働生産性が上がらないと、政府支出を増やした分だけ、おそらくインフレになっていくと考えられます」と彼は述べているが、これは言い換えれば、完全雇用時には、供給力の増強が必要だということである。これも正しい(全てのMMT論者が、そのことを正確に理解していると思う)。

 他方、別の箇所で「労働参加率(※就業者総人口比)が高まることによって全体の生産性(※一人あたりGDP)は上がっていますが、労働生産性はあまり上がっていません。金融政策、財政政策の限界にさしかかっていると考えられます」と述べている。どこかで聞いたような話だが、今回の議論は「金融政策や財政政策の限界」の話とは無関係である。一般に、不完全雇用時には財政政策は有効であるし、民間の需要と外需が停滞している時には、政府が支出を増やすしかない。

 さらに付け加えるならば、労働生産性と賃金はまた、別の話である。労働生産性が上がったからと言って、企業の取り分が増えるだけで、賃金が上がらないこともある。賃金が上がるためには何が必要なのか? 不完全雇用の状況で「ゾンビ企業」をなくすことによって賃金を上げることは可能なのか? 次節で、簡単な数値例を用いて検討する。

 

<数値例による検討>

 日本の2018年度の名目GDP(Y)は、約548兆円である。うち、民間消費(C)は約305兆円、民間投資(I)は約106兆円、政府支出(G)は約137兆円、純輸出(NX)は約1兆円である。また、2018年度の雇用者報酬は285兆円である(総務省統計局、GDP統計より)。従って、GDPに占める雇用者所得の比率は約52%である(表1)。それ以外の48%は、営業余剰や間接税などであり、これらをまとめて「それ以外のGDP」と呼ぶ。不完全雇用時には、Y=C+I+G+NXという式が必ず成立する。GDPが需要側(YD)で決まるのである。完全雇用時にはYが一定の上限(Ymax)を超えることはできない(右辺の総額や各要素は、それに制約される)。つまりYD>Ymax=Yの時は、需要を増やしても物価上昇が起こるだけで、実質のGDP労働生産性も高めることはできない。従って、設備増強・能率向上が必要となる。なお、ここでは名目GDPをそのまま用い、物価上昇に伴う名目GDPと実質GDPの乖離についての議論は、単純化のため捨象する。つまり、物価上昇が起こった場合は、実質値は変化しないものと考え、値は実質値として解釈する。

 人口や労働力に関する近年の数値は表2に示すとおりである。日本全体の人口は1億2593万人である(総務省統計局「人口推計」2020年6月推計値)。そして、2020年5月の労働力調査によれば、就業者数6656万人、15歳以上人口1億1084万人である(総務省統計局「労働力調査」2020年5月分結果)。これらを用いて、一人当たりGDPや一人あたり賃金等を求めた(表3)。GDPと人口の推計年次が異なるが、ここではそのまま計算に用いる。

 

 

f:id:ParkSeungJoon:20200709182607j:plain

 

[1] 不完全雇用時の政府支出の増加の効果

 現状の、GDPが548兆円の状況を、物価上昇率がゼロ未満であることから、不完全雇用と判断する。不完全雇用時に政府支出を20兆円増加させると、乗数を1とすれば、GDPも20兆円増加(3.6%増加)し568兆円となる。一人あたりGDPは451万円となる。仮に、就業者数を一定とすると、3.6%の生産性向上となり、労働生産性は853万円/人となる(ただし、労働生産性が上がったからと言って賃金が上がるとは限らない)[1a]。しかしながら、[1a]のような状況になることは考えにくい。アトキンソン氏が想定するように、労働生産性が一定(823万円/人のまま)で、就業者数が増加するケースの方が現実的である。この場合、3.6%だけ就業者数が増加することになる。就業者1人あたり賃金も変化しないとすれば、428万円/人のままである[1b]。現実は[1a]と[1b]の間になると考えられる。例えば生産性が1.6%向上し、雇用が2%増加する状況である。いずれの場合も、悪化する指標はないので、経済状況は改善したと言えるだろう。この状況で、生産性の低い企業が生き残っても、誰に迷惑をかけるわけでもない。

 消費税の減税によって、消費(C)を増やす政策も、これと類似した結果をもたらす。

 

[2] 完全雇用時の政府支出の増加

 完全雇用時に政府支出を増加させても、実質GDPを高めることはできない(物価は上昇するかもしれないが、ここでは捨象されている)。政府支出が増加したぶん、民間の消費や投資が減少する。しかし政府支出が行われた部門で、労働需要が増えるならば、物価上昇とともに経済全体の賃金を引き上げる効果があるかもしれない。

 

[3] 不完全雇用時の「構造改革

 アトキンソン氏が提唱しているのは、現状のような不完全雇用時でも政府支出を避け、「産業構造を効率化して労働生産性を高める」ことである。ここで、生産性の低い企業を淘汰するような「構造改革」を行い、就業者数を3%減らしたとしよう。構造改革GDPを増やす魔法ではない。C+I+G+NXのいかなる需要項目をも増やす効果がないので、GDPを増やす手段にはならない。

 さらに就業者の減少に伴って、消費支出(C)が(控えめにみて)2%減少するものと考えよう。この時、GDPは6.1兆円減少(305×0.02=6.1)して、541.9兆円となる(波及効果を捨象)。1.1%の減少である。一人あたりGDPも1.1%減少し、約430万円となる。GDPが1.1%減少し、就業者数が3%減少するとき、労働生産性は約2%向上する。しかし、これは労働者数を削ったことによる生産性向上なので、賃金の上昇にはつながらず、その成果は使用者側(企業側)にゆくと考えられる(賃金はむしろ下落する可能性もあるが、ここでは不変とする)。

 

[4] 完全雇用時の能率向上

 完全雇用の場合で、実際の需要(YD)が上限(Ymax)を上回っている場合には、民間消費(C)や民間投資(I)の需要が、供給の制約によって満たされていない。この時には、能率の向上は望ましい。まず、その時には能率の向上によってYmaxが増えると、潜在的な需要が満たされCやIが増えるので、GDPも増加する。次に、ある企業が「人減らし」によって能率を上げようとした場合にも、解雇された人は他の職に移ることができる可能性がある。この時、政府支出(G)をことさらに増やす必要はない(必要な公的支出を増加させるためには、CやIを増税などで抑制する必要がある)。

 そのような理想的な状況(日本では満たされていないが、過去において、多くの国々で普通だった状況)は、以下の数値例で表現できる。まず、能率の向上によってYmaxを2%上昇させることに成功したとしよう(上限GDPは11兆円の増加)。この時、ある部門で失業した人は他の職を見つけることができたと仮定して、就業者数を一定とすれば、一人当たりGDP労働生産性も2%上昇することになる。しかしながら、この時に、全般的な労働力不足が起こらず、賃上げが起こらなければ、賃金はおそらく一定となる(表4の[4])。従って、賃金上昇圧力が生じるためには、それ以上の需要圧力がなければならない。このケースでは労働不足の状況や賃上げの状況しだいでは、賃金が上がる可能性もあるが、それは能率向上の結果ではない。

f:id:ParkSeungJoon:20200709184252j:plain


  上記の[1]~[4]のケースを要約したものが、表4である。理想的なケースは[4]であり、この時には能率向上のための企業や政府の施策が、労働生産性と一人あたりGDPを向上させる可能性があるが、必ずしも賃上げにつながるとは限らない。賃上げが生じるためには、需要圧力が十分高くなければならない(アトキンソン氏が他の箇所で論じている最低賃金の引き上げも有効かもしれない)。他方、アトキンソン氏が言うような構造改革や「ゾンビ企業」の淘汰を、不完全雇用時に行えば、ケース[3]で示したように、たとえ労働生産性が上がったとしても、一人あたりGDPが減少するだけである。

 

<結論>

 アトキンソン氏の論考は、「やはり産業構造を効率化して労働生産性を高める以外、「給料安すぎ問題」の解決策はありえません。日本政府は、政府支出を増やしても増やさなくても、結局は産業構造の問題にメスを入れざるをえないのです」と結論づけている。労働生産性を高めるべく、生産性の低い企業を淘汰するような「構造改革」を行うことによって、「給料安すぎ」を解決できるという考えであるが、これは誤りである。

 現状は、物価上昇率が低迷していることから、不完全雇用であると推定できる。そのような状況で「ゾンビ企業」をつぶして就業者を失業者に変えれば、企業部門の能率や、定義上の労働生産性は向上する可能性があるが、一人当たりGDPは減少し、賃金は上がらない(ケース3)。

 それよりは、政府支出を増加させ、一人当たりGDPを上昇させた方が望ましい結果になる。生産性が低いとされる企業が生き残ることは、誰に迷惑をかけることでもなく、望ましいことである。

 アトキンソン氏の主張がそれなりの合理性をもつ理想的な状況は、完全雇用で需要が十分にある場合である(ケース4)。この時、ことさらにGDPを増やす目的で政府支出を増やす必要はない(ただし、無駄な民間から、必要な公共にシフトすることは意味がある)。このような状況では生産性向上とGDP上昇は並行して起こる。従って、民間企業の能率向上につながるよう、「技術の普及、産業構造の効率化、企業規模の拡大、輸出の促進、規制緩和、新商品の開発などが不可欠です」という氏の提言はおおむね妥当であると考えられる。それに反対する「MMT論者」など、誰もいないのではないかと思われる。

 しかし、生産性と賃金は別である。生産性が上がったからといって、賃金が上がるとは限らない。賃金を上げるためには、需要が十分に増えて、労働市場が逼迫するとともに、労働者の交渉力が高められる必要がある。アトキンソン氏が別の箇所で主張している最低賃金の引き上げも有効かもしれないし、労働組合の交渉力を強くする規制強化や、労働時間の短縮のための政策も求められよう(生産性を労働者1人の労働時間1時間あたりで定義するならば、なおさらのことである)。

 アトキンソン氏の提言は、現在の日本の状況下では失業者を増やすことに繋がり、有害ですらある。アトキンソン氏の提言を充分な検証なく持ち上げ、実行に移せというようなメディアや企業、政治家がいれば、厳しく批判されるべきであろう。

新型コロナ禍の今こそ積極的経済政策が必要である -歴史から学ぶ反緊縮政策-

この文章は『現代の理論』(2020年夏号)に寄稿したもの(校正前)です。

季刊・現代の理論

  

■ 新型コロナ禍の現状

 2020年5月上旬現在、世界は新型コロナウイルスパンデミックに襲われています。世界各地の医療施設で人員・設備・機器の不足が表面化し、医療崩壊というべき状況が報じられてきました。世界保健機関(WHO)の5月9日の集計によると、すでに世界でおよそ26万6千人が亡くなっています。日本では、5月7日時点で国内感染確認は15649人、死亡は600人とのことです。日々報告される感染確認者の数は減少傾向ですが、諸外国とくらべてPCR検査数が絶対的に少ないため、実際の感染者数は誰にも分かりません。

 コロナ禍は、リーマンショックを凌ぐ経済危機だと言われています。米国では、経済対策として、税金を主な財源とせずに3兆ドル[約318兆円]を投じます。欧州諸国でも、休業した企業や従業員、あるいは発表の機会を閉ざされたアーティストたちに対する休業補償や失業手当、所得補償などが迅速に出されていることが、報じられています。しかし、日本の対策は後手後手に回り、政府は無能をさらしています。無条件の一人十万円給付を決め、117兆円規模として打ち出された経済対策も、実際の国債発行額は26兆円程度にすぎません。倒産や自殺が日に日に増えています。

 この経済危機の中で、政府がこれほどまでにおカネを出し渋るのは、社会の安定という面からも危険なことです。歴史的な教訓があります。経済危機時に緊縮財政が行われると、それに対抗する極右が台頭するということです。

 

■ ナチスの台頭はなぜ起こったのか。

 ナチスが台頭した背景に、1918年のインフルエンザ大流行があったとする記事は、“Spanish flu naze”などのワードでネット検索すると、たくさん見つけられます。そして、ナチスが権力を獲得した背景には、ワイマール政府が世界大恐慌後に積極財政をとらず、不況を悪化させたことがありました。1932年総選挙において、デフレ不況対策として有効な反緊縮政策を掲げたのはナチスだけでした。他方、当時の社会民主党の有力者ディットマンなどは「われわれは現状(恐慌)がさらに進展することを望んでいます」と言っていたぐらいです(ブライス2015、264頁)。

総選挙で勝利し、政権を執ったナチスは公約を実行し、国民車構想やアウトバーン建設などの大型公共事業を進めました。その結果ドイツの経済は一挙に不況を脱出し、1932年に577万人(30%)だった失業者が、1937年には、91万人(5%)に下がりました。この経済的な成功によってナチスは大人気となり、政権は盤石となり、ヒットラーは全ての権力をつかんでいったわけです。

 ナチスユダヤ人を迫害し、世界を戦争に巻き込み、アメリカ、イギリス、ソ連の反撃によって徹底的に破壊され、敗北しました。そういう事態になるまで、なぜドイツの人々はナチスを批判しなかったのか、そもそも、なぜ1932年の選挙でナチスを選んだのか、それはナチス以外の政党が有効な経済政策を知らなかったからです。ナチス以外の平和的な政党が積極的な経済政策を打ち出せなかったのは本当に残念なことです。

 

■ 昭和恐慌時の金本位制がもたらした悲劇

 1929年の世界大恐慌を契機とする恐慌は、日本にも波及して、昭和恐慌を引き起こします。恐慌を深刻化させたのは、1929年7月に発足した浜口雄幸(はまぐちおさち)首相と、井上準之助(いのうえじゅんのすけ)蔵相です(例えば、ブライス2015、267~269頁)。井上は財界を「いぢめつける」ために緊縮策をとり、恐慌が起こっても金本位制への復帰を断行しました。その結果、国民総生産は大変なマイナス成長になり、デフレが起こり、円の価値が高止まりしました。日本産業の国際競争力が低下して輸出が激減し、金はどんどん外国に流出しました。また、何よりも農村の困窮が深刻化し、テロリストや青年将校が出てくる素地となりました。それでも、井上準之助たちは金本位制に執着して緊縮策を続けました。他方で、金融資本や財閥は、円がやがて暴落するだろうと見越して、ドルを買いまくって逆に大もうけしました。

 1930年11月浜口首相は右翼のテロリストにピストルで狙撃されました。翌年の1931年の暮れに成立した犬養毅(いぬかいつよし)内閣で、大蔵大臣に任命されたのが高橋是清(たかはしこれきよ)でした。まず高橋は1932年1月末に金本位制の離脱を実施しました。そして、国債の日銀引き受けによる資金調達を周到に行い、そのお金で農村を救済する事業などいろいろと積極的な財政政策をとりました。この政策によって1932年のうちに景気回復とデフレ脱却が実現しました。その段階で、高橋はインフレを抑えるために財政再建へと舵を切り、とりわけ軍事予算の縮小に尽力します。それは満州事変の直後で、大変に勇気ある決断でした。

 1932年には血盟団事件井上準之助が殺害され、5・15事件で犬養毅が殺害されました。不況に苦しんだ人々は、これらテロリストに味方しました。その後、軍部の暴走は加速し、1936年の2・26事件で高橋是清が殺害され、軍事予算に対する歯止めはなくなりました。

 日本の財政「健全」論者の中には、高橋財政の国債引き受けが後の軍国化につながったと論じる人がいますが、それは不当な濡れ衣だと考えます。

 

■ ギリシャの悲劇

 ギリシャは1981年に欧州共同体(EC)に加盟し、ユーロを導入した結果、為替リスクがなくなって、多額の金をドイツなどから貸しこまれました。そこに、リーマンショックが襲いかかり、経済危機が発生しました。

 ユーロに加盟したギリシャは金融政策つまり貨幣政策ができなくなっており、トロイカと呼ばれる3人組(IMF国際通貨基金、EU欧州委員会、ECB欧州中央銀行)から救済を受けることになります。救済といっても本当に救済されるのはギリシャのような債権国ではなく、金を貸したほうのドイツやフランスの民間銀行でした。債権団トロイカから強要された緊縮策の結果、2008年に比べて2015年までにギリシャは、1人当たり所得で実質4分の1も減少し、人々の暮らしは目に見えて悪くなりました。緊縮財政に反対するデモがアテネの広場で繰り返された一方、ナチスの流れをくむ「黄金の夜明け」という政党がついに2015年の総選挙で国会に議席を占めました。経済の危機が極右の台頭をもたらすという歴史の繰り返しです(バルファキス2019)。

 2015年1月総選挙でギリシャの人々は、トロイカの緊縮策にNOをつきつけるべく、急進左派連合(シリザSyriza)政権を選びました。しかしこの政権はおよそ半年でトロイカに屈服し、財政緊縮策を受け入れていきます。

 そのかんギリシャでは、通貨の切り下げで価格競争力を回復することが出来ないため、対内切り下げ(賃下げ)が行われ、賃金は4割以上も低下しました。これはあの井上準之助金本位制復帰政策がもたらした害悪と同じようなことです。

 

■ マクロ経済学の最低限の基礎知識

 反緊縮の経済対策は、供給側ではなく需要側を重視する経済学に基づくものです。総需要によって国民所得の水準が決まるというのがケインズの言う有効需要の原理です。重要なのは以下の数式です。

 

Y=C+I+G+EX-IM、

総需要=消費+設備投資+政府支出+輸出-輸入

 

 コロナ禍の場合には、一部の医療用品などに供給側の逼迫が見られますが、基本的な問題は需要側のものです。当面は、人の移動や労働・営業が制約されるので、数十兆円規模での収入の補償が重要になります。しかし、流行が収まって経済が回復する局面に入れば、需要を増やす政策が求められます。消費税減税とか、金利を引き下げて設備投資を増やすとか、政府が公共投資を増やすとか、通貨高を是正して輸出を増やすとかの政策が必要となります。

 現在、アメリカが税金を財源とせずに大規模におカネを出しているのに、日本が出し負けているので、円高が進んでいます。円高が進むと、日本の産業が空洞化してゆく一因となります。ですから、政府が国債を出して、日銀が買い入れるべき局面です。そのための財源を税金で調達することは現在も将来も必要ありません。

 こんなことを言うと、財政破綻するじゃないかという人がいるでしょう。しかし、デフォルト(債務不履行)という意味での財政破綻はあり得ません。それは財務省のホームページにも書かれています(財務省2002)。日本政府(日本銀行を含む)は、通貨発行権を持つ政府なので、国債は満期が来たら通貨を作って償還するか、借り換えをすればよいのです。財政赤字ギリシャみたいに破産するぞ」という人がいたら、「通貨発行権がなくなるとギリシャみたいに破産する」って、言い直すようにお願いしてください。

 なお、これは無税国家を主張しているのではありません。物価上昇に対しては警戒が必要であり、税には貨幣の価値を裏付ける機能があります。累進所得税など物価安定のための税や、環境税などは必要です。

 

■ おカネはどのように生まれるのか

f:id:ParkSeungJoon:20200707154316p:plain

 管理通貨制度における貨幣制度の本質を理解するためには「政府」「日本銀行」「民間銀行」「民間企業・人々」の4部門のバランスシートを、複式簿記の形で把握する必要があります(図)。なお、以下では「おカネ」や「貨幣」、「通貨」などの用語は同義語として扱います(詳しくは、朴&シェイブテイル2020)。

貨幣の発行主体は、主に日本銀行と民間銀行です(財務省も硬貨を発行しますが、約5兆円と金額が少ないですし、話が複雑にならないように捨象します)。日本銀行は日銀券と日銀預け金(準備預金)を発行しますが、これがマネタリーベースを構成します。日銀の負債側に、これが記されます(2020/1/20時点で、日銀券109兆円、日銀預け金397兆円、合計506兆円)。

 マネタリーベースは、いったん民間銀行が買った国債が、日本銀行に入ることによって生まれます。民間銀行から見れば、準備預金は普通預金のようなもので、国債は政府に対する定期預金のようなものです。ですから預金が通貨だというなら、国債は「通貨のようなもの」だということもできます。

 他方、民間銀行はお金として使える銀行預金(預金通貨)を、貸し出しを行う時に、自分の負債として創造します(必ずしも、一般の人々から集めた預金を貸しているわけではありません)。民間に流通する日銀券と、銀行預金を合わせたものがマネーストックですが、これは「民間企業・人々」の資産側に記されます(2018年末時点で約1300兆円)。マネタリーベースとマネーストックは全く別の世界にあるもので、マネタリーベースを増やしてもマネーストックが増えるとは限りません。これは、過去7年間の日本の「量的金融緩和」の経験からも分かります。

 企業や人々が預金を引き出した時に、日銀券を受け取ります。銀行は、この引き出しに応じる時に、準備預金を下ろして日銀券を手にいれるのです。また、政府が国債発行をして民間企業・人々に対して支出すると、直接にマネーストックが生まれます。それを仲介する銀行と日銀の間にはマネタリーベースが生まれます。

 

■ 徴税によって国債が償還されるとおカネが消える

 逆に、政府が徴税をして国債を償還した場合には、民間企業や人々のマネーストックが消え、それを仲介する銀行と日銀の間のマネタリーベースも消えます。つまり、徴税で国債を返すことは、おカネを消滅させます。政府は、平常時は国債の借換えを続けないと、貨幣残高を維持できません。「国債を全部返済すべきだ」という考えは間違いです。そんなことをすると悲劇的な大デフレが起こります。

 コロナ禍のもと、日本の総需要が50兆円減ると言われます(日本経済研究センター2020)。だとすれば、それ相応の政府支出が必要になりますが、その財源を税金でまかなう必要は現在も将来もありません。物価のコントロールが重要ですが、そのためには一部の物資の調達と価格を政府が周到に調整することと、累進課税を通じて貨幣を部分的に回収できるようにすることです。

 

 

<参考文献>

財務省(2002)「外国格付け会社宛意見書要旨」2002年4月30日

ブライス、マーク(2015)『緊縮策という病』(若田部昌澄監訳、田村勝省訳)NTT出版

朴勝俊&シェイブテイル(2020)『バランスシートでゼロから分かる財政破綻論の誤り』青灯社、近刊

日本経済研究センター(2020)「<動画シリーズ1>コロナ危機を恐慌にはしない GDPの需要不足、50兆円規模の恐れ」

バルファキス、ヤニス(2019)『黒い匣』(朴勝俊ほか訳)明石書店 

宇都宮けんじ陣営の『補足:地方債の発行について(宇都宮けんじの政策)』に見られる誤解を解きます

 先日、以下「補足:地方債の発行について」(以下、「補足」)という文書が、ツイッターを通じて、「宇都宮けんじ 広報」というアカウントから拡散されました。筆者自身は、この「補足」に書かれていることを、選挙戦で超多忙な宇都宮けんじ候補は承知しておらず、宇都宮陣営のスタッフの意見と考えていますが、ここに誤解をとくためのコメントをいたします。正確な引用のために、まずコピーを転載します(ホームページで同じものを見つけることができませんので、ツイッターからコピーしたものを用いています)。
 なお、この文書は筆者の見解であり、山本太郎候補とは一切関係ありません。

 

f:id:ParkSeungJoon:20200703174133p:plain

出典: 宇都宮けんじ広報アカウントからのTwitter、2020年7月2日、午後9:29

 

[宇都宮陣営] 結論: 「コロナ感染症を都が災害に指定し、災害対策のための地方債を10兆円以上発行して、対策に宛てる」ことは、現行法のもとでは実現困難。

 

[コメント] まず、もし現行法のもとで実現可能であれば「コロナ感染症を都が災害に指定し、災害対策のための地方債を10兆円以上発行して、対策に宛て」、人々を救うような経済政策を実施しようと考えるか、否か、ということが候補者には問われます。そしてこれは実現困難なものではありません。以下、詳細に説明します。

 

 

[宇都宮陣営] 理由①: 将来世代への大きな負担になる。地方自治体には通貨発行権がないため、結局これらの地方債は将来の都民の税金によって返済するしかなく、未来世代に大きな負担を課すことになります。地方債は補充的に用いるべきものです。

 

[コメント] 地方自治体には通貨発行権がない、ということは周知のことです。逆にいえば中央政府には通貨発行権があるため、国債発行(国債という名前のついた貨幣の発行)は必ずしも、将来世代の負担にはならなりません。それに対して、通貨のユーザーである自治体にとっては、地方債は返済が必要の借金です。

 とはいえ、宇都宮陣営のように、地方債は負担だが、基金の取り崩しは負担にならないと考えるのは誤りです。地方債発行と基金の取り崩しは、同じ金額であれば、自治体の純資産を減らし、将来の「いざという時」の資金を逼迫させます。その意味で「未来世代に大きな負担」という意味では大差がありません。差があるとすれば、借入金利と預金金利の差額だけです。

 経済の回復と成長こそが、将来の税収を生みます。例えば山本太郎氏の案では、都債は30年で償還することを想定しています。その税金の大部分を収めるのは主に「未来世代」ではなく、今の苦境から回復した、現在生きている都民の方々です。現在困窮している若者が、結婚・出産・子育てができなくなれば、生まれてくる「未来世代」が減ってしまいます。現在の危機を、どの程度の危機と捉えているかについては、宇都宮候補と山本太郎候補の間に差異はないはずです。今こそ、地方債をメインの財源として、積極的な財政支出を行うべき時です。

 

 

[宇都宮陣営] 理由②: 実現するためには法改正が必要。時間がかかり、迅速な救済ができない。4月28日の衆院予算委員会で、新型コロナ担当の西村康稔経済再生相は「(内閣)法制局と早速相談したが、(新型コロナを)災害救助法の災害と読むのは難しいという判断だ」と説明。従って、総務省の同意を得て、災害給付のために起債することは絶望的であり、その実現のためには法改正が必要です。つまり、この提案はただちに実現する政策ではないのです。

 

[コメント] 4月28日の衆院予算委員会で、西村経済再生相が上記のように答えたのは、枝野幸男立憲民主党代表が、新型コロナに対して災害救助法の「災害」を適用すべきだと訴えたからです。従って、立憲民主党なども「災害」を適用できるという認識だと判断できます。また、防衛省自衛隊はコロナウィルスに対する「災害派遣」を行っているとしています。これは、コロナを「災害」と見なしているという事実に他なりません。内閣法制局の公式見解も、必ずしも明らかにされているわけではありません。

 

<参考>

朝日新聞2020年4月28日

https://www.asahi.com/articles/ASN4X41B5N4XUTFK014.html

防衛省自衛隊新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けた取組」

https://www.mod.go.jp/j/approach/defense/saigai/2020/covid/index.html

 

 

[宇都宮陣営] 理由③:建設債でない起債は認められていない。「総務省が20兆円の起債を認めた」とされていますが、それはあくまで東京都の財政状況からみた起債限度のことを述べているだけであり、建設債でないコロナ対策についての起債を総務省が認めているわけではありません。

 

[コメント] 災害対策としての起債は認められています。山本太郎氏の政策では、国が災害指定しない場合にも、東京都として「災害(異常な自然現象)」とみなし、都債を発行するとしています。
(参考: 山本太郎東京都知事候補特設サイトhttps://taro-yamamoto.tokyo/policy/2-2)


f:id:ParkSeungJoon:20200703174323p:plain

総務省「地方債の協議制度について」より引用

 

 

 宇都宮陣営の「補足」の下部にある「さらに補足」でも説明されているように、総務大臣の許可や同意がたとえ得られなくても、自治体は自らの責任で「同意のない地方債(不同意債)」を発行することができます(右図「地方債協議制度のしくみ」を参照)。山本太郎氏は、最終的な手段としてこの不同意債を想定していますので、この「理由③」の批判は全く当たりません。

 もちろん不同意債は今後の税収から償還してゆくものです。東京都の財政状況からみて20兆円程度の起債が可能であることは、宇都宮陣営も「理由③」で認めたことになります。山本太郎氏は、安全のために最大限でも15兆円として、コロナが収束すれば、もっと小さくなる可能性もあると言っています。

 ところで、宇都宮陣営の「起債限度」というのは正式な用語でしょうか?どのような定義なのでしょうか? 地方公共団体の財政の健全化に関する法律(以下、財政健全化法)では、財政の健全化が求められる「財政健全化団体」、財政の再生が求められる「財政再生団体」に分類される基準があります(表「早期健全化基準と財政再生基準」参照)。また「起債許可制度」のもとでは、実質赤字比率が2.5%以上、実質公債費比率が18%以上となっれば、今後の起債の際に総務大臣の許可が必要になります(総務省「地方債の協議制度について」を参照)。そこで、ここでは「実質赤字比率」と「実質公債費比率」を検討します。

 

表:早期健全化基準と財政再生基準

f:id:ParkSeungJoon:20200703174431p:plain

出典: 総務省地方財政の状況』令和2年3月、p. 資173

 

■実質赤字比率:東京都の場合、早期健全化基準は5.54%、起債許可制度の基準は2.5%

 東京都の「平成30年度 財政状況資料集」によれば、東京都の実質「黒字」比率は、実質収支3408億円、標準財政規模3兆8242億円より、割り算によって、プラス8.9%程度となります。

 財政健全化団体となる基準は、実質赤字比率が5.54%ということです。これは、実質収支の赤字額でいうと2118億円です(38242×0.0554≒2118)。ですから「余裕」は5526億円ということになります(3408+2118=5526)。起債許可制度の基準は2.5%ですから、これは実質収支の赤字額で956億円です(38242×2.5≒956)。ですから「余裕」は4364億円となります(3408+956=4364)。

 10年債で15兆円を借りて、2回借り換えて30年で完済する場合を想定します。毎年0.15%の金利を払う場合を想定します(参考として、一般財団法人地方債協会の資料によれば、2020年5月に発行された地方債10年債の金利は0.096~0.131%です、http://www.chihousai.or.jp/11/03_02.html)。この時、毎年の元金返済額は5000億円、毎年の利払いは225億円ですから、毎年の国債費の増分は合計5225億円となります。これは、起債許可制度の「余裕」である4364億円より大きくなりますが、早期健全化基準に基づく余裕5526億円には収まります。

 

■実質公債費比率: 早期健全化基準は25%、起債許可制度の基準は18%

 東京都の「平成30年度 財政状況資料集」によれば、平成30年度の実質公債費比率は単年度で1.3%です。これは全都道府県で最も低い値です。かりに、上記と同様の条件で15兆円の都債を発行した場合で、元利償還金が5225億円増えた場合でも、実質公債費比率は18%を下回り、16.1%にとどまります。これは、現在の大阪府よりも低い値です。

 

表: 実質公債費比率の試算

 

単位:千円

平成30年度

都債15兆円

分子

元利償還金(5225億円の増加)

111,531,116

634,031,116

 

準元利償還金

420,282,774

420,282,774

 

特定財源

194,187,770

194,187,770

 

元利償還金・準元利償還金に係る基準財政需要額参入額

290,322,813

290,322,813

分母

標準財政規模

3,824,151,838

3,824,151,838

 

元利償還金・準元利償還金に係る基準財政需要額参入額

290,322,813

290,322,813

実質公債費比率

1.3%

16.1%

資料: 東京都の「平成30年度 財政状況資料集」に基づき作成

注: 実質公債費比率1.3%は単年度の値。過去3年間の平均は1.5%

 

 

[宇都宮陣営] 

さらに補足①:地方公共団体が国・総務省と協議し、同意を得られなかった場合は「地方議会に報告」後に「同意のない地方債」として発行できますが、都議会で多数の賛成が得られると思えません。

 さらに補足②:東京都が国と議会の同意を得ないで地方債を発行するという最後の手段はあり得ます。しかし、そのような起債に全国の他の自治体や地方債を引き受ける金融機関の理解が得られるとは思えず、このような方法で資金調達ができるか疑問です。

 

[コメント] 地方財政法第五条三の9を参照すると、都議会に対して必要なのは「報告」です。賛成が得られなければ都債が発行できないわけではありません。また、金融機関がこの都債を購入するかどうかについては、現在、日本の金融機関等は350兆円もの超過準備を、ほとんど金利が得られないにも関わらず日銀に預けたままにしています(参考:日本銀行「業態別の日銀当座預金残高」2020年6月16日)。しかも、東京都の起債に応じる15兆円程度の資金について言えば、準備預金にはゼロかマイナスの金利が適用されています。ですから、それよりも良い条件であれば、かならず買い手がつくと考えられます。

 

 

参考: 地方財政法第五条三の9

地方公共団体が、第一項の規定による協議の上、総務大臣又は都道府県知事の同意を得ないで、地方債を起こし、又は起こそうとし、若しくは起こした地方債の起債の方法、利率若しくは償還の方法を変更しようとする場合には、当該地方公共団体の長は、その旨をあらかじめ議会に報告しなければならない。ただし、地方公共団体の長において特に緊急を要するため議会を招集する時間的余裕がないことが明らかであると認める場合その他政令で定める場合には、当該地方公共団体が、当該同意を得ないで、地方債を起こし、又は起こそうとし、若しくは起こした地方債の起債の方法、利率若しくは償還の方法を変更した後に、次の会議においてその旨を議会に報告することをもつて足りる