アーチャー&モーザー=ベーム(2013)『中央銀行の財務』(第1部第2節)抄訳
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翻訳:朴勝俊(2023年5月18日)
※ 翻訳は朴勝俊個人によるもので、その正確性に原著者およびBISには何ら責任がありません
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解説(朴勝俊)
日本では、経済学者の野口悠紀雄氏や政治家の河野太郎氏、前原誠司氏などが、日銀が債務超過となると円の「信認」が維持できなくなるなどという懸念を表明しており(朴勝俊ほか2020、p. 141、p. 148)、そのようなことが起こりうると信じる人も多い。しかし「世界の中央銀行の中央銀行」とも呼ばれる国際決済銀行(BIS)の研究者たちは、中央銀行が債務超過となっても、金融政策を遂行する能力が妨げられることはないと考えている。BISの紀要2023年68号には「中央銀行は民間銀行と違って利潤を追求するものではなく、自国通貨建て債務を履行するために原理的に通貨を発行できるので、常識的な意味で破産することもなく、まさに独自の目的によって最低資本規制を受けることもない」と記されている(Bell et al. 2023, pp. 4-5)。むしろ彼らは、中央銀行が債務超過になると困るという「誤解」が厄介であり、適切なコミュニケーションが必要であると論じているのである。
しかし、先に引用した箇所のすぐ後に「しかしながら例外的に、誤った認識や政治経済の力学が財務的損失と相互作用して、中央銀行の地位を損なうような状況もあり得る。マクロ経済の不始末があり、政府が信頼性を欠いている場合には、財務的損失が中央銀行の地位を低下させ、その独立性を危うくし、通貨の崩壊につながる可能性もある[9]。中央銀行の信頼性はまた、将来の収益能力や政府による資本増強など、条件付きの政治的影響なしに運営上の必要資金を調達するのに十分な資源がない場合にも、リスクにさらされる可能性がある」と述べている。この真意はいかなるものであろうか。ここで、引用文の脚注[9]において参照されているのが、ここに抄訳したBIS研究者らの2013年の論文である(Archer and Moser-Boehm 2013)。この論文の抄訳箇所では、財務上の懸念が中央銀行の政策に影響を与えうるとする経済学的な文献が参照され、またそうした問題を検証した実証研究の結論が示され、総じて、そうした理論的懸念は完全に否定されるわけではないが、主に途上国の中央銀行に当てはまるごく例外的なものであるということが説明されている。
解説の参考文献
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翻訳
第2節. 経済学の文献から見た自己資金の重要性
既存文献では、中央銀行の財務状態が、政策義務を果たす能力とあまり関係がないと考えられる3つの論拠が確認される:
(1)ベースマネーは必要に応じて作ることができる、
(2)ベースマネーという負債は、資金調達コストがゼロのため、その発行権の独占が長期的な収益性を保証していると見られる[14]、
(3)政府が中央銀行を所有していることが後ろ盾となっている。
この3つはいずれも議論の的であった。
- 理論編
Bindseil et al. (2004)は、人々が中央銀行の負債を無利子で保有することを望み、少なくともベースマネーが少なくとも運営費と同じ速さで成長するかぎり、不都合な出来事は、財務的な強みを長期的に確保する上でのつまずきに過ぎないと主張している。この観点からは、中央銀行の包括的純資産は、公表されたバランスシートに記されている純資産よりも大きい。なぜなら、公表されたバランスシートには、ベースマネーの(独占)発行権のフランチャイズ価値のような無形資産が含まれていないためである(Fry (1992), Stella (1997), Ize (2005), Buiter (2008))[15]。Fry(1992)は、包括的純資産が、物価が安定している(定形化されているが現実的な)ケースでも、年間GNPの3分の1以上に達する可能性があるとしている[16]。
しかし、ベースマネーを作り、それを中央銀行の運営に必要なリソース、あるいは政策の実施に使われる資産と交換する能力は、見かけとは違って、財務上の「常温核融合装置」ではないかもしれない。その限界はある。中でもBIS (1996)や Friedman (2000), Goodhart (2000)およびSantomero and Seater (1996)は、中央銀行による現金の発行は、電子通貨によって脇に追いやられるだろうという見通しを示している。また、ドル化によって中央銀行が紙幣発行の独占権を事実上失う可能性もある(Papi(2011))。より一般的には、金融緩和によるリターン(中央銀行の収入増)は、シニョリッジ・ラッファー曲線に従うと考えられ、インフレ率が上昇し続けると、あるピークを境に減少に転じると考えられる(Cagan (1956), Anand and van Wijnbergen (1989), Easterly, Mauro and Schmidt-Hebbel (1995) and Buiter (1986))〔※ラッファー曲線は、ある税率以上に増税すると税収が減ってゆく可能性を示している。それとの関連で、シニョリッジ(通貨発行権)のラッファー曲線は中央銀行が貨幣発行量を増やしても実質の収入を増やせない状況を意味している〕。
しかし、ベースマネーの価値の低下に伴ってベースマネー保有者の行動が変化することによる制約は、ただちに拘束力を持ちそうではない。法律等に示されたマクロ経済目標によって、政策決定者に求められるインフレ率は、ふつう、インフレ率の上昇によって中央銀行の収入が減少に転じるような水準を大きく下回っている[17]。一見すると、これは「話は終わりだ、政策目標に合致したインフレ率よりも高いインフレ率が収入にもたらす影響は重要ではない」と言っているように受け取られるかもしれない。しかし別の角度から見れば、政策目標と財務目標との間の潜在的な対立やトレードオフが問題であることが明らかにとなる。
Stella and Lönnberg (2008)は、(政府からの移転なしに)長期的な収益性を確保する唯一の方法が、政策目的と合致しない伸び率でベースマネーを増やすことである場合を「政策破綻」あるいは「政策破産」という言葉で表現している[18]。Buiter (2007)は、上記のラッファー曲線のせいで中央銀行がインフレ目標を「独立的にやりくりできなくなる」条件を分析的に導出している。この言葉で彼が意味しているのは、中央銀行の長期的収益性に合致せず、それゆえにプラスの包括的純資産とも矛盾することである[19]。Stell and Lönnbergの政策破綻とは、選ばれた目標が中央銀行によって独立的にやりくりできない状態だと考えることができる。
しかし、中央銀行の長期的な収益性が危うく、包括的な純資産がマイナスになり、インフレ目標を独立的にやりくりできなくなって、政策破産に追い込まれるようなことは、どれほどの頻度でありうるのだろうか。これは実証的な問題である。二つめの論拠として、ベースマネーの独占的発行によって長期的収益性が確保されるとしたが、これは、政策破産に追い込まれるような状況が極めて稀であることを示唆している。ならば、中央銀行の財務状態が政策目標の達成に支障をきたすことを懸念する必要はない。このような見方は、進歩した大規模な金融市場のある米国のような国々で、中央銀行に対する考え方を固めた経済学者によって、しばしばなされるものである。(これは実証的な問題であるので、利用可能な証拠については次のセクションで議論する)。
中央銀行の財務を懸念すべきではないとする第三の論拠は、中央銀行の経営者のポケットの深さである。中央銀行の包括的純資産が単体でマイナスになったとしても、政府の徴税力がその後ろ盾となり、それが政策を妨げることなく活用できるのであれば、問題はないとする[20]。多くのマクロ経済学者は、金融政策と政府財政を、金融当局と財政当局からなる統一的な制度構造の中で考えることで、暗黙のうちにそう仮定している(例えば、Romer (2011) や Walsh (2010) などの標準マクロ経済学の教科書を参照)。だとしても、標準的なマクロでは、インフレを税収源として、しかも潜在的に効率的な税収源として扱うことが一般的である[21]。〔すると〕物価安定という政策目標と、政府支出のための効率的な資金調達という政策目標との間に、矛盾が生じる可能性がある。より極端な場合、金融政策を意図的に軽視する財政当局が、物価安定と整合的でないほど大きな役割を、インフレ税に担わせるかもしれない(Sargent and Wallace (1981))。このような財政の支配が将来的に起こる可能性は、平時においても影響をおよぼすかもしれない。平時においてインフレが歳入増加の手段として利用されるならば、異時点間の予算制約の管理にたいする政府の政策選好についてのシグナルが発せられることになる。財政制約がある時にインフレ税が使われる可能性が大きいとみなされれば、中央銀行による政府収入への貢献が下がれば、税率が上がるよりもインフレ率が上がる可能性が高まるであろう[22]。
これらの財政学的な検討は、中央銀行が、少なくとも物価安定の追求を妨げられることなく、包括的なバランスシートの穴を埋めるために、税収からの移転を常にあてにできるかどうかを疑う理由となる。
さらに、政策立案者の最大の関心事は、インフレ税の濫用を防止することであったため[23]、中央銀行と財務省との制度的分離が好まれ、中央銀行にはインフレ税収が失われることへの財政的配慮に優先する、物価安定の目的が付与された[24]。この文脈では、公共部門を一体にとらえるという仮定はもはや妥当ではない。政治家が最終的な支払い主であり続ければ、政策における政治的選好の役割を制限するための制度的分離が損なわれる可能性がある。中央銀行の包括的純資産を支えるために、税収からの将来の移転にさえ依存することは、制度設計の目的に反することになる。Ize (2005)によれば、インフレに関する信頼性を維持するためには、中央銀行は、現在の利益や現在の会計上の資本がマイナスであっても、その包括的純資産(将来の実質利益)がマイナスでないことが必要である。Buiter (2008)も同じ結論に達している。
このように、中央銀行の財務状態は、政策的義務を果たす能力と本質的に無関係であるという考えを、その結論に導きうる3つの理由すべてに関して否定する文献が存在する。この3つの理由すべてに関連して、既存文献は、中央銀行の財務が政策にとって重要ではないことに異をとなえる、反対の事例や実証的証拠を挙げている。(1) ベースマネーは必要に応じて作ることができるが、物価の安定を犠牲にする可能性がある。(2) ベースマネーの発行を独占しても、政策目的を犠牲にしないかぎり(それにも限界があるのだが)、長期的な収益性は保証されない。(3)政府による所有は、財務的な後ろ盾となりうるが、これは毒薬であるかもしれない。意思決定者のインセンティブを変化させることで、政策パフォーマンスにダメージを与えるかもしれないのである。これらの反例と限界がどの程度一般的で、どれほど実際に重要であるかを評価するために、次に実証的証拠を検討する。
- 実証的な証拠
最も重要な実証的問題は、本質的に中央銀行が常に安定的な巨額の収入源を享受しているのかということである。Martínez-Resano (2004, p. 8)は、この考えを「ナイーブ」だと評している。Schobert(2008)は、1984年から2005年の間に、108箇所の中央銀行のうちで、少なくとも1年間は赤字となった事例を43件報告している。また、Stella and Lönnberg (2008)は、1987年から2005年の間に5年以上連続して損失を出した中南米の事例15を表にまとめ、そのうち8事例は10年以上も損失を出していることを示した。
Fry (1992)は、公表されている利益はふつう、計算上のシニョリッジによる収入よりもはるかに小さく、その差は通常、サブスタンダードの(非市場の)資産と、高価な負債の保有によって説明されると指摘している。Ize (2005)は、純外貨準備の保有コストに着目し、中央銀行の運営コストの伸びと通貨発行との関係に焦点を当てた。こうして彼は、長期的な収益性の問題を定型的に表現し、平均的な低所得国(および、いくつかの中所得国)の中央銀行が、収入ギャップを埋めるのに十分な純資産を持っていなくとも、あるいは物価安定水準以上のインフレがなくとも、運営できるほどの「構造的」利益[25] が十分にあるとは考えにくいと結論付けた。他の研究でIze (2006)は、2003年の87箇所の中央銀行のサンプルのうち、およそ3分の1で構造的利益がマイナスであること、その理由は、典型的には純金利マージンがマイナスで、運営コストが比較的高いせいであることを発見した。構造的利益がプラスであった約3分の2のサンプルでは、これらの純利益は平均でプラス(通貨発行額の10%近く)であったものの、残りの3分の1では大幅にマイナス(3%以上)であった。弱い方のグループの構造的利益の欠如は、運営コストが高いことで悪化した(運営コストは通貨発行額に占める割合でみて、もう一つのグループよりも平均40%高い)。
明らかに、中央銀行が本質的に儲かるものだとは言えない。反例が多すぎるからである。実際、この論文で指摘したいのは、中央銀行の財務は(他の特性もそうであるが)非常に多様だということである。通常時でさえ、多くの中央銀行に長期的収益性があるかは微妙である。
ベースマネー発行の独占権が収益性を保証するという命題に、このような明らかな反証が見られるのはなぜか。Fry(1992)は、中央銀行が引き受けた、あるいは引き受けを強いられた、財政に準ずる活動(準財政活動)のせいだという[26]。他の論者は、為替レートに関連する問題を指摘する。例えば、Schobert (2008)は、調査対象となった(108箇所の中央銀行の1984年から2005年の)年次財務報告のうち、8%で損失が報告されており、その大部分が〔為替介入の〕不胎化費用や為替差損を、最大の支出項目として挙げていると述べている[27]。Cukierman (2011)は、特に金融市場が狭い国では、金融レジームや金融セクター構造の変化が、ともに中央銀行の損失計上を助長するとした。私たちもまた、その理由の一部は、先進国でない国々の金融システムの特性に根ざしており、構造的なものであると考えている(第C部の第1節)。
しかし、財務的な弱さは、本質的に無視しうるものではないとしても、また実際には珍しいことではないとしても、それならば、中央銀行の財務状況はふつう、その目的にとっては重要ではないと言えそうである。Ize (2006)は、これらが一般的に、中央銀行の政策目的にとって重要ではないとは言えないという、それらしい証拠を示している。87箇所の中央銀行のサンプルを、構造的利益がプラスの銀行とマイナスの銀行に分けたところ、2003年の前者の平均インフレ率は後者の平均インフレ率の約3分の1だったという(3.5%対9.5%)。Stella(2003)も、同様の手法を用いて、異なるサンプルで、1992年と1996年、2002年の3年間を対象として、同様の結果を出した(中央銀行を財務的に強いグループと弱いグループに分けたが、指標は損失を用いている)。Stella(2011)は、より広いサンプルと、異なった年次(1992年、1997年、2004年)、異なる財務力の定義(IMFのInternational Financial Statisticsにおける「資本」と「その他の純項目(other net items)」)を用いて、ほぼ同じ結果を得た。財務力が弱い中央銀行には、より高いインフレの傾向がある(2倍)というのである[28]。
また、検討すべきいくつかの事例研究がある。Friedman and Schwartz (1963) によれば,FRB が自らの純資産を気にしていたことが、大恐慌の勃発に対する積極的な拡張的対応を妨げた要因であったという。時計の針を進めると、Ueda (2004)は、1980 年代から 1990 年代にかけてのベネズエラや、同様の時期のジャマイカの事例を、財務的な弱さによってインフレ抑制を断念せざるを得なくなった例として取り上げている[29]。日本は自らを、財務的な弱さによって(あるいはむしろその心配によって)金融政策が制約された例に挙げてきた。中でもVan Rixtel (2009)は、日本銀行の数人の政策担当者たちの、積極的な量的緩和が日本銀行の財務を弱め、独立性の喪失につながりかねないとする懸念の言葉を引用した[30]。
Dalton and Dziobeck (2005)は、個別の具体例としていくつかの事例を取り上げた(ブラジル、チリ、チェコ、ハンガリー、韓国、タイ)。これらにおいては、事前の政策の誤りによって損失が生じたが、多くの場合にはその後の中央銀行の改革によって、損失が政策問題の悪化にはつながらなかった。Schobert(2005)は東欧やトルコの事例を挙げている。これらにおいては、準財政的な理由で取得した不良資産がバランスシート上で十分に大きく、利益を悪化させ、時には政策に支障をきたすこともあった。Stella(2008)はコスタリカとハンガリー、ニカラグア、ペルー、ウルグアイ、そしてベネズエラの事例を考察している。例えばペルー中央準備銀行は、新しい中央銀行法が導入される前の数年間、主に準財政的な原因による赤字が続き、1987年にはそれがGDPの5%を超えたが、その赤字は主に通貨創造によって賄われた。インフレは爆発的に進み、1990年には7000%に達した。アジアの事例も繰り返し引用されている。フィリピンでは、政策能力を再確立するために、1993年に旧中央銀行を清算し、きれいなバランスシートと新しいガバナンス体制を備えた新中央銀行を設立した。Stella (2011)はまた、1990年代半ばのハンガリーや、1980年代後半から1990年代前半のペルーとウルグアイ、それに1990年代前半のニカラグアの事例も取り上げて、中央銀行の財務上の弱さとマクロ経済政策の成果の悪さが対応していることを示した[31]。
しかし、中央銀行に関する重要な最近のケーススタディで、チリに関するもの(特にRestrepo et al (2009))とチェコ共和国に関するもの(Cincibuch et al. (2008) and Frait and Holub (2011))は、財務上の弱さそのものが、実際の政策パフォーマンスを悪化させるものではないことの証拠となる。財務上の弱さにもかかわらず、政策的に良好な結果を実現した中央銀行をざっと確認すれば、これにはイスラエルやメキシコの中央銀行も含まれる。この4つのケースについては、本論文のパートCで詳しく解説する〔※抄訳には含まない〕。
中央銀行が財務上の弱さやストレスを抱えている時期と、政策の結果とを、単純に関連づけるだけでは不十分である。少なくとも、政策の結果を左右する可能性のある他の要因を制御することが求められよう。はっきりと可能性として挙げられることは、国の経済政策のアレンジメントの悪さが、マクロ経済の結果の悪化と、中央銀行の損失の、両方の原因になりうることである。このような可能性をコントロールするために、計量経済学的手法を用いた研究を、私たちは3つだけ知っている。
Klüh and Stella (2008) は(130箇所の中央銀行のサンプルで)、2005年までの10年間で、中央銀行の財務力が低下し、平均資産利益率が約1.7%から約0.75%に低下したことを報告している。彼らは、1987年から2005年までのラテンアメリカ15カ国を対象としたパネル回帰分析によって、購買力の低下を説明する上で、中央銀行の財務が統計的に有意な役割を果たすことを発見した(時には非線形の証拠もあった)。しかし、財務が大幅に悪化しなければ、マクロ経済に結果に重大な影響を与えることはなかった。Benecká et al (2012)は、これらの結果の頑健性をチェックするために、ラテンアメリカ以外の地域にもサンプルを拡大し、異なる実証的手法も追加的に用いた。彼らは、KlühとStellaの結果が確認される場合もあったが、一般的にはその関係は弱く、頑健ではないと結論付けている。
Adler et al. (2012)は別のアプローチをとり、中央銀行の財務がマクロ経済政策の結果に与える影響を問うのではなく、金融政策のありかたに与える影響を問うた。そのさい、最適化された政策反応関数をベースラインとした[32]。これは、中央銀行がコントロールできる範囲を超えた、マクロ経済政策の結果を決定する追加的要因という問題を回避するためである。その結果、中央銀行の財務の脆弱性が、「最適」な金利設定からの乖離に、統計的に有意な影響を与えることがわかった。ただし、これらが最も頑健かつ有意に現れるのは、政策の乖離が大きい場合に限られる。しかも、これらの結果があてはまるのは、先進国でない場合に限られる。これは、政策機関の質が違いをもたらしている可能性がある。
- 要約
既存文献のメッセージを要約するならば、理論的には中央銀行はベースマネー発行の独占権や、破産手続きからの保護、〔政府〕という極めてポケットの大きな所有者の後ろ盾といった、明確な財務上の利点があるにもかかわらず、財務上の困難に陥る可能性がある。このような問題は、包括的純資産がマイナスであること(つまり赤字を埋め合わせるだけの、恒久的な将来の収益性が不十分であること)によって特徴づけられる。このような状況に陥る恐れのある中央銀行が利用できる回避策は2つしかないようであるが、そのどちらも、魅力的なものではない。一つは、インフレ対策をゆるめたり、〔経済的に〕望ましくとも財務的なリスクのある政策行動を避けたりといった、政策方針の変更である。この回避策にも限界がある。インフレ率の上昇によって、得られる利益は結局のところ減ってゆくし、金融市場の機能低下によって仲介機能が海外に出て行く可能性もある。第二の回避策(すなわち納税者からの新鮮な実物リソース)は、納税者のリソースが政治的プロセスを通じて仲介されることになるため、中央銀行の独立性によって意図的に構築された政策決定インセンティブ構造と、矛盾する可能性がある。また、政府がインフレ税に手をつけようとしないほどには、財政のあり方はよくできたものではないかもしれない。
利用可能な限られた実証的エビデンスは、中央銀行の財務的な弱さがその政策の成功の見込みに与える影響について、確定的ものではない。文献で指摘されているような、理論的な財務的障害は、一般的には認識されていないが(特に発展度合の低い国々では)現実に存在する。既存文献でさほど明確になっていないことは、中央銀行が最終的に財政支援を必要とするかもしれないという(理論的な)可能性が、現在すぐ、様々な経済主体の態度や期待に影響を与えるかどうかである。我々はこの文脈においては、財務上の強さや弱さを示す、現在慣習的に用いられている会計指標が、様々な経済主体によってどの程度まで、政策の深遠なる限界に近づいたことを示すノイジーなシグナルとみなされるかについて、フォーマルな証拠を持っていない(実際には、後述するように、しばしば誤解を招くシグナルとなる可能性がある)[33]。この未知の部分が、より重要性を増しているのかもしれない。2007年の金融危機が発生する以前から、中央銀行の財務状況が弱まる傾向にあったことを示唆する暫定的なデータもある。本稿で論じるように、金融危機によっていくつかの先進国の中央銀行の財務エクスポージャー〔リスク資産を含む資産の構成〕が大きく変化し、その結果、後進国の中央銀行の財務状況とよく似たものになるかもしれない。
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[14] 印刷費その他の通貨管理コストや、中央銀行における預金口座を支えるコンピュータシステムの維持コストは、一般的には些少ものであるため無視している。
[15] これは、中央銀行がベースマネー発行を独占することによる未登録のフランチャイズ価値よりも大きな正味現在価値を持つ偶発債務やその他のオフバランス負債を持っていないことを前提としている。
[16] 限定詞の意味は、インフレ率が高いほど名目金利は高くなり、中央銀行の純利鞘が拡大するということである(仮定として、ベースマネー負債の大部分が無利子であり、それによって市場利回りを稼ぐことができるものとする)。
[17] Easterly, Mauro and Schmidt-Hebbel(1995)の研究では、1960年から1990年の間に、高インフレ(年率100%以上)の途上国11カ国のサンプルでは、インフレ率が250%程度になることが示唆されている。
[18] Fry (1992)は、中央銀行が負債を返済し続けるためには加速度的なインフレが必要となる状況を、中央銀行の破綻とした。
[19] Buiterはまた、インフレ目標が中央銀行と財務省の「協働してもやりくり可能」でない条件も導出した。このような場合には、政府が中央銀行を救済して目標をやりくりさせることもできない。
[20] Buiter (2008)は納税者が、財務省を通じて中央銀行の支払能力を保証する究極かつ唯一の保証人であると論じている。したがって、各国の財政当局は、納税者が中央銀行の純資産を保証していることを周知する必要がある。彼は(この2008年の論文では)、中央銀行の独立性が(例えば、物価安定目標の達成や規制の執行を見合わせないという約束の信頼性を高めることによって)公共政策目標の達成を支援するために定められた状況における、中央銀行の政策の有効性に対する財政当局のこの重要な役割の意味するところを論じていない。
[21] Phelps (1973)や Poterba and Rotemberg (1990) 、Chari and Kehoe (1999)を参照。もしインフレが多くの税源の一つであると実務上広く考えられていれば、ある種の景気循環に関連する特性が観察されるはずである。しかしRoubini and Sachs (1989) や Edwards and Tabellini (1991) によれば,一般的にはそうではない。Delhy Nolivos and Vuletin (2012) は,これは中央銀行の独立性の程度をコントロールできていない結果かもしれないと示唆している(独立した中央銀行は,税率(すなわちインフレ率)を反循環的に調整したり、他の税収が減ったことによる穴を埋めたりすることはない)。
[22] 物価水準の財政理論では、財政当局が政策パスを選択するまで物価は不確定であり、物価水準は財政政策と金融政策の結合関数となる(Leeper (1991), Sims (1994), Woodford (1995), Kotcherlakota and Phelan (1999) を参照)。Sims (2003, 2008)は、中央銀行の独立的アイデンティティを無視できるかどうかは、税金が最終的に中央銀行の純資産をバックアップするという理解にかかっていると指摘している。このような裏付けがない場合(SimsはECBがそのような立場にある可能性を示唆している)、中央銀行は純資産を維持することにもっと気を配る必要があるかもしれない。一方、Zhu (2003)は、Benhabib et al (2002)の財政理論モデルにおいて、中央銀行が自らの純資産に関心を持つと仮定することで、中央銀行の財務に独立した役割を持たせている。流動性の罠では、中央銀行が自らの財務を気にするあまり、十分に積極的な政策をとれなくなり、マクロ経済が不安定になる(局所的不確定性や分岐)。
[23] ここでいう濫用とは、インフレのコストに対する誤った認識や、意思決定者のインセンティブのゆがみによって、最適なインフレよりも高いインフレを許容してしまうことを意味する。
[24] 制度的な分離や独立性を主張する文献には、主に2つの流れがある。一つは、インフレバイアスがインフレと短期生産のトレードオフの相互作用に起因し、それが政策決定者の行動に対する期待に影響を与える(Barro and Gordon (1983); Persson and Tabellini (1993); Walsh(1995); and Albanesi et al (2003) )というモデルである。もう一つは、景気循環や変動の要因として、政治的競争がマクロ経済政策に与える影響に着目したものである(Alesina (1987) に始まり、その後の様々な共著者による研究、Drazen (2000) など)。これらのインフレバイアスの原因は、概念的にはインフレ税とは無関係であるが、制度的分離を動機づけることによって、同じように、中央銀行が政策目標の達成を妨げられることなく財務体質を保証するために、政府の救済に依存できるという命題を弱めることになる。
[25] これは大まかに言えば、発行通貨の裏付けとなる資産から生み出される利益から、有利子負債の支払利息や運営コストを差し引いたものである。Ize (2005)も参照。
[26] 準財政活動とは、財政当局が税や補助金の組み合わせによって予算内で実施できたはずの、再分配的な政策行動のことであると考えられる。
[27] FryとSchobertの見解は、必ずしも対立するものではない。とりわけMackenzie and Stella (1996)は、為替レートに関する行動は、再分配的である(例えば、輸出企業を優遇する)という意味で、しばしば準財政的な性質を持ち、原理的には財政による、明示的な税や補助金、支出によって実施しえたものと主張している。多くの金融政策措置が所得分配と財政に(部分的には中央銀行自身の財務活動を通じて)影響を与えるのであるから、財政政策と金融政策の間の境界線は全く明確なものではない。Goodfriend (2011)によれば、信用政策は明らかにその境界線を超えている(信用政策は、中央銀行のバランスシートの構成を変えるが、銀行の準備預金(bank reserve)やそれに対する支払利息に影響を与えないため、政策金利(フェデラルファンド金利)を変えない行動と定義されるものである)。金融政策と、準備預金に付利をする政策は(彼が論じた他の2つのカテゴリーであるが)、財政的効果を持つものの、より明確に金融的な性質を持っている、と彼は述べる。それでもGoodfriendは、ゼロ金利下限においては、利潤に対するリスクと、財政的収入に関するリスクが大きくなりうるので、中央銀行の財務的独立性を維持するためには、財政当局による事前の支援が必要になる場合があると論じている。Shirakawa (2010)はより明確に述べている:「中央銀行が行う非伝統的政策手段には、準財政的な要素が含まれている。たとえば、そうしたオペレーションによる損失に伴う潜在的な納税者負担や、ミクロレベルでの資源配分への介入などである。...民主主義国家においては、これらの措置は政府によって決定さ実施される必要があるのであるから、政府が決定を先送りすれば、中央銀行は難しい立場に置かれる。」
[28] ハイパーインフレの異常値を除いても、99%の信頼水準で統計的な差が見られる。
[29] Vaez-Zadeh (1991) もジャマイカの経験を論じている。彼による歴史的解釈では、中央銀行は、自分の負債に支払う金利を引き上げれば、金利支払いコストが増え、既存の損失が増幅することになるので、金融抑圧(中央銀行の施設を利用する銀行に対する経済的に非効率な罰則)に転じざるを得なかったという。
[30] van Rixtel (2008) の Box 1 を参照。Cargill (2005) と Benecká et al (2012) も参照。Sims (2003)は、自らの独立性を心配する中央銀行が、自身の財務リスクへの影響を考えて金融刺激策を控えるかもしれないと述べたが、この問題を日本銀行ではなくECBと関連付けていた。その代わりに彼が示唆したのは、日本の財政当局の側が、中央銀行の実質的な負債の増加を懸念して、景気刺激策を弱めた可能性であった。重要なのは、そのようなことが政策に影響を与えたことを、現在の日銀幹部が否定していることである。白川総裁は、政策的な利益と日銀の財務上の利益との間に対立があることを認識しつつも、政策的利益の方が支配的であると明言している(Shirakawa (2010))。
[31] 我々はここでは明確化のために、財務上の弱さに関する定義として、「政策目標の達成を妨げる財務状況」というStella(2008)の定義を用いない。本稿の文脈では、このような定義では循環論法となるためである。
[32] 政策反応関数はテイラールールの精神を受け継いだ道具的ルールであるが、金利の平滑化と為替レートへの反応を許容している。サンプルは、為替レートの柔軟性がある程度ある国に限定されている。
[33] Vaez-Zadeh (1991)は、中央銀行に損失が現れるだけで、マクロ経済の結果に悪影響が及ぶ可能性があることを示唆した。
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