朴勝俊 Park SeungJoonのブログ

反緊縮経済・環境経済・政策に関する雑文 

「構造改革」で労働生産性を向上させることは本当に、「給料安すぎ問題」の解決策なのか?

toyokeizai.net
2020/09/11 追記:関連動画とスライドはこちら(説明の図式は若干異なります)

parkseungjoon.hatenadiary.com


<はじめに>

 経営アナリストのデービッド・アトキンソン氏が「MMTでは解決しない「日本人の給料安すぎ問題」 労働生産性向上のため「産業構造」を転換せよ」という論考を発表された(東洋経済Online,2020/7/9)。この論考はあるツイートの引用からはじまる。「アトキンソン氏のお話は先日ある学界で聞いたが、端的に言ってマクロ経済の理解を誤っている。GDP=人数×生産性なる数式を出して、小企業を淘汰して生産性を上げれば日本は成長するという。逆です。生産性=GDP÷人数だから、積極財政で成長させることが第一です」というツイートであり、この論考はこれに対する「反論」なのである。

 実は、このツイートは他ならぬ、わたくし朴勝俊のものである。なお、私はMMT(現代貨幣理論)の論者ではないので、彼のMMTの理解についてはあまり深く詮索しない。しかし、MMTはひとつの経済学説なのだが、氏は政府支出をいくらでも増やす政策と勘違いしている可能性があることは、指摘しておきたい。

 拙稿の問いは、タイトルのとおり「「構造改革」で労働生産性を向上させることは本当に、「給料安すぎ問題」の解決策なのか?」ということである。アトキンソン氏は生産性向上によって「日本人の給料安すぎ」を解決しようとしているようである。しかし、本稿は、現状の不完全雇用下で、「ゾンビ企業」の淘汰を含む労働生産性向上策が仮に成功したとしても、失業が増えるだけで給料は上がらず、一人当たりGDPはむしろ下落することを明らかにする。

 

アトキンソン氏の理解>

 氏は上記のツイートを引用した上で、「「GDP=人口×生産性」も「生産性=GDP÷人口」も数学的には同じことですが、言わんとする意図は伝わります。この意見は、「政府が財政支出を増やせばGDPが増える。生産性=GDP÷人口なので、生産性を上げることもできる」と解釈できると思います」と述べた。ほぼ、その通りである。いつの間にか、人数が人口に変わっているが、私の意図するところはある程度、理解していただけたものと思う。

 引用箇所についてひとつ付け加えるなら、「数学的には同じ」式であっても、経済学の方程式については一般に、左辺に来る変数が結果を意味し、右辺にくる変数がその原因とみなされる、ということである。アトキンソン氏は、生産性が原因となってGDPが決まると考え、私はGDPを決める様々な要因によって、結果として生産性が決まると考えているのである。

 氏は(彼が解釈するところの「MMTの主張」が正しいとすれば)「日本政府は支出を大きく増やすことで、GDPを高めることができます。「生産性=GDP÷人口」ですから、生産性も上がります」と述べられている。このカッコ内の理解はほぼ正しい(正確には、労働生産性GDP÷就業者数であり、GDP÷人口=一人当たりGDPであるので、話はちょっとだけ違ってくるが、後に詳しく説明する)。

 さらには、氏が「労働市場完全雇用に近くなると、労働参加率はもう上がらなくなります。そこから生産性をさらに上げるには、労働生産性を高めていくしかありません」と言っていることにも、異論はない(多分、MMT論者も異論はないであろう)。完全雇用になってはじめて、生産性の上昇がGDPや賃金の上昇と矛盾しなくなるのである。

 ここまでで、現時点におけるアトキンソン氏の認識はかなり正しいことが分かる。

 そのため、話はこれで終わりだと思いたいのだが、それでは終わらない。氏は、「人の給料は、国全体の生産性で決まるものではありません。人の給料は、労働生産性で決まります。ですからMMTは、労働生産性を高める効果がない限り、給料とは関係のない経済理論なのです」という。やはり労働生産性にこだわりがあるというか、労働生産性があたかも、何らかの能率のようなものと考え、能率を上げることによって賃金が上がると言いたいようである。では、「国全体の生産性」とはなんだろう? 「労働生産性」との違いは? そして、「労働生産性」と「給料」との関係は、いかなるものだろう。以下で詳細に検討する。

 

アトキンソン氏の生産性概念の混乱>

 アトキンソン氏は、左辺を生産性とする式(生産性=GDP÷人口)を、次のように展開してくれている。

 

「冒頭に引用した意見にもあったとおり、「生産性=GDP÷人口」です。この式は「生産性=労働生産性×労働参加率」と展開することができます。
【補足】生産性=GDP÷人口=GDP×(1/人口)=(GDP/就業者数)×(就業者数/人口)=労働生産性×労働参加率
 実際に仕事をしている就業者の労働生産性が1000万円の場合、国民の中で就業者が占める比率、すなわち労働参加率が50%であれば、国全体の生産性は500万円となります(1000万円×50%=500万円)。

 このときの失業率が10%だとしましょう。国がお金を出して需要を増やし、企業が労働者を雇って失業率がゼロになれば、労働参加率は60%になります。労働生産性が変わらなくても、生産性は600万円まで高まります(1000万円×60%=600万円)。」(※改行位置は筆者(朴)が適宜変えている)。

 

 この箇所を読まれた方は混乱を覚えたに違いない。ここは、アトキンソン氏が人数を人口としたことによって、混乱が生じたものと思う。アトキンソン氏は「労働生産性」とは別に、一人当たりのGDPのことを「生産性」とか「全体の生産性」と呼んでいるのだが、このような言葉の使い方は特殊である(生産性の分母となりうるのは、あくまで働き手の数である)。そこで、GDP÷人口のことを、ただしく「一人当たりGDP」と呼ぶ。また、就業者数÷人口のことを氏は「労働参加率」と呼んでいるが、正確には、労働参加率とは一般に、15歳以上の人口に占める、失業者を含む労働力人口(就業者数+失業者数)のことであるから、氏が意図する意味(就業者数÷人口)とは異なる。ここでは就業者数÷総人口を「就業者総人口比」と名付ける。

 彼がここで言っていることは要するに、失業が解消され、就業者数が増えることによって、労働生産性が変わらなくても、一人当たりGDPが増えるということである。これは当然のことである。そして、失業が解消されれば、アトキンソン氏の言うように、1人あたりGDPの増加は労働生産性の向上とともに起こらねばならない。逆に言えば、就業者数が一定の場合も、全体のGDPが増えれば労働生産性が向上することに代わりはないが、そのGDP成長は、供給力(設備・技術力)の増強によって行われねばならない。この理解は正しい。

 同じことだが、ある箇所で「労働生産性が上がらないと、政府支出を増やした分だけ、おそらくインフレになっていくと考えられます」と彼は述べているが、これは言い換えれば、完全雇用時には、供給力の増強が必要だということである。これも正しい(全てのMMT論者が、そのことを正確に理解していると思う)。

 他方、別の箇所で「労働参加率(※就業者総人口比)が高まることによって全体の生産性(※一人あたりGDP)は上がっていますが、労働生産性はあまり上がっていません。金融政策、財政政策の限界にさしかかっていると考えられます」と述べている。どこかで聞いたような話だが、今回の議論は「金融政策や財政政策の限界」の話とは無関係である。一般に、不完全雇用時には財政政策は有効であるし、民間の需要と外需が停滞している時には、政府が支出を増やすしかない。

 さらに付け加えるならば、労働生産性と賃金はまた、別の話である。労働生産性が上がったからと言って、企業の取り分が増えるだけで、賃金が上がらないこともある。賃金が上がるためには何が必要なのか? 不完全雇用の状況で「ゾンビ企業」をなくすことによって賃金を上げることは可能なのか? 次節で、簡単な数値例を用いて検討する。

 

<数値例による検討>

 日本の2018年度の名目GDP(Y)は、約548兆円である。うち、民間消費(C)は約305兆円、民間投資(I)は約106兆円、政府支出(G)は約137兆円、純輸出(NX)は約1兆円である。また、2018年度の雇用者報酬は285兆円である(総務省統計局、GDP統計より)。従って、GDPに占める雇用者所得の比率は約52%である(表1)。それ以外の48%は、営業余剰や間接税などであり、これらをまとめて「それ以外のGDP」と呼ぶ。不完全雇用時には、Y=C+I+G+NXという式が必ず成立する。GDPが需要側(YD)で決まるのである。完全雇用時にはYが一定の上限(Ymax)を超えることはできない(右辺の総額や各要素は、それに制約される)。つまりYD>Ymax=Yの時は、需要を増やしても物価上昇が起こるだけで、実質のGDP労働生産性も高めることはできない。従って、設備増強・能率向上が必要となる。なお、ここでは名目GDPをそのまま用い、物価上昇に伴う名目GDPと実質GDPの乖離についての議論は、単純化のため捨象する。つまり、物価上昇が起こった場合は、実質値は変化しないものと考え、値は実質値として解釈する。

 人口や労働力に関する近年の数値は表2に示すとおりである。日本全体の人口は1億2593万人である(総務省統計局「人口推計」2020年6月推計値)。そして、2020年5月の労働力調査によれば、就業者数6656万人、15歳以上人口1億1084万人である(総務省統計局「労働力調査」2020年5月分結果)。これらを用いて、一人当たりGDPや一人あたり賃金等を求めた(表3)。GDPと人口の推計年次が異なるが、ここではそのまま計算に用いる。

 

 

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[1] 不完全雇用時の政府支出の増加の効果

 現状の、GDPが548兆円の状況を、物価上昇率がゼロ未満であることから、不完全雇用と判断する。不完全雇用時に政府支出を20兆円増加させると、乗数を1とすれば、GDPも20兆円増加(3.6%増加)し568兆円となる。一人あたりGDPは451万円となる。仮に、就業者数を一定とすると、3.6%の生産性向上となり、労働生産性は853万円/人となる(ただし、労働生産性が上がったからと言って賃金が上がるとは限らない)[1a]。しかしながら、[1a]のような状況になることは考えにくい。アトキンソン氏が想定するように、労働生産性が一定(823万円/人のまま)で、就業者数が増加するケースの方が現実的である。この場合、3.6%だけ就業者数が増加することになる。就業者1人あたり賃金も変化しないとすれば、428万円/人のままである[1b]。現実は[1a]と[1b]の間になると考えられる。例えば生産性が1.6%向上し、雇用が2%増加する状況である。いずれの場合も、悪化する指標はないので、経済状況は改善したと言えるだろう。この状況で、生産性の低い企業が生き残っても、誰に迷惑をかけるわけでもない。

 消費税の減税によって、消費(C)を増やす政策も、これと類似した結果をもたらす。

 

[2] 完全雇用時の政府支出の増加

 完全雇用時に政府支出を増加させても、実質GDPを高めることはできない(物価は上昇するかもしれないが、ここでは捨象されている)。政府支出が増加したぶん、民間の消費や投資が減少する。しかし政府支出が行われた部門で、労働需要が増えるならば、物価上昇とともに経済全体の賃金を引き上げる効果があるかもしれない。

 

[3] 不完全雇用時の「構造改革

 アトキンソン氏が提唱しているのは、現状のような不完全雇用時でも政府支出を避け、「産業構造を効率化して労働生産性を高める」ことである。ここで、生産性の低い企業を淘汰するような「構造改革」を行い、就業者数を3%減らしたとしよう。構造改革GDPを増やす魔法ではない。C+I+G+NXのいかなる需要項目をも増やす効果がないので、GDPを増やす手段にはならない。

 さらに就業者の減少に伴って、消費支出(C)が(控えめにみて)2%減少するものと考えよう。この時、GDPは6.1兆円減少(305×0.02=6.1)して、541.9兆円となる(波及効果を捨象)。1.1%の減少である。一人あたりGDPも1.1%減少し、約430万円となる。GDPが1.1%減少し、就業者数が3%減少するとき、労働生産性は約2%向上する。しかし、これは労働者数を削ったことによる生産性向上なので、賃金の上昇にはつながらず、その成果は使用者側(企業側)にゆくと考えられる(賃金はむしろ下落する可能性もあるが、ここでは不変とする)。

 

[4] 完全雇用時の能率向上

 完全雇用の場合で、実際の需要(YD)が上限(Ymax)を上回っている場合には、民間消費(C)や民間投資(I)の需要が、供給の制約によって満たされていない。この時には、能率の向上は望ましい。まず、その時には能率の向上によってYmaxが増えると、潜在的な需要が満たされCやIが増えるので、GDPも増加する。次に、ある企業が「人減らし」によって能率を上げようとした場合にも、解雇された人は他の職に移ることができる可能性がある。この時、政府支出(G)をことさらに増やす必要はない(必要な公的支出を増加させるためには、CやIを増税などで抑制する必要がある)。

 そのような理想的な状況(日本では満たされていないが、過去において、多くの国々で普通だった状況)は、以下の数値例で表現できる。まず、能率の向上によってYmaxを2%上昇させることに成功したとしよう(上限GDPは11兆円の増加)。この時、ある部門で失業した人は他の職を見つけることができたと仮定して、就業者数を一定とすれば、一人当たりGDP労働生産性も2%上昇することになる。しかしながら、この時に、全般的な労働力不足が起こらず、賃上げが起こらなければ、賃金はおそらく一定となる(表4の[4])。従って、賃金上昇圧力が生じるためには、それ以上の需要圧力がなければならない。このケースでは労働不足の状況や賃上げの状況しだいでは、賃金が上がる可能性もあるが、それは能率向上の結果ではない。

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  上記の[1]~[4]のケースを要約したものが、表4である。理想的なケースは[4]であり、この時には能率向上のための企業や政府の施策が、労働生産性と一人あたりGDPを向上させる可能性があるが、必ずしも賃上げにつながるとは限らない。賃上げが生じるためには、需要圧力が十分高くなければならない(アトキンソン氏が他の箇所で論じている最低賃金の引き上げも有効かもしれない)。他方、アトキンソン氏が言うような構造改革や「ゾンビ企業」の淘汰を、不完全雇用時に行えば、ケース[3]で示したように、たとえ労働生産性が上がったとしても、一人あたりGDPが減少するだけである。

 

<結論>

 アトキンソン氏の論考は、「やはり産業構造を効率化して労働生産性を高める以外、「給料安すぎ問題」の解決策はありえません。日本政府は、政府支出を増やしても増やさなくても、結局は産業構造の問題にメスを入れざるをえないのです」と結論づけている。労働生産性を高めるべく、生産性の低い企業を淘汰するような「構造改革」を行うことによって、「給料安すぎ」を解決できるという考えであるが、これは誤りである。

 現状は、物価上昇率が低迷していることから、不完全雇用であると推定できる。そのような状況で「ゾンビ企業」をつぶして就業者を失業者に変えれば、企業部門の能率や、定義上の労働生産性は向上する可能性があるが、一人当たりGDPは減少し、賃金は上がらない(ケース3)。

 それよりは、政府支出を増加させ、一人当たりGDPを上昇させた方が望ましい結果になる。生産性が低いとされる企業が生き残ることは、誰に迷惑をかけることでもなく、望ましいことである。

 アトキンソン氏の主張がそれなりの合理性をもつ理想的な状況は、完全雇用で需要が十分にある場合である(ケース4)。この時、ことさらにGDPを増やす目的で政府支出を増やす必要はない(ただし、無駄な民間から、必要な公共にシフトすることは意味がある)。このような状況では生産性向上とGDP上昇は並行して起こる。従って、民間企業の能率向上につながるよう、「技術の普及、産業構造の効率化、企業規模の拡大、輸出の促進、規制緩和、新商品の開発などが不可欠です」という氏の提言はおおむね妥当であると考えられる。それに反対する「MMT論者」など、誰もいないのではないかと思われる。

 しかし、生産性と賃金は別である。生産性が上がったからといって、賃金が上がるとは限らない。賃金を上げるためには、需要が十分に増えて、労働市場が逼迫するとともに、労働者の交渉力が高められる必要がある。アトキンソン氏が別の箇所で主張している最低賃金の引き上げも有効かもしれないし、労働組合の交渉力を強くする規制強化や、労働時間の短縮のための政策も求められよう(生産性を労働者1人の労働時間1時間あたりで定義するならば、なおさらのことである)。

 アトキンソン氏の提言は、現在の日本の状況下では失業者を増やすことに繋がり、有害ですらある。アトキンソン氏の提言を充分な検証なく持ち上げ、実行に移せというようなメディアや企業、政治家がいれば、厳しく批判されるべきであろう。