朴勝俊 Park SeungJoonのブログ

反緊縮経済・環境経済・政策に関する雑文 

『100%マネー』第一章・要約 アービング・フィッシャー著(1935年刊)、朴勝俊訳

100%マネー

アービング・フィッシャー著、朴勝俊訳

1935年刊

※文末にPDF版を掲載しています

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$5 large-size Federal Reserve Bank Note, Series 1918(National Museum of American History - Image by Godot13)

 

はじめに

 

アメリカでは、他のいくつかの国と同様に、請求書の支払いのほとんどが小切手で行われています。

小切手を振り出す人は、小切手帳に記された口座の、「銀行に預けているお金」を引き出せるようにします。全国の小切手帳に記された金額の合計が、つまりすべての当座預金(checking deposits、銀行に預金されていて小切手の対象となる「お金」だと、一般的に考えられているもの)の合計が、米国の主な流通媒体〔広い意味でのおカネ〕を構成しています。これを実際の現金つまり「財布のおカネ」とは区別して、「通帳のおカネ」と呼ぶことにします。財布のおカネはこの2つのうちで、より基本的なものです。見ることも触ることもできます。でも通帳のお金はそうではありません。それがおカネであるとして、本物のおカネであるかのように渡すことができるのは、それが本物のおカネを「代理している」と信じられているからす。〔銀行で〕要求払いの形で小切手を「現金化」し、本物のおカネに変えることができるからです〔訳注:ここでいう当座預金は要求払い預金であって、小切手が使える以外は、普通預金と同じものと考えて差し支えありません〕。

通帳のおカネと財布のおカネの最大の違いは、後者が無記名のおカネ(bearer money)で誰にとっても有難いものなのに対して、通帳のおカネは受け取ってもらうために、受取人の特別な許可が必要なことです。

大恐慌前の代表年としての1926年には、ある推計によれば、アメリカの人々の「通帳のおカネ」の合計は220億ドルでした。一方で、米国財務省と銀行の外にある財布のおカネは、つまり国民の財布や商人の現金箱の中にある実物の無記名のおカネは、全部で40億ドルにも満たないものでした。両者を合わせると、人々がもつこの国の流通媒体の総額は260億ドルとなり、そのうち40億ドルが手渡しで、220億ドルが小切手で流通していることになります。

多くの人々は、通帳のおカネは本当にお金で、本当に銀行にあると想像しています。でも、これは事実とは大違いなのです。

では、私たちが間違って「銀行にあるお金」と呼んでいる、この不思議な「通帳のおカネ」とは何でしょうか? それは、銀行が預金者の求めに応じて(要求払いで)お金を渡すという約束に過ぎません。1926年には、220億ドルの当座預金の裏で、実際に銀行が保有していた現金は30億ドルぐらいしかありませんでした。残りの190億ドルは、お金以外の資産でした。つまり約束手形国債社債などでした。

1926年のような平時には、銀行は30億ドルぐらいの現金を持っていれば、どの預金者がいくら引き出しに来ても「現金」を渡すことができました。でも、預金者全員が一斉に現金を求めてきたら、銀行は他の資産を売却して、ある程度の現金を調達できるとしても、十分な金額を調達することは決してできません。なぜならアメリカ全体でも220億ドルに相当する現金など存在しないからです。また預金者全員が同時に金(きん)を求めてきたら、全世界から集めても十分な金を集めることはできないでしょう。

1926年から1929年の間に、流通媒体の総数は約260億から約270億へとわずかに増加しましたが、その内訳は通帳のおカネが230億、手帳のお金が40億でした。

さて1929年から1933年の間のできごとです。1929年には270億ドルの流通媒体がありました。しかし1933年になると通帳のおカネは150億ドルまで減り、財布や現金箱の「本当のおカネ」50億ドルと合わせても、流通媒体は200億ドルとなりました。260億から270億への増加はインフレーションで、270億から200億への減少はデフレーションです〔本書では物価の騰落ではなく、おカネの量の増減をインフレ・デフレと言っていることに注意〕。

1926年以降の好況と不況は、1926年、1929年、1933年の3つの年をとったとき、260、270、200という3つの数字にはっきりと現れています。

おカネの量のこうした変化は、同じような流通速度の変化によって、さらなる悪影響をもたらし。例えば1932年と1933年には、流通媒体が少なかっただけでなく、その循環が遅くなったのです。つまり、おカネの貯め込みが蔓延していたのです。

1929年と1933年のおカネの流通量はそれぞれ270億と200億でしたが、その循環回数がそれぞれ30回と20回だったと仮定すると、流通総額は1929年が27×30=8,000億ドルだったのに対して、1933年は20×20=4,000億ドルとなります。

量が変化したのは、主に預金のほうです。すでに述べたように、通帳のおカネの総額は220、230、150でしたが、現金は40、40、50でした。この不況の本質的な部分は、通帳のおカネが230億から150億へと減少したことです。つまり、みんながビジネスをするための高速道路ともいうべき流通媒体が80億ドルも消えてしまったことなのです。

人々にとって、通帳のおカネが80億ドル減った分、財布のおカネが10億ドル(つまり40から50へ)増えました。これは、人々が銀行からこの10億ドルの現金を引き出し、銀行が引き出しに応じるために80億ドルの信用〔貸付などのことを〕を破壊したことを意味します。

80億ドルもの「通帳のおカネ」の損失(破壊)は、ほとんどの人が実感しておらず、ほとんど言及されていません。2万3千キロの鉄道のうち8千キロが破壊されたとしたら、新聞の大きな見出しになったでしょう。それでもそのような災害は、私たちの主な通貨ハイウェイともいうべき、230億ドルのおカネのうち80億ドルが破壊されたことに比べれば、小さなものでしょう。人々が自分のお金と思っていたものが、80億ドルも破壊されたことは、不況において最も不吉な事実であり、そこから失業と倒産という2つの大きな悲劇が生まれたのです。

人々は、主な流通媒体230億ドルのうちの80億ドルの犠牲を強いられましたが、これは100%システムが採用されていれば避けられたことでしょう。第7章で見るように、その場合には大恐慌は起こらなかったでしょう。

通帳のおカネの破壊は、自然的で必然的なものではなく、システム(制度)の欠陥によるものでした。

現在のシステムでは、銀行は融資を行うことで「通帳のおカネ」を創造したり破壊したりしています。銀行が私に1,000ドルの融資を行い、それによって私の当座預金に1,000ドルが追加されたとき、その1,000ドルの「銀行にあるお金」は、新しく生まれたものです。それは、銀行が私への融資から新たに作り出したもので、私の通帳と、銀行の帳簿にペンとインクで書かれたものです。

すでに述べたように、このペンとインクの記録いがいには、この「お金」は実際の物理的な存在ではありません。後日、私が銀行に1,000ドルを返済する時には、私の当座預金からそれを支払います。すると私の通帳と銀行の帳簿の上で、それだけの流通媒体が破壊されます。つまり、完全に消えてしまうのです。

このように、わが国の流通媒体は、銀行の融資取引に翻弄されています。何千もの銀行は、実際のところ、無責任な民間造幣会社のようなものです。

問題は、銀行が現金を貸しているのではなく、自分が持っていないお金を、要求に応じて渡す約束をしているだけだということです。銀行はわずかな現金準備の上に、このような「信用(預金残高)」を、つまり「通帳のおカネ」を逆ピラミッド状に積み上げ、その量を増やしたり減らしたりすることができるのです。

預金者にとっても、銀行にとっても、そして何よりも何百万人もの「無実の傍観者」である一般市民にとっても、このように頭が重たいシステムが危険だということは、明らかでしょう。特に、デフレになると、人々はモノのやり取りに必要不可欠な循環媒体の一部を、奪われることになるのです。

おカネと同じ機能を持つ通帳残高の発行を銀行に認めることと、「野良猫銀行券」時代のように紙幣の発行を銀行に認めることとは、現実的にはほとんど違いがありません。それは本質的に同一の不健全な行為なのです。

当時の紙幣と現在の預金は同じようなものです。しかし、預金が目に見えない形で創造されたり破壊されたりするのに対して、紙幣は目に見える形で印刷されたり焼却されたりします。もし1929年から1933年の間に、80億枚の紙幣が焼却されていたならば、その事実が見過されることはなかったでしょう。

 主に融資に基づく当座預金(通帳のおカネ)のシステムが、現在使われている少数の国から全世界へと広がっていくと、そのあらゆる危険性がはるかに大きくなります。結局のところ、このシステムを変えない限り、将来の好況や不況は過去のものよりも悪化する恐れがあるのです。

現在のシステムの危険性やその他の欠陥については、後の章で詳しく説明します。しかし本書で提案する改善策の概要を説明するには、ほんの数行の文章で十分です。

 

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A cheque from 1905(Whitney Bank, New Orleans, Louisiana)

 

本書の提案

 

政府は、特別に創設された「通貨委員会(Currency Commission)」を通じて、すべての商業銀行が保有する資産を現金と交換して、当座預金残高の100%相当まで現金準備を増やします。言い換えれば、政府は通貨委員会を通じてこのおカネを発行し、そのおカネで銀行の債券や手形などの資産を購入したり、それらの資産を担保に銀行に貸出を行ったりするのです[1]。そうすれば「通帳のおカネ」の全額の背後に現金が、つまり「財布のおカネ」があることになるのです。

(委員会通貨または合衆国紙幣と呼ばれる)この新しいおカネは、単に当座預金の全額に現金の裏付けを与えるだけであって、それ自体が流通媒体の総額を増やすことも減らすこともありません。当座預金残高が1億ドルある銀行が、1,000万ドルの現金しか持っていなかった(残りの9,000万ドルは有価証券として保有していた)場合、この9,000万ドルの有価証券を通貨委員会に送り、9,000万ドルの現金を受け取ることによって、現金準備の総額は1億ドルに、すなわち預金残高の100%になります。

銀行は、有価証券と現金との入れ替えが完了した後は、要求払い預金(demand deposits)の金額に対して100%の現金準備を保ち続けることを求められます。こうなれば、要求払い預金は本当の意味での預金となり、預金者が託した現金ということになるのです。

こうして、新たに生まれるおカネは実質的に100%準備義務と結び付けられます。

銀行の当座預金部門は、預金者が所有する「無記名のおカネ」の保管倉庫となり、「小切手用銀行(Check Bank)」として独立の法人格が与えられます。そうなると、当座預金と準備預金の間には実質的な区別がなくなります。通帳に記された、「私が銀行に預けているおカネ」は、本当におカネであり、本当に銀行に(または近くの支店に)あることになります。銀行の預金を1億2,500万ドルまで増やすには、銀行の現金も1億2,500万ドルまで増やさなければなりません。つまり、預金者が2,500万ドル以上の現金を預けることで、つまり財布や現金箱からそれだけの現金を取り出して銀行に預けることによって、1億2,500万ドルになるのです。また、預金が減少した場合には、それは預金者が預けていたおカネの一部を引き出したことを、つまり銀行から取り出して財布や現金箱に入れたことを意味します。どちらの場合もおカネの総額に変化はありません。

100%システムに移行することによって、銀行は収益資産を失い、収益性のない現金を増やさなければなりません。それに対する補填としては、銀行が預金者からサービス料を徴収できるようにするか、それ以外の方法が検討されます(第9章で詳しく説明します)。

 

 

メリット

 

変更の結果として、一般の人々には以下のようなメリットがあります。

 

1. 商業銀行に対する取り付け騒ぎが無くなります

なぜなら、預金者のおカネの100%が常に銀行の中にあり、いつでも彼らが引き出すのに備えているからです。実際には、今よりもおカネが引き出されることは少ないでしょう。預金を失うことを恐れた預金者が、銀行の窓口で叫ぶ言葉を、みなさんご存じでしょう。「銀行は、私のおカネがないなら、すぐに出しなさい! 私のおカネがあるなら、出さなくてもいい!」。

 

2. 銀行の倒産ははるかに少なくなります

なぜなら、商業銀行を倒産させる可能性が一番高い、重要な債権者は預金者ですが、彼らの預金が100%保護されることになるからです。

 

3. 政府の有利子負債は大幅に削減されます

なぜなら、発行済み国債の大部分が(政府を代表する)通貨委員会によって、銀行から買い上げられるからです。

4. 通貨制度が簡素化されます

なぜなら、財布のおカネと通帳のおカネの間には、もはや本質的な違いはないからです。私たちの流通媒体は、100%が実際のおカネになるのです。

 

5. 銀行業務が簡素化されます

現在は所有権が混乱しています。当座預金におカネを預けたとき、預金者はそのおカネを自分のものと考えていますが、じつは法的には銀行のものなのです。預金者は銀行にあるおカネの所有者ではなく、民間企業である銀行に対する債権者に過ぎないのです。銀行が顧客から預かったおカネを貸し出すことができなくなり、同時に預金者がそのおカネを自分のおカネとして、小切手で使えるようになれば、銀行の「謎」のほとんどは消えてしまうでしょう。「ミスター・ドゥーリー」(いまのウィル・ロジャースにあたる人)は、銀行員を「あなたのおカネを保管しつつ、友人に又貸しする人」と呼んで、要求払い預金のおカネが二重に使われることの不条理さを訴えました。

将来的には、当座預金(checking deposits)と貯蓄預金(savings deposits)は明確に区別されることになるでしょう。その他の保管庫と同様に、当座預金に預けられたおカネは預金者のもので、利息はつきません。貯蓄預金口座に入れられたおカネは、現在と同様のままです。おカネが銀行のものであることに、議論の余地はありません。銀行はこのおカネと引き換えに、利息付きで返済を受ける権利を与えますが、小切手を使う権限は与えません。貯蓄預金の預金者は単に、利付債のような投資対象を購入したことになります。そして債券や株式などの投資対象と同様に、この投資の背後には100%の現金準備がなくてもかまいません。

当座預金に新制度が導入されても、貯蓄預金の現金準備率は必ずしも変える必要はありません(もちろん、準備率を高めることは望ましいことですが)。

 

6. はげしいインフレーションやデフレーションがなくなります

なぜなら銀行は、「通帳のおカネ」を作ったり壊したりする、今もっている力を奪われるためです。つまり、融資が行われても流通媒体は膨張せず、融資資金が返済されても流通媒体は縮小しないのです。当座預金の量は、他の種類の融資が増えても減っても、何の影響も受けないでしょう。当座預金はこの国の現金総額の一部であり、この総額は、ある人から別の人にたいして貸付けが行われても、影響を受けることはありません。

預金者が一斉に預金の全額を引き出したり、一斉に融資の全額を返済したり、あるいは一斉に融資の全額を債務不履行(デフォルト)したとしても、それによって国内のおカネの総量が影響を受けることはありません。それはただ再分配されるだけです。その総額は、唯一の発行者である通貨委員会がコントロールするのです(通貨委員会は、必要ならば、おカネの貯め込みや流通速度を取り扱う権限も与えられます)。

 

7. 好況や不況は大幅に緩和されるでしょう

なぜなら、これらはインフレとデフレ〔通貨量の膨張と収縮〕によるところが大きいからです。

 

8. 産業界を銀行家が管理することはほとんどなくなるでしょう

なぜなら一般に、産業が銀行家の手に落ちるのは、不況の場合に限られるからです。

 

この8つのメリットのうち、最初の2つは、銀行の倒産が多いアメリカによく当てはまるものです。残りの6つは、小切手用の預金を扱う銀行が存在する全ての国に当てはまります。7番目と8番目のメリットは、特に重要です。すなわち、流通媒体のインフレとデフレがなくなるので、一般的には好況や不況が緩和されます。特に、大きな好況や不況は、なくすことができるでしょう。

 

 

異論

 

当然のことながら、100%マネーや100%バンキングなどという新しいアイデアや、新しいと見られるアイデアは、批判にさらされるべきものです。

100%システムに疑問を持つ人が、最も多く質問すると思われるのが、次の質問です:

 

1. 100%システムへの移行によって、つまり新しいおカネで資産を買い上げることによって、ただちに国内の流通媒体が大幅に増えるのではないですか?

いいえ、1ドルたりとも増えません。それは単に「通帳のおカネ」と「財布のおカネ」を完全に交換できるようにするだけです。取引に使われている架空の預金を、本物の預金に変えるだけです。

移行後は(そして予定された通貨量に達した後には)、通貨委員会は債権を買うことによっておカネの量を増やし、債権を売ることでおカネの量を減らすことができます。ただし、いずれの場合にも、目標とされる物価水準や通貨価値を、合理的な精度で維持する義務があります。

しかし次のことは指摘しておくべきでしょう。100%の準備金を維持することと、安定した物価水準を維持することは、まったく別のことがらです。そしておそらく、どちらか一方が欠ければ、もう一方も成り立たないことになるでしょう。

 

2. 新しいおカネの「背後」には、価値のある資産があるのでしょうか?

100%システムを採用した後には、小切手に使える新しいおカネの背後には、主に国債などの資産があります。これらは、それまでの「通帳のおカネ」の背後にあったものと全く同じ資産ですが、通貨委員会が所有するものとなります。

無謀なインフレーションを防ぐためには、おカネや預金には有価証券による「裏付け」が必要だという考えは、伝統的なものです。(私たちが対比のために「10%システム」と呼ぶ)現在の制度では、預金者が現金を引き出せないのではないかと心配した時には、銀行は(理屈の上では)有価証券を売却して現金に換え、興奮する預金者にその現金を支払うことができます。まさに100%システムでも全く同じように、有価証券の裏付けと、その有価証券を売却できる可能性があります。そのうえ、米国政府の信用も付いてくるのです。何より、預金を現金に換えられないのではないかと心配する預金者も、いなくなっているでしょう。

 

3. 金本位制が失われるのではありませんか?

金本位制はすでに失われてしまっています! それ以上でもそれ以下でもありません。金の地位は現在と全く同じものになるでしょう。金の価格は政府が管理し、金の使い道はもっぱら国際収支の決済に限られます。

そのうえ、1933年以前にあったような金本位制への復帰をお望みならば、100%システムでも現在と同様に、簡単にそれを実現できます。むしろ100%システムのほうが、旧来の金本位制が復活した場合に、意図したとおりにそれが機能する可能性が、はるかに高くなります。

 

4. 銀行は貸出しに使うおカネをどうやって得ればよいのですか?

現在と全く同じです。要するに、(1)自分のおカネ(資本金)から、(2)顧客から預かった(小切手には使えない)おカネから、あるいは(3)満期になった融資の返済金から、です。

長期的には、おそらく貸し出されるおカネはもっと多くなるでしょう。貯蓄が増えて、貸出しに使えるお金が増えるからです。しかし、ふつうに貯蓄が増えることによって融資が拡大したとしても、必ずしもおカネの流通量が増えるわけではありません。

銀行の貸出しに対する唯一の新たな制約は、当たり前の制約です。つまり貸せる現金がなければ、現金を貸すことはできないということです。銀行はもはや、無からおカネを創って貸出しを増やして、通貨量を膨張させたり、好景気を演出したりすることは、できなくなるのです。

上記の3つの融資資金源(資本金・貯蓄・返済)の他に、通貨委員会が新しいおカネを作って、〔銀行から〕債券を買い入れることによって、それを銀行に渡すこともできます。しかし、こうやっておカネを追加することには、物価上昇を防ぐという基本的な制約があります。この物価は、適切な物価指数によって測定され、目標とする水準が事前に定められます。

 

5. 銀行家が損害をこうむるのではありませんか?

いいえ、その反対です。

(a) 健全な通貨システムと繁栄の回復によって、全国にもたらされる普遍的な利益を彼らは共有することができます。特に貯蓄預金が増加します。

(b) 現金準備の増加を義務づけられたことによる利益の損失は、(手数料その他の方法で)補填されます。

(c) 将来は、銀行の取り付け騒ぎや倒産のリスクから、ほぼ完全に解放されるでしょう。

 

銀行家たちは、1931年から33年のあいだに流動性(現金)を激しく奪い合って疲弊したことを、すぐに忘れることはないでしょう。誰もが自分のためにしたことが、悪魔のためになっただけでした。100%システムの下では、このような奪い合いはあり得ません。なぜなら、それぞれの銀行はいつでも100%の現金を、他の銀行がどう動くかに関わらず、確保できるからです。

 

6. この計画は、おカネと銀行の国有化のための計画なのですか?

おカネについてはそうですが、銀行についてはそうではありません。

 

 

結論

 

100%システムの提案は、まったく急進的なものではありません。基本的には同じおカネを8回も10回も貸すという、現在の異常で破滅的なシステムから、昔の金細工師(goldsmiths)のような、保守的な安全保管システムに戻すことを求めているだけです。彼らは、かつては安全な保管を請け負っていただけでしたが、やがて不適切な貸付を行うようになります。このような信頼の濫用が、標準的な慣行として受け入れられ、現代の銀行預金制度に発展したのです。公共政策の観点からすると、これはもはや信頼の濫用ではなく、預金と融資の機能の濫用というべきです。

イングランドでは、約1世紀前に銀行法が制定され、一定の最低限度額を超えて発行されたすべてのイングランド銀行券に対して(そして当時あった他の全ての発券銀行の紙幣)に対して、100%の準備金を要求することで、改革と、金細工師の制度への一部復帰を実現しました。

プリンストン大学のフランク・D・グラハム教授は、100%マネー計画を支持する声明の中で、アダムス大統領が「私的銀行券の発行を、国民に対する詐欺だと非難した。彼は当時の保守的意見の全てによって支持された」と述べています。

最後になりますが、なぜ政府の特権を銀行にタダで譲り渡すようなことを続けるのでしょうか。その特権は合衆国憲法(第1条第8項)に、「議会は貨幣を鋳造し[そして]その価値を調節する...権限を有する」と、定義されているものです。この文言どおりではないとしても、事実として、おカネを鋳造しているのは、当座預金を扱う銀行です。そして、これらの銀行が全体として、全てのおカネの価値を調節し、管理し、動かしているのです。

現在の通貨制度を擁護する人たちも、何千件もの私有の中小造幣所による無茶で勝手な仕組みのもとで、この通貨制度がうまく機能していたと主張することはできません。もしうまく機能していたら、230億ドルの通帳のおカネうち、80億ドルが失われてしまうようなことはなかったはずです。

もし銀行が、政府よりも優れた能力を発揮できるバンキング機能(融資業務)を持ち続けたいのならば、政府よりも優れた能力を発揮できない貨幣発行機能を返還する用意をしなければなりません。もし彼らがこのことを理解し、自分たちにとって新奇な提案に見えるものに対しても、このたびは「ノー」ではなく「イエス」と言うならば、他のところから重要な反対意見は出てこないでしょう。

 

 

PDF版『100%マネー』第一章・要約は以下からDLして頂けます。

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