朴勝俊 Park SeungJoonのブログ

反緊縮経済・環境経済・政策に関する雑文 

ブランシャールのIS-LM-PCモデルにおける日本のPC曲線に関する実証的検討

ブランシャールのIS-LM-PCモデルにおける日本のPC曲線に関する実証的検討

朴勝俊

2024/2/28

※ お時間のない方は「はじめに」と「結論」のみお読みください

 

1.はじめに

 ブランシャール教科書におけるIS-LM-PCモデルでは、PC曲線はフィリップス・カーブを意味する(ブランシャール2019、p.307)。しかしこれは失業率と物価上昇率の関係としてのフィリップス・カーブではない。失業率とGDPギャップが強く相関するものだとして、GDPギャップ[1]物価上昇率の関係として示される(後出の図2を参照)。本稿は、過去の日本におけるGDPギャップと失業率の関係、およびGDPギャップと物価上昇率の関係を、統計的に明らかにする。まずはIS-LM-PCモデルの概要を、GDPギャップとの関係で説明する。次に、過去の1980年からの四半期データを用いて「物価上昇率関数」を推計する。ここで用いる変数は表1のとおりである。

 

表1 本稿で用いる変数

変数記号

変数名

出所

dotCPI

消費者物価上昇率(前年同期比)

総務省統計局「消費者物価指数」より作成

dotEXR

名目円ドル為替変化率(前年同期比)

日本銀行「主要時系列データ表」より月中平均

dotPOIL

原油価格(ドバイ)上昇率(前年同期比)

World Bank Commodity Price Dataより作成

GDPGAP

内閣府GDPギャップ

内閣府GDPギャップ」excelファイルより

UNEMP

完全失業率(男女計)

総務省労働力調査」長期時系列データより作成

注: データの期間は1980年第1四半期~2023年第三四半期、単位はすべて%である

 

図1 GDPギャップと失業率(1980年第1四半期~2013年第3四半期)

出典: 筆者作成

 

2.GDPギャップと物価上昇率の関係

 GDPギャップと完全失業率の関係を図1に散布図として示した。これを見ると確かに両者には負の相関が見られるが、相関係数は0.4738(決定係数は0.2245)であり、必ずしも強い相関とはいえない。

従って、GDPギャップに基づくPC曲線と、失業率に基づくフィリップス曲線は概ね鏡像のようにはなるものの、個々の点にはズレの大きな物があり、両者の図はぴったり重なりあう線対称にはならない(図2)。失業率に基づくフィリップス曲線の方が決定係数が高いが、本稿の分析ではブランシャール教科書(p.307)の図式に則って、GDPギャップに基づくPC曲線の考え方を採用し、分析を進める。

 

図2 GDPギャップに基づくPC曲線と、失業率に基づくフィリップス曲線

 

3.IS-LM-PC体系におけるPC曲線           

 

図3 IS-LM-PC体系

 IS-LM-PC体系は図3のように表される。IS曲線はどの教科書にも見られる一般的なIS曲線であり、財市場の需給を均衡させる金利と実際のGDPとの組み合わせの軌跡である。LM曲線は中央銀行金利を政策目標と決めて、それを実現するためにいくらでも貨幣供給量を調節するものとして、水平に描かれる。ここで、単純化のために、民間の貸付金利政策金利と同じと仮定している。

 IS曲線とLM曲線が交わる点で均衡GDPY*)が決まるが、これは必ずしも潜在生産量(Yn)とは一致しない。例えば図3のIS1は第1期のIS曲線を意味し、左にシフトした「不況状態」を表している。そのとき均衡のY*Ynより低水準である。

 図3の下図に示されたのがGDPギャップ(G=(Y*-Yn)/Yn)物価上昇率π)の関係を示すPC曲線である。Ynに対応するGDPギャップが定義上0なので、Y*に対応するGDPギャップは負である(マイナス3とする)。第1期のPC曲線上の点は、点B  (G, π)=(-3%, -1%)となっている。

 政府の目標を、潜在生産量の実現(GDPギャップをゼロにすること)と、物価安定目標(πT=2%)の達成の組み合わせであるとしよう。すなわち点A (G, π)=(0%, 2%)である。第1期のPC曲線はこの点を通るので、拡張的財政政策か金融緩和(利下げ)でこれを実現できる。

ここでは第2期に、財政政策によってIS曲線をIS2まで右にシフトさせたとしよう。このときの均衡GDPY**)はYnを超え、GDPギャップはプラスとなる。ここでの生産量は潜在GDPに一致していない。潜在生産量を超えるGDP水準を実現することは、少なくとも短期的には、雇用を増やし、労働時間を延長し、設備稼働率をさらに高めることによって可能となる。こうして、第2期のGπの組み合わせは点C (G, π)=(1%, 3%)となる。

 図3のモデルでは、PC曲線においてG=0の場合、物価上昇率πeの水準で安定すると想定されている。他方、いわゆるフリードマンの自然失業率仮説によれば、人々の予想物価上昇率(πe)が高まれば、フィリップス曲線が上方にシフトする。従って、図3の図式ではPC曲線が上方シフトする(PC3)。ここでは、前期の実際の物価上昇率に応じて今期の予想物価上昇率が決まり(適応的期待)、予想物価上昇率(πe)と潜在GDP(すなわちG=0)が対応するようになると考える[2]。つまり、第3期のPC曲線(P3)は点D (G, π)=(0%, 3%)を通る曲線となる。この時、物価上昇率は3%で安定するが、これは物価安定目標(πT=2%)を上回っているので、政府は若干の財政引き締め(IS曲線の左シフト)や金融引き締め(利上げ、LM曲線の上方シフト)によって、意図的に景気を悪化させて物価上昇率を下げようとするかもしれない(これに関する検討は省略する)。

 なお、経済が過熱したとき(点C)、それが設備投資を促せば、潜在GDP (Yn)そのものが右にシフトするであろう。この場合、Y**が新たな潜在GDPとなれば、物価上昇率が高まることはない。このダイナミズムに注目するのが「高圧経済」の考え方であるが(原田・飯田2023)、本稿ではこれには立ち入らない。

 では、GDPギャップと物価上昇率、および失業率について、実際のデータを確認してみよう。図4に、内閣府GDPギャップと、消費者物価(CPI総合)上昇率、および完全失業率(男女計)を折れ線グラフに示した(単位はいずれも%)。これによれば、GDPギャップは最高で4%近い値を、最低でマイナス10%近い値を記録している。つまり決してゼロが上限ではないということが、ここでも確認できる。CPI上昇率は、1980年代初頭は8%を記録していたが、近年ではゼロ%近辺である(物価上昇率がゼロ%を下回るデフレも観察される)。例外は消費税が導入・増税された1989年、1997年、2014年、およびコロナ禍後の2022年以降の輸入インフレ期である。失業率も長期的に見ればGDPギャップと相関しているように見えるが、動きは非常になめらかである。この図によれば、日本においては、物価上昇率も失業率も、GDPギャップに敏感に反応して動くわけではないようである。GDPギャップが4%近くになったのは1980年代であるが、その頃の物価上昇率は4%に満たず、10%を超えるような「ひどいインフレ」になったわけではない。

 

図4 内閣府GDPギャップと、消費者物価上昇率および失業率(右軸)

出典: 筆者作成。表1参照。すべて四半期データ。CPI上昇率は総合指数の前年同期比。

 

4. 物価上昇率関数の推計

 これまで説明してきたPC曲線を、ここでは「物価上昇率関数」として推計する。1980年第1四半期から2023年第3四半期までのデータを用いて、統計ソフトEViews13を用いて推計した。

 推計式は以下のとおりである[3]

 

dotCPI = c(0) + c(1)*dumq2 + c(2)*dumq3 + c(3)*dumq4 + c(4)*dumc89 + c(5)*dumc97 + c(6)*dumc14 + c(7)*dumc19 + PDL(GDPGAP,8,1) + PDL(dotPOIL,8,2) + PDL(dotEXR,8,2) + AR(1) + u

 

 ここで、dotCPIはCPI上昇率(前年同期比)であり、dumq2とdumq3、dumq4は四半期ダミー(第1四半期を省く)、dumc89とdumc97、dumc14、dumc19は消費税導入・引き上げダミーである(導入・引き上げが行われた四半期から、4期ぶんを1とする)。PDLとは他項分布ラグのことである。 PDL(GDPGAP,8,1)はGDPギャップ変数の係数を、当期から8期前まで1次の分布ラグとして推定する。PDL(dotPOIL,8,2)は原油価格上昇率(前年同期比)の係数を、当期から8期前まで2次の分布ラグとして推定する。PDL(dotEXR,8,2)は名目為替レート変化率の係数を、当期から8期前まで2次の分布ラグとして推定する。AR(1)は誤差項の自己回帰に関する項である(1次の自己回帰)。これを最尤法で推計した結果が表2に示されている。

 

表2 物価上昇率関数の推計結果

 

 利用可能な観測数は163あり(1983Q1~2023Q3)、説明変数が多くても十分に推計可能であった。自由度修正済み決定係数は0.88であり、良好である。Prob.はP値である。四半期ダミー変数はいずれも10%水準で有意ではなく、消費税導入・増税ダミーについても、1997年増税と2019年増税は10%水準で有意ではないことがわかる(89年導入ダミーは10%水準で、2014年増税ダミーは5%水準で有意である)。

 表2のPDL01とPDL02は、GDPGAPのラグを含めた多項式の係数を計算する元になるパラメタである。ここから自動的に計算された係数は、表3の1つめのグラフと表で示されている(変数名がないので注意されたい)。解釈するならば、当期の物価上昇率を、当期のGDPGAPの1%上昇は0.050%押し上げ、1期前のGDPGAPの1%上昇は0.045%押し上げ、2期前のGDPGAPの1%上昇は0.041%押し上げ・・・・、ということになる。さらに、8期前から今期まで9期分のGDPギャップ1%上昇の影響を合計すれば、それは今期の物価上昇率を0.28%押し上げることになる。GDPギャップが持続的に1%高くなっても、中期的な(2年程度の)物価上昇圧力は0.28%に過ぎないということであり、これは想像されるよりも小さい圧力ではなかろうか。

 

表3 多項分布ラグ(PDL)の推計結果

 

 表2のPDL03~PDL05は、原油価格上昇率(dotPOIL)のラグを含めた多項式の係数を計算する元になるパラメタである。係数の分布を2次関数としたため、計算には3つのパラメタが必要なのである。こから自動的に計算された係数は、表3の2つめのグラフと表で示されている(これも変数名がない)。解釈するならば、当期の物価上昇率を、当期のdotPOILの1%上昇は0.00431%押し上げ、1期前のdotPOILの1%上昇は0.00398%押し上げ、2期前のdotPOILの1%上昇は0.00356%押し上げ・・・・、ということになる。さらに、8期前から今期まで9期分のdotPOIL 1%上昇の影響を合計すれば、それは今期の物価上昇率を0.01991%押し上げることになる。原油価格が1%上昇しただけでは、物価はほとんど上がらない。しかし原油価格の上昇率は時に非常に高くなるので、例えば前年同期と比べて100%の値上がりが起これば、物価上昇率は約2%押し上げられることになる。

 表2のPDL06~PDL08は、円ドル為替レート(dotEXR)のラグを含めた多項式の係数を計算する元になるパラメタである。係数の分布を2次関数としたため、計算には3つのパラメタが必要なのである。こから自動的に計算された係数は、表3の3つめのグラフと表で示されている(これも変数名がない)。ちなみに、為替レートは数値が大きくなるほど円安となるので、係数がプラスならば円安によって消費者物価上昇率が高まることとなる。解釈するならば、当期の物価上昇率を、当期のdotEXRの1%上昇は0.00612%押し上げ、1期前のdotEXRの1%上昇は0.00763%押し上げ、2期前のdotEXRの1%上昇は0.00868%押し上げ・・・・、ということになる。この変数の場合には、最も影響力が大きいのは4期前のdotEXRの値であることがわかる。さらに、8期前から今期まで9期分のdotEXR 1%上昇の影響を合計すれば、それは今期の物価上昇率を0.07%押し上げることになる。為替レートが1%円安になっただけでは、物価はほとんど上がらない。しかし為替レートの変化は時に非常に大きくなるので、例えば前年同期と比べて20%の円安が起これば、物価上昇率は約1.4%押し上げられることになる。

 これらの物価上昇率の押し上げ効果は、時間がたつにつれて減衰する。GDPギャップの高まりや、原油価格上昇、為替レート減価(円安化)が一時的なもので、あとは変化後の水準で安定するのであれば、それらの物価上昇圧力はいずれ(2年程度で)ゼロになる。

 図5は、物価上昇率(前年同期比)と物価水準の関係を模式的に表したものである。この図に限っては、横軸の数値は四半期での時点を示している。最初の1年は物価が安定し、次の1年は前年同期比の物価上昇率が段階的に5%近くまで高まる。しかし物価指数がその水準で安定すると、1年かけて物価上昇率も低下してゆき、その次の年の物価上昇率はゼロに戻る。

 従って、外的ショック(原油価格上昇や円安)による物価上昇は一過性のものになりがちである。それを持続的なものにするには、例えば名目賃金が継続的に上昇するような経済環境が作り出されなければならない。

 

図5 物価上昇率と物価水準の関係

出典: 筆者作成

 

 図6は、表2と表3の推計結果を用いて、物価上昇率の実績値(Actual)と推計値(Fitted)、および残差(residual)を図示したものである(推計には、表2で統計的に有意でなかった説明変数もそのまま含めている)。実績値と推計値は非常によく合致しており、最高値は4%弱(1990年頃、および2022~2023年頃)、最低値はマイナス2%程度である。また残差も時間軸にそって偏りなくランダムに推移していることが分かる。

 

図6 物価上昇率の実績値と推計値(1983年~2023年)

出典: 筆者作成。

 

5. 結論

 本稿ではブランシャールのIS-LM-PC曲線について解説したのち、1980年からの四半期データを用いて、PC曲線に相当する「物価上昇率関数」を推計した。その結果としてわかったことは、消費者物価上昇率は、GDPギャップの1%ぶんの上昇(景気の改善・過熱)によって(約2年分の効果の累積として)0.28%押し上げられること、原油価格上昇率の100%ぶんの高まりによって約2%押し上げられること、為替レートの20%ぶんの減価(数値の上昇)によって約1.4%押し上げられることがわかった。価格上昇率の高まりや、為替レートの減価が一過性のもので、変化後の水準で安定するのであれば、物価上昇率は2年程度で安定化する。また、本稿の主な考察対象ではないが、GDPギャップの上昇(景気過熱)が設備投資につながるなら、必ずしも物価上昇率は高まらず、潜在GDPの増加によって物価が安定する可能性がある。これはいわゆる「高圧経済」に関連する論点であるが、その検討は今後の課題としたい。

 

参考文献

栗山博雅・北口隆雅(2023)「2023 年7-9月期GDP1次速報後のGDPギャップの推計結果について」『今週の指標』(内閣府)、No.1324、2023年12月1日

原田泰・飯田泰之編著(2023)『高圧経済とは何か』金融財政事情研究会

ブランシャール・オリヴィエ(2020)『ブランシャール マクロ経済学 上〔第2版〕』東洋経済新報社

 

[1] ブランシャール教科書では、GDPギャップは実際のGDPと潜在GDPとの金額の差で示されるが、本稿では内閣府GDPギャップ率(%)を用いる。両者が意味するところは同じである。なお、内閣府の定義式は「GDPギャップ=(実際のGDP-潜在GDP)/潜在GDP」であり、潜在GDPの定義は「経済の過去のトレンドからみて平均的な水準で生産要素を投入した時に実現可能なGDP」である(栗山他 2023)。すなわち、GDPギャップの数値がプラスの値をとって大きくなることは、実際のGDPが潜在GDPを大幅に超えることを、すなわち景気過熱を意味する。内閣府GDPギャップと類似した統計として、日本銀行需給ギャップがある(推計方法は若干異なる)。これは1983年からの値が利用可能である。

[2] このようになる理由の説明は単純ではないが、直感的に理解できる例を挙げよう。物価上昇率が高まったことで、企業は自社製品がより高く売れて利益が上がると考え、稼働率を高め、人々をより多く雇用する。しかし労働市場の逼迫によって予想物価上昇率に応じた賃上げを求められると、企業はほどほどの雇用水準と稼働率に戻さなければならない。

[3] この推定式には、第3節で説明した予想物価上昇率πe)の上昇によるPC曲線のシフトを意味する項は含めていない。適応的期待の仮説によれば、過去、物価上昇率が高い状況が続けば、予想物価上昇率が高くなると考えられる。しかし、過去数期の物価上昇率や、過去四四半期の物価上昇率の平均などを説明変数として含め、その含め方を色々と変えて推計しても、係数が有意でなかったり、符号がマイナスとなったりした。それが、これらの説明変数を含めない定式化を選んだ理由である。

 

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朴勝俊 「米山ワールド(コメとカネの経済)に関する検討」(2024 年2 月18 日)

朴勝俊 「米山ワールド(コメとカネの経済)に関する検討(2024年2月18日)

 

図1 米山隆一氏のツイート

 

 米山隆一氏が山本太郎氏を批判する記事が公表され[1]、その後、彼が自身の考えを説明するツイートを発信している(図1)。彼が経済に関する自説を、何らかの根拠を示して説明することは非常に珍しい。筆者はこの枠組みを好意的に解釈し、この世界観に則って検討する。この図解を正しく理解しうるストーリーを加え、これをバランスシート図および45度線グラフを用いて図式化し、批判的検討を加える。

 

 米山氏が想定する経済を「米山ワールド」と呼ぶ。ここに存在する財は現金とコメだけである。現金は政府が創るものではないらしい(モデル上では、こうした想定自体はおかしいわけではない)。企業が最初から「資本金100万円」を保有しており、これを個人(全員がコメ生産労働者)への賃金にあてるのであろう(個人が最初から100万円を保有していると考えるのは奇妙である)。雇用による生産により100万円分のコメ在庫が生まれる(次頁表[1])。個人はこの100万円の所得により、コメを買い(同[2])、60万円分)、税金を支払い(同[3])、5万円分)、国債を買うことができる(同[4])、20万円分)。その結果、家計の可処分所得は95万円、金融純資産(貯蓄S)は35万円となる。政府がコメ25万円分を購入すると(同[5])、ここまでの通算として、企業は貨幣▲15、金融純資産▲15となり、コメ在庫15の価値を認めれば純資産は0となる。政府は徴税5と国債20でコメを買ったので、金融純資産▲20となり、コメの価値を認めれば純資産は5である。ここで民間の金融純資産の純増分は20である(家計が35、企業が▲15)。それに対して、政府の金融純資産は▲20(国債20)である。

このことは、「政府の赤字が民間の黒字」であることを意味している(このことは米山氏も否定していない)。政府の金融負債によって、民間に金融資産という意味での「富」が生まれたわけである。しかし米山氏は、なにか別の理由で「富が生み出されているわけではない」と主張している。

 

表1 米山ワールド(コメとカネ経済)の検討 (金融資産・負債表)※

※ 表の中では物資と、物資売却や労働に伴う純資産増減は括弧内に示す。用役は示さない。
プラス・マイナス記号は変化分を、▲は通算合計が負であることを示す。

 

 米山氏の主張はどこに問題があるのだろうか。それはまず、「富」を定義していないことであろう。しかし図1に「GDP」と書かれていることから、米山氏が意図する「富」は財貨やサービスの量であり、GDPで測られるものと考えるのが妥当である。

 

 さて図1では、彼は(意図せざる)在庫増加を「在庫投資」とみなして、生産が行われたものとみなしている。たしかに在庫投資は、国民経済計算(SNA)の約束ごととして、GDPの生産面と支出面が常時一致するよう、投資に含められている。しかしマクロ経済学の教科書によれば、有効需要の原理」に基づく国民所得決定理論(短期モデル)では、「製品在庫の増減がないように(在庫投資がゼロになるように)実際の生産水準が計画支出に正確に一致することが想定されている」[2]。従ってGDP国民所得が短期均衡でどのような水準に落ち着くか、あるいは政府支出が「富」を生み出すか否かを考える上では、在庫投資を生産物に含めるのは不適切である。さらに言えば、コメの在庫が腐敗して損なわれるとすれば(同[6])、企業の純資産は▲15(金融純資産のみの▲15)となる。このことは、企業が「見込み違い」でコメを生産しすぎて、損失を出し、それが確定したことを意味する(「コメが腐敗する」想定に異議を申し立てる人もいるだろう。しかし腐敗せず保管可能な食糧としてコメを想定して、これを自動的に「投資需要」と捉えることは有効需要の理論にそぐわないので、「リンゴ」に置き換えてほしい)。

 

 図2は、有効需要の理論を示した45度線図である。これによれば、政府が25万円分のコメを購入する場合の均衡生産量はY*(85万円)である。もし政府が25万円分のコメを購入してくれなければ、均衡生産量はY**(60万円)まで減少する。こうして生産量も雇用も賃金支払額も縮小してゆく[3]。従って、政府支出は(国債発行によるものであってもあっても)有効需要を増やすことによって、「富」(GDP)を増やすのである。従って、米山氏の主張は誤りである。

 

図2: 有効需要の理論を示す45度線図



[1] デイリー(2024)「米山隆一氏 れいわ山本太郎代表の言説を全否定「非常に不正確」「ミスリーディングな幻想を語るのも大概に」」『デイリー』2024年2月11日

[2] 齊藤ほか(2016)『新版 マクロ経済学有斐閣、p.147より。

[3] このことについては、ページ1のツイートには「但し、それによって消費が増え、この図では在庫投資が売れて企業にお金が渡り、次の生産・消費の拡大に繋がる事はあります」と書かれており、米山氏も正しく理解されていると思われる。

 

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日本に関するブランシャールのIS-LM-PCモデルのエコノメイト-Macroを用いた推計

日本に関するブランシャールのIS-LM-PCモデルのエコノメイト-Macroを用いた推計

 

朴勝俊

2024/2/17

 

1.はじめに

「ブランシャール マクロ経済学(上)[第2版]」(ブランシャール、2020)におけるIS-LM-PCモデルは、現実には金利中央銀行が決めるという立場から、LM曲線が政策金利水準において水平になっているのが特徴である。これは金融政策の理解をとてもシンプルにしてくれる。他方、PCとは「フィリップス曲線(Phillips Curve)」のことであるが、これは自然失業率と実際の失業率の差が、潜在GDPと実際のGDPとの差に比例すると考え、縦軸を物価上昇率とし、横軸を実質GDPとしたグラフに描いたものである(図2)。本稿では、日本の実際のデータ(1990年から最近)を用いて、このモデルを推定し、利上げ政策と公共投資の効果から、IS-LM-PC曲線を描いてみる。

 

2.モデルの構築

 表1は室田(2005、p.144)を参考に、パソコン用の「エコノメイト-Macro」ソフトウェアを用いて、ブランシャールのIS-LM-PCモデルを構築したものである。表1の数式を、表2の変数表を参考にして読めば、これがどのようなモデルか理解できるであろう。今回の時系列データを用いた回帰分析は、最小二乗法(OLS)よりもコクラン=オーカット法を用いたものが多い。統計的性質は良好である。

 

表1 方程式体系

' ここからIS-LMモデル(ISは金利GDPの関係、LMは日銀が外生的に市中金利目標を決める想定)

'消費関数(実質)

CP=78319.6+0.466087*(GDP)-393669.1*(CONTAX)-3328.66*(INTN-DOT(PDG))

'           (    2.74)         (    8.62)             (   -5.61)                  (   -3.16)

'  OLS   (2000-2022)   R^2 = 0.885, SD =  3,361.41, DW = 0.951

'民間設備投資関数(実質)

IP=-8,508.31+0.189061*(GDP+GDP(1))-0.086843*(KP(1)+KP(2))-678.074*(INTN-DOT(PI))

't-value   (N2) (N2)- (N2)- (N2)

' Orrcut (1990 - 2021)   R^2 = 0.918, SD =  1,907.58, DW = 1.441

'民間設備投資価格デフレータ

PI=5.86773+0.941534*(PDG)

't-value   (N2) (N2)

' Orrcut (1990 - 2021)   R^2 = 0.989, SD =  0.930723, DW = 1.403

'住宅価格

PH=-2088.66+38.8969*(PDG)-0.203644*(PDG^2)+3.34910*(PI)

'           (   -4.01)         (    3.89)             (   -4.18)                (    6.11)

'  OLS   (2000-2022)   R^2 = 0.683, SD =  3.90655, DW = 0.422

'住宅投資

IH=81,114.7-0.159644*(KH(1))-238.252*(INTN-DOT(PH))

't-value   (N2)- (N2)- (N2)

' Orrcut (1996 - 2022)   R^2 = 0.867, SD =  1,402.28, DW = 1.411

'輸入関数(実質)

MC=-123,910.8+0.356180*(GDP)

't-value  - (N2) (N2)

' Orrcut (1990 - 2022)   R^2 = 0.981, SD =  2,260.95, DW = 1.926

' GDP定義式 (元データが合致しないので階差RESを足している)

GDP=CP+CG+IH+IP+IG+JP+JG+EXC-MC+RES

'民間資本ストック(実質)

KP=59907.1+0.807033*(KP(1))+0.706925*(IP)

'           (   10.36)         (   90.46)                (   10.75)

'  OLS   (1990-2021)   R^2 = 0.997, SD =  2,234.74, DW = 0.277

' 住宅資本ストック

KH=9392.30+0.454956*(KH(1)+KH(2))+1.21074*(IH)

'           (    2.43)         (  117.67)                          (   27.59)

'  OLS   (1990-2021)   R^2 = 0.998, SD =  848.257, DW = 1.768

' ここからPC曲線(GDPギャップと物価上昇率の関係)

'内閣府GDPギャップ  過去5年GDP平均を潜在GDPとし、プラスになりうる

GDPGAP_NKF=-15.5074+0.000141*(GDP)-0.000115*(0.2*(GDP(1)+GDP(2)+GDP(3)+GDP(4)+GDP(5)))

't-value  - (N2) (N2)- (N2)

' Orrcut (1990 - 2021)   R^2 = 0.783, SD =  0.897126, DW = 1.945

'物価上昇率GDPデフレータ) GDPギャップが埋まると物価が上昇する

DOT(PDG)=-0.281243+0.093623*(GDPGAP_NKF)+1.17576*(DUM97)+1.86844*(DUM2014)

't-value  - (N2) (N2) (N2) (N2)

' Orrcut (1990 - 2022)   R^2 = 0.741, SD =  0.598026, DW = 1.801

注: 括弧内はt値。コクラン=オーカット法を用いた場合はt値が示されない。

 

表2 変数表(登場順)

CP          実質民間最終消費支出(2015年基準、連鎖10億円)

GDP        実質国内総政策(2015年基準、連鎖10億円)

CONTAX  消費税率(1を基準とする小数)

INTN       貸出約定平均金利:貸付:都銀(%)

IP           実質民間企業設備投資(%)

KP          民間設備資本ストック(2015年基準、10億円)

PI           民間企業設備投資デフレーター(2015年=100)

PDG        国内総生産デフレーター(2015年=100)

PH          民間住宅投資デフレーター(2015年=100)

IH           実質民間住宅投資(2015年基準、連鎖10億円)

KH          民間住宅資本ストック(2015年基準、10億円)

MC          実質財貨・サービスの輸入(2015年基準、連鎖10億円)

GDP=CP+CG+IH+IP+IG+JP+JG+EXC-MC+RES

国内総生産=民間消費+政府消費+住宅投資+民間設備投資+政府設備投資
+民間在庫投資+政府在庫投資+財サ輸出-財サ輸入+開差

GDPGAP_NKF          内閣府によるGDPギャップ(プラスになるほど逼迫)

DUM97     1997年ダミー

DUM2014 2014年ダミー

 

 民間消費支出(CP)はGDPと消費税率と実質金利に依存する。民間設備投資は実質GDPと過去の資本ストック(KP)および、名目市中金利(INTN)から設備投資物価上昇率(DOT(PI))を引いた実質金利に依存する。また民間住宅投資も同様の金利に依存することとする。これらから右下がりのIS曲線が導かれる。

 中央銀行が名目市中金利(INTN)を政策目標として、これを維持すべくいくらでも貨幣供給量を増減させると想定するので、INTNは外生変数としている。そのためLM曲線は水平となる。IS-LMのグラフは、縦軸を名目利子率とし、横軸を実質GDPとして描く(図1、図2参照)。

 フィリップス曲線に基づくPC曲線は、(潜在失業率と実際の失業率とのギャップではなく)実質GDPが上昇してGDPギャップが小さくなるほど物価上昇率が小さくなるという理解に基づいて描かれており、縦軸を物価上昇率(BAUとの差)、横軸を実質GDPとして描く。

 

表3 パーシャルテスト(PT)とファイナルテスト(FT)の結果

  誤差率%

PT

FT

CP

2.04

6.9

GDP

0

6.49

GDPGAP_NKF

41.6

96.07

IH

27.66

13.39

IP

4.54

10.61

KH

0.16

6.87

KP

0.32

3.9

PDG

0.79

3.81

PH

6.45

5.65

PI

2.54

5.47

 

 このモデルを完成させ、パーシャルテストとファイナルテストを行った(表3)。トータルテストでも、民間消費(CP)や実質GDP(GDP)の誤差率は6~7%程度である。住宅投資は約13%、民間設備投資は11%程度の誤差である。これらは大きめの誤差であるが、ベースライン(BAU)とシナリオとの変化を見るシミュレーションにとっては許容可能なものである。GDPギャップはもともと潜在GDPと実際のGDPとの間の数%の差として定義されるので、どうしても誤差率は大きくなるが、これを用いて計算した物価の誤差率が3~6%程度に収まっているので大きな問題にはならない。

 なお、表1に示された数式は、2021年ないしは2022年までのデータに基づいて推計されたものであり、それ以降に起こった資源高・円安の影響を十分には反映できていない。モデルにも資源価格や為替レート等が含まれず、これらが貿易や物価に及ぼした影響を検討するのには、このモデルは向いていない。本稿の分析はあくまで、国内の財政政策と金融政策の効果をIS-LM-PCモデルとして把握するための試みである。

 

3. シミュレーション

 2022年から2025年の期間に対して、ベースライン(BAU)の他、政策シナリオとして「(1)市中金利3%引き上げ」、「(2)実質政府投資10兆円増」、および「(3)市中金利3%引き上げ+実質政府消費10兆円増」の3つを「予測」として計算した。計算の結果は図1、図2にグラフとして示す。

シナリオ(1)では、2024年と2025年に金利を、BAUの0.65%から3%引き上げて3.65%にしたことによって、GDPが2024年に約20兆円、2025年に約24兆円減少した。それは主に、投資よりも消費の減少によるものであった。これにより物価上昇率は2024~25年にBAUと比べて0.25%抑制されることがわかった。

シナリオ(2)では、政府投資を10兆円増加させたことによって、GDPは2024年に約15兆円、2025年に約19兆円増加した(政府支出乗数はしたがって1.5~1.9程度となる)。これによって物価上昇率はBAUと比べて2024年に0.25%、2025年に0.18%高くなる。

 

図1 IS-LM-PCモデル(2024年)

        

出典: 筆者の計算による

 

図1 IS-LM-PCモデル(2025年)

出典: 筆者の計算による

シナリオ(3)では、2024~25年に金利を3.65%にした上で、政府支出を10兆円増やした。これによれば、金利3%引き上げの効果と、政府投資10兆円増がGDPに与える影響は、ほぼ相殺しあう(利上げの悪影響がわずかに大きい)。物価上昇率はBAUと比べてほとんど変わらない。

 

今回の試算は、政府投資がGDPを大幅に引き上げる可能性を示している。他方、大幅な金利引上げはGDPを大幅に減少させる可能性がある。その際、絶対額では投資よりも消費の方が大きく落ち込むことになる。逆に言えば、利下げはGDPを押し上げる可能性があるが、日本においては名目金利が事実上ゼロ下限に達しているので、これをさらに下げることは難しい。ただし、消費・投資は実質金利名目金利から予想物価上昇率を引いたもの)に反応するので、予想物価上昇率が上昇すれば、これらが押し上げられる可能性がある。

 

4. 結論

 現状の日本経済を、ブランシャールのシンプルなIS-LM-PCモデルに基づいて分析したところ、金利を3%引き上げるとGDPが20兆円程度失われると試算された。これは逆に、利下げを行えばGDPが増えることを意味しているが、日本経済は事実上ゼロ金利下限に達しているので、これ以上名目金利を引き下げることは難しい。したがって、不況脱却のためには拡張的財政政策が重要であることがわかる。分析結果によれば、政府投資乗数は1.5~1.9程度である。

 ただし、今回のモデルは、為替レートや資源価格の影響を考慮できていないので、2022年から2023年に起こった資源高・円安の影響への関心に応じるには不十分である。これについては今後、輸出関数や輸入関数を充実させる必要がある。また、今回のモデルは予想物価上昇率と実際の物価上昇率の区別は行っていない。過去と現在の物価上昇率から、将来の予想物価上昇率を決める経路を含めることも、重要な課題と思われる。もちろん、マクロ計量モデルの各変数は誤差を含むものであり、各推定式も定式化や推定期間が変わると定数・係数の値も変化するので、結果は幅を持って解釈したい。

 

 

<参考文献>

エコノメトリックス研究会(2010)「エコノメイト-Macro ユーザースマニュアル」2010年7月

室田康弘・伊藤浩吉・越国麻知子(2005)『パソコンによる経済予測入門[第3版]』東洋経済新報社

ブランシャール、オリヴィエ(2020)『ブランシャール マクロ経済学(上)[第2版]』東洋経済新報社



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【翻訳】ペーター・ボフィンガー「ベスト・オブ・マンキュー: 世界で最も売れた経済学教科書の誤りと混乱」

ベスト・オブ・マンキュー: 世界で最も売れた経済学教科書の誤りと混乱

ペーター・ボフィンガー 2021年1月3日、朴勝俊訳 2023年12月18日

引用・参照は原典に対して行ってください

Peter Bofinger (2021) Best of Mankiw: Errors and Tangles in the World's Best-Selling Economics Textbooks, Jan 3, 2021

https://www.ineteconomics.org/perspectives/blog/best-of-mankiw-errors-and-tangles-in-the-worlds-best-selling-economics-textbooks


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わずか数回のツイートが引き起こす反応にはいつも驚かされる。N.グレゴリー・マンキューの入門書(Mankiw 2015)とマクロ経済学(Mankiw 2019)の重要な一節を10回にわたってツイッターで紹介したところ、信じられないほど大きな反響があった。こんなことを私はまったく期待していなかった。しかし、これらの教科書が、マンキュー自身のデータ(Mankiw 2020b)によれば、全世界で約400万部の発行部数に達していることを考えると、自発的にせよ、非自発的にせよ、この本に接し、独自の体験をした人が非常に多かったということなのであろう。

 一連のツイートでは"Best of Mankiw"という皮肉なタイトルをつけて、マンキューの著書から根拠がほぼ示されていない「原理」をツイートした。理解を深めるために、以下に個々のツイートを示し、私のマンキュー批判を詳しく説明したい。

 

  1. 「政府が経済のパイをより平等に切り分けようとすると、パイは小さくなる」


出典: Mankiw (2015), p. 5

訳: 原理1、人々はトレードオフに直面している。「政府が富者から貧者に所得を再分配すると、勤勉に働くことに対する報酬を減らす。その結果、人々は労働を減らし、モノやサービスの生産を減らす。言い換えれば、政府が経済のパイをより公平に切り分けると、パイが小さくなるのである。」

 

全10項目の「原理1」として、学生たちは、所得の分配がより不平等であればあるほど、経済生産額が大きくなると教えられる。マンキューはこう付け加える。「これは、所得の分配に関する教訓の中で、ほとんど誰もが同意するものである」(Mankiw 2015, p.429)。

だがそんな証拠はない。所得分配に関するOECDのデータ(純世帯所得のジニ指数で測定)では、南アフリカやチリ、メキシコ、トルコ、ブルガリアといった非常に貧しい国々では不平等が非常に高い。これとは対照的に、経済的に非常に強力なスカンジナビア諸国(1人当たり国内総生産で測定)は、家計所得の不平等が非常に低いという特徴がある。

所得分配と経済パフォーマンスの関係についての不正確な記述とは別に、マンキューが所得再分配を「懸命に働く」インセンティブを低下させるプロセスだと論じていることは注目に値する。高所得者低所得者よりも懸命に働いていると言いたいのだろう。

出典: OECD、最新データ

 

  1. 「政府が市場の成果を改善できる場合もある」

出典: Mankiw 2015, p. 12

訳: 原理7「政府はときには市場の結果を改善できる」、「見えざる手は全ての人々に十分な食糧や、まっとうな衣料、適切なヘルスケアを保証しない。」「この不平等は、個人の政治哲学に依存して、政府介入を求めるかもしれない。」

 

原理7は明確に、最小政府主義の表現である。マンキューは、市場のプロセスそのものには全ての市民に十分な食料や、適切な衣服、適切な医療を提供する能力がないことを認めている。しかしマンキューにとって、このことは必ずしも政府の介入を求めることを意味しない。むしろ、これは「各自の政治哲学」に依存するものである。

政府についての全く異なる理解は、財政学の専門家であるリチャード・A・マスグレイブによる政府機能についての古典的記述(Musgrave 1959)に見出すことができる。彼は政府の機能を分配機能、資源配分機能、安定化機能と体系的に区別している。政府の介入の可能性のみを語るマンキューとは対照的に、Musgrave (1989, p.7)は次のように述べている: 「公共部門は、その様々な任務を果たす上で、機能する社会の不可欠な構成要素である。」

 

  1.  「人々はどのように相互作用するのか」

出典: Mankiw (2015), p. 9

訳: 原理5「人々はいかに相互作用するか」、「家計は買い物に行くときでも、お互いに競争している(...)」「ある意味、経済ではそれぞれの家計が他の家計と競争しているのである」。

 

原理5(「取引はすべての人をより良くすることができる」)では、取引(ひいては市場経済)が家計にどのような影響を与えるかを述べている。マンキューは、家計が買い物をする際に互いに競争するのは、各家計が最良の製品を最安値で買いたいからだという結論に達する。これが経済原理の表現として誤ったものだという事実はさておいても、これは市場経済の現実にかんする不正確な記述である。

 市場経済とは通常、買い手市場であり、そこではすべての消費者に十分な製品が供給され、しかも価格交渉は通常不可能である。これとは対照的に、東ヨーロッパやソビエト連邦の中央計画経済では、1980年代後半まで、統制価格と売り手市場によって、希少財をめぐる家計間の競争が行われていた。これらは需要超過すなわち供給量が需要量を下回ることを特徴としている。ここでは需要者は、需要に比べて供給が不十分な商品をめぐって争っているのである。現在、このような売り手市場構造は、価格上限を特徴とする賃貸住宅市場においてのみ観察される。

 また、家族が互いに競争しているという一般的な記述の中で、ひとつの経済学的観点から、人々のお互いの行動に対する一般的な推論がなされていることが気になる。

 

  1. 「社会はインフレと失業の短期トレードオフに直面している」

マンキューはインフレと失業の関係を「原理10」として提示している。この原理によれば、短期的にはインフレと失業は常にトレードオフの関係にある。マンキューは、一部の経済学者がいまだにこの関係に疑問を抱いていることを認めながらも、ほとんどの経済学者がこの関係を受け入れているように装っている。

 この原理は、マクロ経済学の教科書の多くがショックを体系的に分析していないという根本的な問題を示している。上の図で明らかなように、需要ショックの場合、インフレと失業の間に「トレードオフ」は存在しない。一般的な総供給・総需要(AS-AD)モデルでは、負の需要ショックは総需要(AD)曲線の左方シフトをもたらす。この場合、物価水準は下落し、生産は減少する。このようなショックに対して中央銀行や財政政策が行動を起こせば、拡張的な政策をとることでAD曲線を最初の位置に戻すことができる。したがって、物価水準の安定と生産の安定との間に「トレードオフ」は存在しない。AS-ADモデルの単純なモデル世界では、物価上昇を物価水準の変化によって、失業率を生産ギャップによって、近似することができる。

 マンキューが一般的に主張する目的の対立は、供給ショック後の状況においてのみ存在する。ここで、中央銀行(または財務省)は、生産高と物価水準のどちらを安定させることを優先すべきかを、実際に自問自答しなければならない。

出典:Mankiw (2015), p.15および筆者の図解

訳: マンキューの原理10「社会はインフレと失業の短期トレードオフに直面している」「短期(1~2年)では、多くの経済政策はインフレと失業に正反対の影響を与える」「他の要素はトレードオフを多かれ少なかれ弱めるが、トレードオフは常に存在する」「(上図)負の需要ショックは総需要曲線を左にシフトさせる。物価が下がり生産が減る」「ショックに対応して例えば中央銀行金利を下げて、AD曲線は右にシフトしても、インフレ(物価水準)と失業(産出)のトレードオフは存在しない」。

 

  1. 最低賃金は失業を引き起こす」

出典: Mankiw 2015, p. 118

訳: 図(a)は賃金率によって労働供給と労働需要が一致させられるような労働市場を表している。図(b)は拘束力のある最低賃金の影響を示している。最低賃金は価格フロアであるため、労働の超過供給をもたらす。その結果が失業である。

 

このツイートはツイッターで最も多くの「いいね!」を獲得した。マンキューの名誉のために言っておくと、彼は教科書の中でこの問題について経済学者の意見が分かれていることを指摘している。しかし、彼が提示する唯一の実証的証拠は、最低賃金10代の若者の労働市場に与える影響に関する研究である。そして最低賃金擁護派に関しては、証拠も示さずに、彼らでさえ雇用に悪影響があったと認めたと主張している。しかし彼らは、その影響は小さく、全体として最低賃金貧困層の状況を改善すると「信じていた」のである。最低賃金は雇用に負の効果をもたらさないと結論づけた数多くの研究(Belman and Wolfson 2014)を、マンキューは全く隠蔽している。

 分析上は、上記の図は最低賃金が雇用に明らかにマイナスの影響を与えるという印象を与える。この図は、労働市場の供給側と需要側の両方で完全競争が成立しており、賃金変更の場合に代替効果が所得効果を上回ると仮定している。その場合のみ、労働供給曲線の傾きはプラスになる〔賃金率が上がるとそれ自体の効果でより多く働こうとするが(代替効果)、実質的に所得が増えることで働きを減らそうとする効果もあるので(代替効果)、前者が効果を上回らないと、労働供給は増えない〕。

 しかし入門コースにおいて、モノプソニー(買い手独占)所得効果が優勢な状況における労働市場のあり方を伝えることは容易ではない。しかし、マンキューもののような標準的表現だけを示して、それを学生の頭にこびりつかせてしまう前に、少なくとも別の表現を試みるべきである。例えばインターネットでは次のような表現が見られる:

出典: Lumen Learning, Open Educational Resources (2020). Monopsony and the Minimum Wage

訳: 最低賃金と買い手独占(縦軸は賃金率、限界収入生産物、限界要素費用、横軸は雇用量)。買い手独占の雇い手が直面する労働供給曲線はSで〔低賃金にするほど働きたい人は減る〕、限界要素費用曲線はMFC〔W(L)×LをLで微分したもの〕、限界収入生産物曲線はMRPである。利潤を最大化するのは、時給4ドルまで下げて、雇用量を〔MFCとMRPが交わる〕Lmとする場合である。時給5ドルの最低賃金が適用されると、SとMFCの点線部分は重要ではなくなる。L1の雇用量のところまで限界要素費用曲線は時給5ドルの水平線となるのである〔雇用量をあえて減らしても賃金を下げることが出来ないため〕。このときMRPとMFCが交差するL2の水準の雇用がなされるので、雇用量は増加する。

 

傾きが部分的に負になって、S字型の労働供給曲線となった場合にも、これをプロットすることは容易ではない(Dessing 2002)。

 

  1. 「デフレが経済を不況から脱出させる」

出典: Mankiw (2019)、p. 294

訳: デフレ(つまり物価水準の下落)は、需要ショックが起こったあとの経済回復を助ける。

 

このマクロ経済学教科書の驚くべき主張の一つは、デフレ(マンキューは物価水準の下落と呼ぶ)が経済を不況から脱出させるという説明である。

この結果は、AS-ADモデルの枠組みの中で原理的には導くことができる。ただし、このモデルはIS-LMモデルから派生したものであることに注意すべきである。IS-LMモデルでは、中央銀行名目マネーサプライを一定に保つと仮定されている。〔不況がくると総需要曲線が左にシフトし、物価の下落が始まり〕物価水準が下落すれば実質貨幣供給量(M/P)は増加する。貨幣需要が所与ならば、名目金利は低下する。名目金利の低下は金利に依存する投資を増加させ、投資乗数を介して総需要を増加させる。この観点からすると、物価水準の下落は、原理的にはAD曲線上の動きをBからCへと導くことができる。

しかし、マンキューが考慮していないのは、デフレの場合には名目金利のゼロ金利下限にすぐに達してしまうということである。つまり、原理的に経済を安定化させるはずの名目金利の低下には、下限があるということである。また、投資は名目金利ではなく実質金利で決まるため、名目金利がゼロ金利下限に達した後にデフレになると、実際にはデフレの進行とともに実質金利が上昇する。安定化プロセスどころか、不安定化プロセスである。

加えて、強い企業破綻(債務超過)のフェーズに続いて、デフレが起こる場合には、これは債務者と金融システムに不安定化の影響をもたらす。アーヴィング・フィッシャー(1933)はこれを「債務デフレーション」と呼んだ。

 

 

 

  1. 「公的債務は経済成長を低下させる」

出典:Mankiw (2015) p. 561、および著者の図解

訳: ベスト・オブ・マンキューNo.7、「政府の財政赤字は経済成長率を引き下げる」「(左)マンキュー「政府が財政赤字を出して国民貯蓄(貸付資金)を減らすと、金利が上がり、投資が減る」(公共投資がないという仮定)。「(右)もう一つの見方「政府が財政赤字を出して追加的公共投資の財源を賄うと、金利が上がり、投資が増える。マンキューは投資が増えると経済成長率が高まると言っている」

 

政府債務と経済成長の関係に関するこの記述は、特に経済政策にとって重大であると思われる。マンキューは、政府債務は貯蓄を減らし、経済への投資を減らすと推論している。これは経済成長にマイナスの影響を与えることになる。

 ここでの基本的な問題は、文脈が古典派経済学のモデルの枠組みで示されていることである。このモデルの特徴は、世の中には消費財や、投資財、金融資産として同じように使える万能財(all purpose good、原典のone purpose goodは誤り)しかないという想定である。したがって投資は、家計が消費を見送ること(貯蓄)によって「賄われる」必要がある。こうすることで万能財は金融資産として利用できるようになり、投資家はそれをそのまま投資財(「資本」)として利用できるようになる。銀行融資による投資資金調達や、政府の場合は中央銀行をつうじた投資資金調達は、このモデルでは基本的に不可能である。金融システムの実体経済」モデル化の問題点については、Bofinger (2020)を参照されたい。

しかし、古典的モデルの枠組みのなかでもマンキューが導出した結果は説得力のあるものではない。その結論はむしろ、政府は借り入れた資金をもっぱら消費に使うという暗黙の仮定から生じている。さらに、政府の追加的な信用需要は、信用に対する総需要を増加させるのではなく、家計の貯蓄から生じる信用資金供給を減少させるという奇妙な仮定も特徴的である。

その代わりに、政府が投資の資金調達のために借り入れを行うと仮定すると、様相は根本的に変わる。その場合には、その効果は(貯蓄による資金供給の変化ではなく)信用需要の変化として現れる。投資需要のシフトは金利の上昇につながり、新しい均衡では貯蓄が増え、投資が増えることになる。

 したがって、マンキューの推論とは正反対のことが起こる。政府投資の資金調達のための政府借入は、経済成長を高めることになるのである。

 

  1. 「銀行は預金を集め、それを融資として貸し出す」

出典: Bank of England (Mc Leay, Radia and Thomas 2014)

訳: ベスト・オブ・マンキューNo.8、銀行の主な仕事。マンキュー「銀行は預金を集める」「銀行の主な仕事は、貯蓄をしたい人々から預金を集め、この預金を使って借りたい人に貸付を行うことである」「イングランド銀行(英国中央銀行)「銀行は預金を創造する」。

 

銀行が貯蓄者と投資家のあいだの単なる仲介者であると考えるのはマンキューだけではない。これは、前述の(新)古典派理論における、金融システムに関する実物交換経済モデル化の表現である。これは今日に至るまで、金融システムの問題に関するほとんどの学問的研究を形作っているパラダイムである。実物交換経済モデルでは、前述の万能財しか存在せず、それは家計が消費を見送ることによってのみ金融市場で利用可能になるため、銀行の役割は、貯蓄者と投資家のあいだのパイプ役に過ぎないとされてしまう。

これは現実とは全く無関係である。ツイートでしめした、イングランド銀行のプレゼンテーションが明らかにしているように、(現実に基づく)貨幣経済モデルでは、預金は主に商業銀行の貸出によって生み出される。家計が銀行に現金を持ち込むことによって預金が作られる場合には、その現金はもともと中央銀行の貸し出しによって作られたものである。

マンキューの著書でも、この原理を反映した伝統的な信用乗数モデルを用いて、銀行による信用創造のプロセスが紹介されている。しかし驚くべきことに彼は、別のところで、銀行の機能はたんに仲介機能だと言ったことには触れていない。また、信用乗数モデルは全く現実的ではない。このモデルは銀行が、中央銀行貨幣が手に入ったらそれを全て、直接的に、貸付に使うという仮定をしている。しかし中央銀行による広範な国債購入の経験が示すように、このメカニズムは不正確である。またこのメカニズムは、銀行貸付市場における不均衡を仮定しており、実勢金利での銀行貸出に対する超過需要があるとされている。

中央銀行の資金供給が増えれば銀行貸出が増え、マネーサプライが増えるという、貨幣創造乗数モデルが想定する因果関係も不正確である。中央銀行は通常は、マネタリーベースを介して商業銀行貸出をコントロールするのではなく、マネーマーケットの金利を介してこれをコントロールするのである。これらの関係についてはECB (2011)を参照されたい。

 

  1. 小国開放経済における完全な混乱

出典: Mankiw (2019), p. 154

訳: ベスト・オブ・マンキューNo.9「小国開放経済の混乱した世界(マクロ経済学教科書)。左「I-SとNXは恒等式である(p. 143)」、右「I-Sはドルの供給であり、NXはドルの需要である(p. 154)」。〔実質為替レートは、上に行くほどドル高である。ドルの超過供給があるときには為替レートが下がり、超過需要があるときには為替レートが上がる、という図解〕。

 

マンキューの小開放経済モデルは大きな混乱の元である。まず、彼は純輸出(NX)が貯蓄と投資の差額(S-I)と同一であると正しく述べている(「会計恒等式」)。にもかかわらず、彼はそのわずか数ページ後に、NXを外国為替〔ドル〕需要、I-Sを外国為替供給だと表現してしまっている。そこから為替レートを導き出しているのである。

全般的な混乱とは別に、この導出方法は同時に、(新)古典モデルの論理を誤解していることを示している。このモデルでは、為替レートは存在しない量である。すでに何度か述べたように、このモデル世界では、万能財が一種類だけ存在する。したがって、交換は時点内ではなく時点間にのみ可能である。したがって、万能財は時点内貿易において価格を持たない。したがって、この世界には国内価格水準は存在しない。また、二国間で時点内貿易がなく、時点間貿易しかないのであれば、為替レートは無意味な量である。

数え切れないほどの大学で、数え切れないほどの教授が、数え切れないほどの学生たちに教えてきたこの本の初版から7版までで、このような単純なつながりがなぜ見落とされたのだろうか?

 

 

 

  1. ケインズの理論の核心は何か?

出典: Mankiw (2019), p.309および著者による図解

訳: 「ケインズのクロス」、マンキュー「計画支出と実際の支出の交差」、ケインジアンの説明「短期総供給は短期総需要に等しい」

 

マンキューはマクロ経済学の教科書の中で、「ケインズの理論の最も単純な解釈」として、いわゆる「ケインズのクロス」を紹介している。これは「計画支出」と呼ばれる曲線と「実際の支出」と呼ばれる曲線の2つをマッピングしたものである。これを示されたら、事前数量(計画)と事後数量(実際)の関係について、ケインズ派の理論に共通するものは何なのかと問いたくなる。

手短に言えば、そんなものは何もない。この図が示しているのは実のところ、所得に依存する消費と、金利に依存する投資で構成される総需要と、45度の線で表される短期総供給との関係である。ケインズ的要素とは、45度と仮定される供給曲線の傾きであり、〔供給が〕総需要によって決定されるとの仮定なのである。

マンキューは、他の教科書の著者と同様に、この論理を認識していないため、IS-LMモデルとAS-ADモデルを導き出す際に、さらに誤った解釈をしている。彼はp.319で「IS曲線上の各点は財市場における均衡を示す」と正しく述べている。彼はIS曲線を「ケインジアン・クロス」から導いているのだから、この曲線が表しているのは財市場における均衡以外の何物でもないということは、その時点ですでに明らかだったはずである。

だがこの混乱は、IS-LMモデルからAS-ADモデルが導き出されたときに一気に加速する。AD曲線は総需要を表し、AS曲線は総供給を表すことになっている。もし「ケインジアン・クロス」を財市場と正しく認識していたなら、AS-ADモデルにおいて、総需要がIS曲線(=財市場の均衡)からどのように導かれるのかと、不思議に思うだろう。

 マンキューは彼のマクロ教科書の第10版で、AS-ADモデルを長期的で垂直な総供給曲線だけで提示している。以前の版ではまだ提示されていた短期供給曲線は、差し替えられることなく削除されている。これは、モデルに2本目の短期供給曲線を置く余地がない限りにおいて、妥当なことである。しかしAS曲線を残し、それを単純に物価水準のフィリップス曲線として解釈することも可能であったはずである。

AS-ADモデルの詳細な議論と批判については、Bofinger (2011)を参照されたい。中央銀行がマネーサプライではなく(実質)金利を手段として使用し、したがって物価水準をコントロールするのではなくインフレ率をコントロールするという事実を考慮した、かのドクトリンに対するシンプルな代案は、Bofinger, Mayer and Wollmershäuser (2002 and 2006)によって開発されたモデルである。

 

要約

私のツイートに対して、マンキューに対する「中傷キャンペーン」だという非難があったが、それ以外には(少なくとも私のフィルターバブルの中では)批判的なコメントはほとんどなかった。実際、私の要点は、マンキューの教科書で紹介されている一面的な、非現実的な、混乱した経済学解説を批判することである。彼の著書は経済学者の教育だけでなく、経営学やビジネス情報学のような経済学全般の学問に使われているためである。マンキューの著書は、経済学者の比較的狭いサークルをはるかに超えて、経済政策思想を形成しているのである。

少なくとも、マンキューが非常に積極的に、かれが説明する経済原理がある種の経済学的コンセンサスになっているかのような印象を与えようとする時点で、すべてが問題となる:

 

「特にあなたが学部の教室に入ったときに、経済学の専門家たちが知っていることについて、バイアスのない見方を示そうとすることが、教授の目的となるべきでしょう。私は自分のことを、グレッグ・マンキューの見解を代表するだけでなく、私と多くの同僚の見解を代表しようとする、経済学の専門家の大使だと考えています」(Mankiw 2020a)。

 

そうではないことは、この記事で明らかになったはずである。

 

 

文献

Belman, Dale und Wolfson Paul J. (2014), What Does the Minimum Wage Do? Tuck School of Business at Dartmouth, Upjohn Press, https://research.upjohn.org/up

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【翻訳】エーダー=ラムサウアー(2022)「山本太郎とれいわ新選組 ― 新自由主義日本のための、愛と、ポピュリズムと、ラディカルなデモクラシー」

アンドレアス・エーダー=ラムサウアー(2022)「山本太郎とれいわ新選組

新自由主義日本のための、愛と、ポピュリズムと、ラディカルなデモクラシー」 

翻訳: 朴勝俊(2023/10/17) 
※ 公式の翻訳ではないため引用・参照は原典に対して行ってください。

原典: Andreas Eder-Ramsauer (2022) “Yamamoto Tarō and Reiwa Shinsengumi -- Love, Populism, and Radical Democracy for a Neoliberal Japan –”, Journal for the Study of Radicalism, Vol. 16, No. 2, 2022, pp. 95–112. ISSN 1930-1189.

 

山本太郎街頭演説@札幌駅南口広場


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はじめに

現在の日本の政治状況は、2011年3月の東日本大震災に端を発する二つの相反するトレンドによって特徴づけられている。一方では、福島第一原発炉心溶融事故が日本の市民社会を幅広く政治化させ、反原発運動のみならず、フェミニズムから人種差別反対、平和主義に至るまで、のちの多くの社会闘争を再活性化させた1。他方で、2009年に反体制を掲げて勝利した、中道左派から中道右派までを含む民主党は、この大規模な危機の重圧に押しつぶされ、他の政策分野でもあまり見せ場がなかった2。2012年の民主党政権の前代未聞の崩壊によって、保守の自民党が無敵ともいうべき権力の座に返り咲き、戦後民主主義の特徴であった一党支配が復活し、一枚岩ではないがヘゲモニー的(覇権的)な新自由主義を中心とする2009年以前の政策的収斂が復活した3

 市民社会の活動は、プログレッシブ政党(革新政党進歩主義政党)の運命に大きな変化をもたらすまでには至っていないが、元俳優の山本太郎が政治家として登場し、2019年に日本初の左派ポピュリスト政党(left-wing populist, LWP)を設立するに至った。現状打破を目指すれいわ新選組(以下、れいわ)は、保守的な自民党の支配を打破するだけでなく、日本社会を支配する新自由主義を終わらせることを目指している4

れいわの指導者中心主義には民主主義的・多元主義的性格が欠けているのではないかと疑問を呈する論者もいるが5、左派ポピュリズムが日本の民主主義を再活性化・急進化させる新たな方法に、可能性を見出す論者もいる6。とはいえ、れいわの言説(discourse)に内在するアイデンティティ形成プロセスが、ポピュリズム的な指導者中心主義、多様な民主的闘争のための自律性をめざすラディカルな民主政治によって、実際にどのように形づくられているのかに関しては、我々にはまだまだ体系的な理解が欠けている。そこで本稿では、以下の研究課題を検討する。れいわの言説構造はどのように「人々」に訴えかけているのか。れいわの言説の特徴としての、(妥協なき集団性を生み出す本質的戦線としての)敵対性(antagonism)とは何か。この言説構造はいかにして、代表制の垂直的形式と、自律的で多様な闘争や要求の水平的なつながりとの間に、折り合いを付けているのか。これらを、エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフの仕事や[a]、言説分析の「エセックス学派」を基礎とする研究アプローチに従って解き明かしてゆこう。

 言説の形式的な特徴(敵対性がどのように描かれているか、中心的概念と主体性が互いにどのように関連付けられているか)に焦点を当てると、れいわの言説における「人々」の構築においては、(〔障害者や性的マイノリティ、少数民族の問題などの〕より限定された多種多様な敵対性の中に見られる)個人的な不満が、「新自由主義エリートが多数派を抑圧している」という中心的かつ包括的な敵対性と噛み合うように、たんに従属的に位置づけられているわけではないことがわかる。れいわの可能性と意義を理解するために、我々はラクラウとムフのポピュリズムの理論化を、民主主義を「ラディカライズ(急進化、根源化)」させるという、現代のグローバル左派諸勢力のより広範なプロジェクトの一部として活用することを提案する7。これによって、日本社会においてラディカルな変化を望む人々が抱いている、代議制に対する疑念に対応できる可能性を秘めた、れいわの斬新な左派ポピュリズム応用戦略を明らかにする8。まずは、ラクラウとムフの言説理論の重要な概念と、彼らのポピュリズムの概念を整理しよう。

 

言説、ポピュリズム、ラディカル民主政治

 ラクラウとムフのポピュリズムに関する著作は、スペインのポデモスから、ギリシャのシリザ、フランスのラ・フランス・インスミーズに至るまで、2008年以降にヨーロッパで成功した左派政治家や活動家にとっての、事実上のガイドブックとなっている。この左派ポピュリズム政治の最近の波は、(「オキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せよ)」やスペインの「インディグナドス(怒れる人々)」のような)2008年以降の不況下における民衆の抗議行動や「広場での運動」の文脈で理解されなければならない9。多くの人々が観察してきたように、民衆の不満を制度化しようとする試みは、概して「ラディカル民主主義の原則を個人的リーダーシップのモデルに結合させる」試みによって、リーダー不在の水平的な願望と伝統的政治への不信に戦略的に適応してきた10。「権力集団」を選挙で打ち負かそうとする垂直的代表制による結集方法は、有名な左派ポピュリズム事例の大部分で中心的なものであったため、個人崇拝カルトに対する懸念をめぐって盛んに議論がなされてきた11。しかし「多数者(the many)」が「少数者(the few)」を抑圧している状況[b]に反対する人種差別反対運動のような特定の社会的闘争は、左派ポピュリズムのアクターたちによっては、それ自体が敵対性を伴う自律的な取り組みとみなされることが多い。このことは、敵対性に基づくさまざまなタイプの政治が、水平的な自律性へと開かれていることを示している。ラクラウとムフが開発した理論的道具は、これらの形態の政治が同時発生していることの分析を可能とするものであり、政治的現象の詳細な理解を可能とするものである12

 まず始めに、我々はポピュリズムを、権力集団やエリート、寡頭政治、エスタブリッシュメントなどさまざまな名で呼ばれる、不当な、あるいは過剰な権力をもつ少数派に対して、劣位の「民衆」を対抗させる独特の政治のあり方として理解したい。どちらの集団も、言説による明確化によって構築されたもの(創出された(interpellated))ものとして理解され、言葉にされる前にできあがっていた集団としては理解されない13ラクラウとムフのポスト基盤的言説理論によれば、あらゆるシニフィアン(記号)[c]の同一性は、差異の論理(logic of difference)と対等性の論理(logic of equivalence)の相互作用の中で、複数のシニフィアンを関連づける偶発的なプロセスから生じるものと見なされる。記号間の関係を確立する二つの論理は、共通の「他者」に対して多数の記号や要求を結びつけることによって統一性をもたらすか(対等性の論理)、あるいは、それぞれの独自性を主張することによって政治的空間を拡大するか(すなわち、差異の論理)、このいずれかである14。これらの論理の相互作用から、それ以上に還元できない敵対性が構築される瞬間に、潜在的に、社会的現実と主体性が確立される15。具体的な例を挙げるならば、ポピュリストの言説は、対等化する論理に支配されたものとして、環境保護や賃金上昇、あるいは男女平等賃金を、「エリート」に対する「民衆」の名において、「対等化の連鎖」を通じて(言い換えれば対等性の論理を通じて)明確にし、両者のアイデンティティに特定の意味を与えるかもしれない。これとは対照的に、以前はその他の要求と等価に結ばれていた特定の要求(たとえば、賃上げと環境保護を結びつける「環境にやさしい仕事」)が、企業の代表者たちによって、環境保護への取り組みは必要だがコストがかかると言った、分断的な形で言及されるかもしれない。それによって、「環境にやさしい仕事を」という幅広い不満が不安定化し、その結果、社会的主体が同一化するための新しい(主体的な)立場、たとえば「倫理的消費者」が生まれるのである。このように、言説構造を研究することによって、実現可能な同一化プロセスを明らかにすることができる。その結果、シャンタル・ムフが提唱した左派ポピュリズムは、ある政党や運動による「政治的戦線の構築戦略」として分析することができる。注意すべきは、左派ポピュリズムを「本格的な政治プログラム」と誤解してはならないということである16

われわれは、ある言説における差異の一時的な固定化を、特権化されたシニフィアンを特定することによって検討することができる。これらのいわゆる結節点は、同じ言説の中の他のシニフィアンをあるていど過剰決定し、それらが何でないかの限界を設定する17。例えば、リベラリズムにおいては、「自由」という結節点が、「政府(state)」の意味を、個人の自由を保証するもの以外の何物でもないものとする18。のちのラクラウのポピュリズムに関する著作は、「民衆」のような「統一的なシニフィアンの代表」を強調している19。このような(結節点のサブグループとしての)複数の空虚なシニフィアンは、本質的な欠陥(constitutive lack)を代表することによって、感情投資の的として働くことによって、社会における中核的敵対性と、それに関連する主体性を顕在化させるために、極めて重要なものと見なされている。言い換えれば、ジェンダーの平等のような単一の要求は、もはや孤立した形で明確化されるのではなくて、「民衆の力」のような空虚なシニフィアンの方が、要求の連鎖の中でそれを包み込み、対等な要求の連鎖全体を統一する結節点として支配的な地位に達するのである。その結果として、それは特定の文脈において生じた本質的な欠陥に対する有望な解毒剤として機能する。注意すべきは、これらのシニフィアンの「空虚さ」が生じるのは、これらのシニフィアンが、絶えず拡大し続ける異質な要求の連鎖に部分的な同質性をもたらすにすぎないためだということである。それぞれの要求に違いをもたらす特殊性は、決して完全には解消されない。なぜなら、その要求は必ずしも明確化されないためである20。それゆえ、結果としての主体の立場には、個々の要求(ジェンダー平等など)と全体(人々の権力など)との間で分裂が残る。したがって、ある包括的な敵対性(「エリート」に対する「民衆」)にむけて多種多様な要求が表現を通じてどの程度統一されているのかということと、より限定的な敵対性(「レイシスト」に対する「マイノリティ」)にむけて特定の要求がなされ続けるための自律性がどの程度存在するのかを研究することによって、ポピュリスト的な同一化と統一の形態と、その他の非ポピュリスト的なそれとの、いずれが相対的に優勢なのかを確認することができる。端的に言えば、多様な敵対性の存在と意義を研究することで、左派ポピュリズム戦略の特異性を明らかにすることができるわけである。

現在、欧米では「ポピュリズム・モーメント」の衰退が議論の中心となっている21。こうした流れに逆らうように、最近では「左派ポピュリズム」は日本の一部のプログレッシブズの掛け声となっており、最も大きな声でそれを支持しているのは、れいわ新選組の協力者や支持者たちである22。次節では2021年10月31日の衆議院選挙までにれいわ新選組の公式ウェブサイトに掲載された選挙演説や、記者会見の記録、出版された書籍、インタビューなどを用いて、れいわの言説において左派ポピュリズム戦略が具体的に応用されていることを明らかにする。

 

れいわ新選組ポピュリズムの言説構造

 2019年4月1日、元俳優から政治家に転身した山本太郎によって、れいわ新選組が結成された。山本は単身の母親と2人の姉とともに、ショービジネスで有名な宝塚で育った。幼い頃から俳優の道に進み、高校は卒業せずに中退した。2011年3月に、東北地方太平洋沖地震津波、そして福島第一原子力発電所メルトダウンが起こったのち、山本は日本の原子力利用を厳しく批判するようになった。リスク回避に熱心な芸能界の内部では、こうした批判に対する圧力が急速に高まったため、山本は所属事務所を辞め、反原発運動に全面的に参加することを表明した23。2012年の衆議院選挙で敗れた山本は、1年後の参議院選挙において無所属で当選した。任期満了を間近に控えた2019年に、山本は自身の再選を目指すのではなく、さまざまな分野で活躍する9人の活動家とともに政治団体を結成することを決意した。2022年の参議院選挙以来、れいわは日本の二院制国会で(710議席中)8議席を占めている。党では山本が際だって目立っており、現時点では議席数も少ない。しかしれいわの重要性は、その独特で斬新な言説構造と、その結果としての、個人崇拝を超えたアイデンティティ獲得の可能性にある。

 

れいわの言説における「人々」の開放性とその地位

山本が反原発運動に関わったことは、初期の彼の政治活動を強く規定していたが、「あなたを幸せにしたい」といった重要なスローガンには、れいわ新選組の幅広く開かれた人々中心主義が表れている24。2021年衆院選マニフェストも同じように「あなたの使えるお金を増やし、あなたの負担を減らします」と公約している25。これらの例に示唆されているように、集団性はほとんどの場合、「あなた」、「みんな、わたしたち」、「ひと、ひとたち」といった、「虐げられた人々」、「排除された人々」、「政治を諦めたひとたち」などのきわめて曖昧な用語で表現されている。オープンな呼び名を用いることで、前もって抑圧の経験を(例えば原子力産業とその政治的支援者の過失による地域的な放射能汚染のような)単一の領域に限定するようなことや、資本家に対抗するプロレタリアートのような単一の闘争に限定することを、回避しているのである。山本や、渡辺てる子候補、あるいは三井よしふみ候補が「労働者」や、「派遣労働者」、「庶民」、「貧乏人」といった階級的にもみえるシニフィアンを使用しているのは、主語である「人々」の等価的な拡張として理解されねばならない26

投票率が低いために、日本人の大多数は政治的に代表されていないと、あるいは正しく代表されていないとみられているが、このような形での抑圧は選挙政治の問題にとどまるものではない27。第一に、「人々」が民族的な線引きや国籍に還元されないという事実は、「この国に生きるすべての人々」に奉仕するという主張によって繰り返し明示されている28。第二に、抑圧されたり排除されたりするのは、選挙に関わる形で組織化されていない経済的貧困層や、失業者、学校中退者、派遣労働者に限ったことではなく、社会を支配する新自由主義の懲罰的・排除的な圧力によって、つねに合格か不合格かを判断され、苦しんでいる人々が潜在的にいる29。このような雰囲気の中で生きるとき、誰もが搾取され、虐待される可能性が常にあるのだと強調することで、開放性が生まれ、「人々」を吸収力のある集団として打ち出すことができる。例えば、教育システムにおける効率性に焦点を当てることで、文化的エリート集団のメンバーさえもが経験している抑圧の形態へと繋がることができる。れいわの2019年の候補だった、東京大学教授でトランス女性のやすとみ歩は、日本社会は長いあいだ彼女が本当の自分として生きることを許さなかった、なぜなら学歴が過度に注目された結果、ただ下を向いて勉強するように強いられたからだ、と言った。彼女は「人々」の開放性がエリートを自認する人々の一部をも取り込んでしまうことを例証している。「この国はそういう〔わたしのような〕学歴エリートによって指導されています。私たちエリートは怯えています。誰かに何かを言われるんじゃないかと思って、怯えています。特に、自分に力を振るうことの出来る人に叱られるのに怯えています」30。要するに、抑圧された人々には、特定の階級とか、民族とか、社会集団といった区別がないことがわかる。それに関しては、政党や組織集団の垣根を越えて、不満を持つ人々を団結させたいという発言や、右でも左でもない31、あるいはフリースタイルだという自己定義が代表的である32。左派ポピュリズムとして分析される他の政党は、「日常的な人々」のニーズに焦点を当てるドイツの左翼党のように、「人々」を広範で漠然とした集団的主体として解釈する点で共通しているが、れいわは「人々」の一部である個人を、文脈に即して主体化しているのである33

中心的な結節点である「当事者」を経由して、「人々」の中に個人が刻み込まれる。この「当事者」という用語は、ある事柄に直接関わる当事者(例えば集団訴訟の原告)とそうでない者を区別するという、法律主義的・個人主義的な起源を強く持つものであるが、これはマイノリティのセルフ・アドボカシー団体の言説に深く根ざしている34。れいわの言説では「当事者」というシニフィアンは、「愛[d]」と「カネ」という結節点による過剰な決定を通して、新自由主義的エリートよる抑圧を経験したり、あるいは抑圧されたマイノリティの一員として生きてきたりと、日本社会において多様でそれぞれに深刻な抑圧を経験してきたすべての個人に、主体的な立場を提供している。当事者というシニフィアンは、れいわが多様な抑圧を言葉に表すための潜在的なプラットフォームとして、いかに機能しているかを教えてくれる。「れいわ新選組の存在理由は何か? 当事者です。当事者を送り込むということ。700人以上いる国会議員、この国会議員、今やその多くが、残念ながら大企業や資本家の、これは代理人と成り下がってしまってます。本来ならば、700人以上国会議員がいるならば、700通りの問題を抱えた当事者が国会の中に入れば、問題解決、さらに前に進んでいくんじゃないですか?。・・・当事者でなければわからないこと、決して代弁者では伝えきれないこと、国会の中を多様性で埋め尽くすっていうのが、私は政治のこれからだと思うんです。どうか新しい未来一緒につくっていきませんか?」35

山本が2019年の参院選で、舩後やすひこと木村英子という重度の障害を持つ2人を参議院選候補者名簿の特別枠にのせ、最終的に自身が落選したことは、当事者の解放の重要性を示している。一人一人が日本社会の何らかの機能不全の専門家であるところの「当事者」の地位向上は、れいわの言説における解放の約束である36。支配的なポピュリストの対等化論理の中で、それと生産的に共存するラディカル・デモクラシーへの開放性は明らかである。後に議論するが、山本が有名なリーダーだからポピュリズムなのだという見方には限界がある。主体的な立場としては、リーダーの下での完全な結集(真の当事者の意思を完全に代表しえない状況)を防ぐために、これが重要なのである。この自律性によって、さまざまな要求や闘争がそれぞれの敵対性を持って、権力をもったエリートに対する抑圧された人々の統一的な敵対性の中に刻み込まれるのである。以下では、「権力者」に対抗する「人々」という構図が、抑圧的な多数派にたいしてマイノリティを奮起させる敵対性によって、どのように補完されるかを説明する。

 

敵対性(複数形):「大多数」と「少数」のための愛とカネ

湯川れい子はソングライターであり、文化評論家であり、またれいわのサポーターでもある。彼女の次の発言は、日本社会におけるポピュリズムの重要な断層に関するれいわ関係者たちの認識を示す、模範的なものである。彼女によれば、権力が権力と癒着し、権力だけを守ってきた結果が、今の日本である37。観察される、様々なエリートに対する強烈な批判意識38は、民間企業や銀行、メディア、時には労働組合などの集団や個人のつながりの中にも見られ39、「既得権者」や「権力を握っている人たち、権力側」といったシニフィアンにも現れている40。これは日本社会における搾取的な状況から利益を得ているすべての者を指す言葉である。「エリート」は、「我々の縄張りに入ってくるな」と、政治の参入障壁を高くして、「普通の人」が選挙に出ることを不可能にしている、とされる41新自由主義は、現在のエリートたちを緊縮財政と生産性のドグマに固執させ、「人々」に苦痛しかもたらさず、自殺に追い込むことさえある、覇権的イデオロギーとみなされている。この覇権的な新自由主義の説明から、愛とカネという2つの結節点が、あらゆる対立関係を決定するものとして浮かび上がってくる。緊縮が貨幣退蔵の原因であり、覇権的な新自由主義に伴う自己責任の言説は愛の退蔵の原因である。つねに自己責任が唱えられることで、個人の孤立と高い自殺率がもたらされたとみられる42

れいわ関係者の要求は全て、「人々」の利益のために、この愛とカネの欠如を解決することを中心に据えている。より拡張的で積極的な政府は、それが過去の行動によって引き起こした問題に対する責任を負い、金輪際人々を「野垂れ死に」させないよう求められる43。対等化の論理は全ての要求を、現状からのラディカルな脱却として理解される「やさしい社会」の創造ための、より広範なプロジェクトの一部として結びつける44。二つの国政選挙の中心的要求である消費税廃止が、経済停滞に対する不可欠の技術的解決策としてだけでなく、新自由主義的エリートや覇権的慣行に対するより広範な攻撃の一部としても明確に表現されていることを見れば、権力集団に逆らう要求をするというポピュリストの対等化論理は明確である。利己的なエリートである政治家は、カネと票にしか興味がなく、カネで買われる存在とされる。資本家や大企業に属する人々から安定的に票を得るために、長期政権を維持する自民党法人税増税を控え、むしろ消費税増税という形で弱者から搾り取っているとされる45。税制や、政府債務、政府支出の仕組みを「当たり前の事実」として、現代貨幣理論(MMT)の観点から見れば、消費税増税は金持ちをより金持ちにするための意図的な決定であり、幅広い人々の購買力を高めるなどの代替案を避けるための決定ということになる46。このように説明される対等性の連鎖は、上と下の関係としてある共通の「他者」に向けられたものであるが、それが一部の候補者にとってはそれほど重要ではない。そのことは興味深いことである。

何人かの候補者は、当事者としての自らのアイデンティティを通じて、れいわのいう「人々」につながる。時には、彼らはポピュリズムの対等性の連鎖の中で要求を結びつけるだけでなく、強いマジョリティに対して弱いマイノリティを奮起させる敵対性を追加して、さまざまな形態の支配に対抗する特定集団の権利というラディカル民主主義の論理を、より広範なプロジェクトと結びつけてゆく。仏教系の宗教団体である創価学会の沖縄支部会員で、2019年の候補者であった野原よしまさもその一例である。彼は一方で、創価学会と親密な政治団体である公明党を、大衆の声に耳を傾けることを忘れ、「権力のうま味」に屈し、「民衆を弾圧するような法案」の共犯者になったと批判した。また他方では、日本で最も貧しい県である沖縄からの、米軍基地の移設を求める彼の中心的な要求は、多数者の無関心が少数者を抑圧していることと、少数者の権利擁護の必要性を主張することによって、対等性の連鎖に刻まれている。野原は集会で、「多数のエゴで弱い立場の人を犠牲にするのが民主主義なのか」と問いかけた47環境保護活動家の辻村ちひろも同様に、日本社会は豊かさと多数派の快適さのために、少数派を傷つける社会だと見ている。彼は長崎県の石木ダムの例を挙げる。小さな村々からの抗議にもかかわらず、石木ダムは近隣都市の電力需要を満たすために建設されたのである48

こうして明らかなように、対立は「人々」と「権力集団」との戦いには還元されない。すなわちムフが言うところの意味での、平等を求める闘いとして理解される、多種多様な民主主義的闘争のための自律性の余地が、そこに現れてくるのである。もちろん悪意を持って行動するのはエリートだけであり、「多数派」はおおかた無自覚に抑圧に加担したものと理解されている。したがって、れいわのアクティビズムとラディカルなビジョンは、自身を苦しめている抑圧の形態に対する解放のプロジェクトであると同時に、抑圧的な関係に加担していることを暴露する教育的プロジェクトとしても機能しうる。それによって、れいわは拡大する集団を、中心的指導者との垂直的な代表関係に組み込みつつも、自己変革を重視する日本の「新左翼」の考え方に基づいていると言える49。次の章では、リーダー中心主義(代表制)と、ラディカル・デモクラシー政治における自律性とが同時に発生し、そこに葛藤が生じていることについて、より深く掘り下げていこう。

 

れいわにおける代表性と自律性[e]

 ボランティア活動と投票意思を結集するための、言説的に実行可能な同一化プロセスは、リーダー中心の同一化形態と、プロジェクト全体のより広い構造(党名)を空虚な記号の地位に高めるような同一化形態との間で、揺れ動いているものである。2021年の衆議院選挙を前にした渡辺てる子候補の熱烈な訴えは、空虚な記号としての山本の地位を象徴している。彼女はこう訴えた。「今までにない方法。今までにない目的。それを山本太郎がまず1人で始めた。だけれども、今はこれだけ多くの人が志を同じくして集まっている。これって、まさに革命だよね? こんなに、こんなに手づくりで誰もがやってこれなかったことを、まず山本太郎が1人でやろうとした。だけれども、「山本太郎を1人にしておけない。いや、自分こそが次の山本太郎になるんだ。(ママ)」と。その思いで、みんな、れいわ新選組をつくってくれましたね?」50。言い換えれば、山本太郎という名前は、日本社会における愛とカネの欠乏を解消するシンボルとして、潜在的に機能しているのである。しかしながら我々が論じるところでは、「人々」は、そして「人々」の代表組織としてのれいわは(すなわち当事者の集まりとしてのれいわは)愛とカネの欠乏という危機の結びつきのなかで、同じような空虚な左派として出現した。2019年の候補者であるはすいけ透は、各候補者が(そして各支持者)が主張できる自律性を反映した次のような発言をしている。「私たちは本当に、自由に、ゆるく繋がっています。皆様を幸せにするために、ゆるく1本の線で繋がっております。山本太郎に「絶対服従」なんかしません。そんな、どっか、どっかの党とは違います。我々はまだ団体ですけれども、ゆるい繋がりで皆さんを幸せにするために頑張る。その一点です」51。しかし、2019年の参議院選挙から2021年の衆議院選挙までの組織の実践は、幸福を分配する政治のポピュリスト版と、ラディカル・デモクラシー版との間の緊張を示している。

党内で議決権を持つのは選ばれた数人だけであるため、党内組織のプロセスについて公開されている事例はほとんどない52。それにもかかわらず、2020年の「大西つねき事件」は、この限られたサークルで繰り広げられる代表制と自律性との緊張関係を明らかにした。2019年の参院選後、ユーチューブで多くのコンテンツを制作している元JPモルガン社員の大西つねき候補が、動画の中で、高齢者の延命は何がなんでもやる価値があるのか、社会は考えるべきだと発言した。山本は、れいわが目指す「やり直しがきく寛容な社会」の実現を掲げ、大西の除名を躊躇した53。障害者差別に反対する当事者である木村英子議員が抗議したことで54、山本は無神経さを謝罪し、最終的に大西を党から外すという集団的決定を行うこととなった55。これは、特定のグループ(身体障害者)のラディカル・デモクラシー的な自律性という観点から表現された闘争が、あらゆる闘争をひとつの共通の相手に対するものにまとめようという代表の意思を凌駕したようにも見えた。だが、野原よしまさはまもなく、れいわ内部の中央集権的な意思決定プロセスに不満を示し、それを「ブラックボックス」と呼んで、れいわから離脱した56。彼の離党と大西の排除は、れいわの言説構造を組織的実践に移すさいに生じる問題を、すでに党の初期段階において例示している。こうした困難があったものの、われわれが主張したいのは、個人を重視する選挙文脈のなかでも、ここまで説明してきた言説構造によって、れいわ全体に対する支持が構築できたということである。

れいわの選挙結果を振り返ると、獲得票を山本の個人票に限定するのは、還元主義[f]だと思われる。2019年の参院選と2021年の衆院選の投票方法の違いから、よりニュアンスの異なる図式が見えてくる。どちらの選挙も、小選挙区比例代表並立制の下で行われる。いずれの選挙でも、有権者が受け取る2枚の投票用紙には、手書きで名前を記入することに注意が必要である。また、党首の名前を書くことは必ずしも可能ではない。参院選非拘束名簿式比例代表制では、有権者は山本氏の名前か、政党名か、政党リストに記載されている他の候補者の名前を記入することができた。しかし衆院選の拘束名簿式比例代表制では、手書きの政党名しか有効投票とみなされない。2019年の参院選の比例投票では、山本の名前ではなく政党名を書いた人がやや多かった57。しかし、2021年の衆議院選挙では、左派リベラル野党間の選挙協力によっても、山本を1人区統一立候補にすることができなかったため、山本のネームパワーが損なわれる懸念が生じた。結局は、この懸念は現実のものとならず、れいわは党名に頼るだけで、2019年とほぼ同数の票を獲得したのであったが58。この観察結果は、リーダーの名前よりもグループ名が、対等主義的な要求の連鎖全体にわたって、代表的機能を果たすに至ったことを示唆している。このことから、マジョリティが受ける抑圧と、マイノリティが受ける抑圧という、両方の主体的立場を包含する「人々」という集合的シニフィアンの開放性が、重要であったと結論づけられる。

 

結論:破壊的な潜在力

 本稿は、日本初の左派ポピュリスト政党と、そのカリスマ的で著名なリーダー山本太郎の、統合的象徴としての役割について、言説理論の観点から新たな洞察を提供するものである59。結果として示されたのは、「あなた」や「みんな」、「わたしたち」、「人」、「人たち」として示される「人々」というシニフィアンが、れいわ新選組の言説において中心的な位置を占めていることである。党の公式文書や山本代表の言説は主に、新自由主義的な体制に抑圧された負け組としての「民衆」に訴えかける、ポピュリスト的な対等化論理によって特徴づけられるが、(何かに苦しめられたり、直に関わったりしている)「当事者」という結節点と、その主体的地位によって、「民衆」対「権力集団」という二分法よりも、より限定された敵対性を組込むことができる。「マジョリティ」によって「マイノリティ」が抑圧されることは、様々な敵対性によって描かれるが、それがグループの言説と結びつけられる。当事者というシニフィアンの統合と、闘争の水平的自律性の支持は、左派ポピュリズム戦略の文脈に特化した実践例を示しており、れいわが単なる個人崇拝カルトであるというレッテル貼りが還元主義に過ぎないことを暴露している。れいわ新選組の破壊的な潜在力は、日本社会に立ち現れる様々な不満を柔軟に統合する能力と、多種多様な社会闘争との安定したつながりを構築する能力との、その両方によるものである。加えて、多種多様に定義された集団を中心的リーダー像の周りに持続可能なかたちで統合できるような組織の行動様式を見出すことは、今後も課題であり続けるだろう。

れいわにおける「人々」の多様性は、他の左派ポピュリズム政党においても似たようなものが見られるが、経済に関係しない抑圧の形態を、「愛」のような結節点のまわりに結集させうる開放性は、より詳細な検証を必要とする。「愛」や「幸せ」、「やさしい社会」といったシニフィアンの使用は、日本の急進左派が以前の戦闘性から転向し、「たのしげな抗議(fun disruption)」へとシフトしたことの副産物である。一方、れいわの代表政治の焦点は、「日常性」の変革や、主流社会の制約から解放された空間の創造に焦点を当てた、先行するラディカリズムとは明らかに一線を画している60。こうした言説の特徴についてより広く考察することで、例えば、これまでの男性化された形の左派ポピュリズム政治と、生産性に重きをおく新自由主義的に対する対抗的言説としての、思いやりや共感といった実現可能な代案を、批判的に分析することができる61。反エリートと反マジョリティの要求を統合するれいわの具体的な方法は、しばしばこの点が掛けていると批判されている他地域の左派ポピュリズム現象にとって、興味深い研究材料となろう62

 

 

脚注

  1. Horie Takashi, Tanaka Hikaru, and Tanno Kiyoto, “Introduction: Post-FukushimaSocial Movements in Japan. An Overview,” in Amorphous Dissent: Post-Fukushima Social Movements in Japan, ed. Horie Takashi, Tanaka Hikaru, and Tanno Kiyoto (Tokyo: Trans Pacific Press, 2021), 1–25; Alexander James Brown, Anti-Nuclear Protest in Post-Fukushima Tokyo: Power Struggles (London: Taylor & Francis, 2018).

2. Phillip Y. Lipscy and Ethan Scheiner, "Japan under the DPJ: The Paradox of Political Change without Policy Change," Journal of East Asian Studies 12, no.3 (2012):311-22.

  1. Leonard J. Schoppa, “Neoliberal Economic Policy Preferences of the ‘New Left’: Home-Grown or an Anglo-American Import?” in The Left in the Shaping of Japanese Democracy, ed. J. A. A. Stockwin, Rikki Kersten, and David Williams (New York: Routledge, 2006), 103–25; Myles Carroll, “From Nationalist Communitarianism to Fragmentary Neoliberalism: Japan’s Crisis of Social Reproduction,” Capital & Class 43, no. 4 (2019): 637–52.
  2. 第二次安倍晋三政権(2012~2020年)以降、自民党がドグマティックな新自由主義的綱領を打ち出すことを避けてきたことへの反動として、れいわは主に、小泉純一郎元首相(2001~2006年)やその側近である竹中平蔵など、日本の歴史において新自由主義イデオロギーの最も明確な体現者と敵対することに依拠している。地域政党である大阪維新の会とその全国的な子孫は、支配的な新自由主義イデオロギーを先鋭化させる現代の勢力として特定され、敵対性の的となっている。
  3. 木下ちがや「「山本太郎現象」を読み解くポピュリズムは「民主主義とファシズムの坩堝」である」『論座』、2019年6月5日、 https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060400004.html.
  4. 吉田徹「ポピュリズムとなかまたち――山本太郎はひとりなのか」 『群像』 74、2019年10月号、228–37; 石戸諭・中島岳志「「山本太郎現象」と左派ポピュリズム」『金曜日』 27、 (2019): 46–53.
  5. Seongcheol Kim, “Radical Democracy and Left Populism after the Squares: ‘Social Movement’ (Ukraine), Podemos (Spain), and the Question of Organization,” Contemporary Political Theory 19, no. 2 (2020): 211.
  6. 1960年代と1970年代の「新左翼」の信奉者も、1990年代以降の反プレカリアートや反原発のデモ参加者も、代議制民主主義や中央集権的リーダーシップに対する懐疑を共有していた。See Ando Takemasa, Japan’s New Left Movements: Legacies for Civil Society (New York: Routledge, 2014), 65–66; Brown, Anti-Nuclear Protest in Post-Fukushima Tokyo, 124–25, 164.

9. 日本では2011年、新宿駅東口の「原発やめろ広場」において、原発事故後の「広場モーメント」があった。

  1. Marco Damiani, Populist Radical Left Parties in Western Europe (New York:Routledge, 2020), 171.
  2. Benjamin Arditi, "Populism Is Hegemony Is Politics? Ernesto Laclau's Theory of Populism," in The Palgrave Handbook of Populism, ed. Michael Oswald (Cham UK: Springer International, 2022), 53.Michael Oswald (Cham, UK: Springer International, 2022), 53.
  3. 詳細については、Kim, “Radical Democracy and Left Populism…”を参照されたい。
  4. Ernesto Laclau, On Populist Reason (London: Verso, 2007), 72-73.
  5. Ernesto Laclau and Chantal Mouffe, Hegemony and Socialist StrategyTowards a Radical Democratic Politics, 2nd ed. (1985; London: Verso, 2001), 130.
  6. David Howarth and Yannis Stavrakakis, “Introducing Discourse Theory and Political Analysis,” in Discourse Theory and Political Analysis: Identities, Hegemonies and Social Change, ed. David Howarth, Aletta Norval, and Yannis Stavrakakis (Manchester, UK: Manchester University Press, 2000), 3, 9–10.
  7. Chantal Mouffe, For a Left Populism (London: Verso, 2018), 80.
  8. Laclau and Mouffe, Hegemony and Socialist Strategy, 112.
  9. Benjamin de Cleen and Yannis Stavrakakis, "Distinctions and Articulations:A Discourse Theoretical Framework for the Study of Populism and Nationalism," Javnost-The Public 24, no.4 (2017):306.
  10. Kim, “Radical Democracy and Left Populism…”, 216-17。
  11. Laclau, On Populist Reason, 40, 139, 152-53.
  12. George Hoare, "Moral Minoritarianism from Ashes of Left Populism," Damage, 13 January 2021, https://damagemag.com/2021/01/13/moral-minoritarianism-from-the-ashes-of-left-populism/2021 ;
    Giorgos Venizelos and Yannis Stavrakakis, "Left-Populism Is Down but Not Out", Jacobin, 22 March 2020,
    https://jacobinmag.com/2020/03/eft-populism-political-strategy-class-power.
  13. 最も重要な例は経済学者の松尾匡である。参照: 松尾匡『左翼の逆襲:社会破壊に屈しないための経済学』(講談社、2020年)。
  14. Arita Eriko, “Taro Yamamoto: Actor in the Spotlight of Japan’s Antinuke Movement,” Japan Times, 4 May 2012, https://www.japantimes.co.jp/life/2012/03/04/people/actor-in-the-spotlight-of-japans-antinuke-movement/?utm_source=pocket_mylist.

24.山本太郎木村元彦雨宮処凛『#あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組集英社、2019

  1. れいわ新選組「2021年 衆議院選挙マニフェスト れいわニューディール
    https://reiwa-shinsengumi.com/reiwa_newdeal/total/ (last accessed 30 December 2021).
  2. 渡辺てる子 【動画&文字起こし全文】比例はれいわ祭! In 新宿駅南口バスタ前 山本太郎代表(東京比例)×渡辺てる子(東京比例) / ゲスト:北原みのり湯川れい子佐藤タイジ(MC)・須藤元気、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/
  3. 山本太郎 【動画&文字起こし全文】比例はれいわ祭! In 新宿駅南口バスタ前 山本太郎代表(東京比例)×渡辺てる子(東京比例) / ゲスト:北原みのり湯川れい子佐藤タイジ(MC)・須藤元気、2021年10月30日、 https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  4. 山本太郎 【街宣動画・文字起こし全文】山本太郎代表×都議選 足立区 末武あすなろ(れいわ新選組公認 東京都議会議員候補)2021年6月28日 綾瀬駅西口、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/6993/.
  5. 木村英子 【動画&文字起こし全文】木村英子候補(比例代表・特定枠2)記者会見 2019年6月28日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/905/.
  6. やすとみ歩 【動画&文字起こし全文】れいわ新選組街頭演説会 19.7.5 新橋駅SL広場、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/501/.
  7. Yamamoto Tarō, “Seitō ya dantai o koete fuman ga aru hitotachi o atsumetai,” Posse 20, no. 9 (2013): 102–105.(山本太郎 「雇用問題、ブラック企業問題を国会で追及します!」『POSSE』(2013年9月25日)
  8. 山本太郎「<インタビュー> 仁義なき戦いをしかける」『ニューズウィーク日本版』 1667 (2019年11月): pp. 30-.
  9. Dan Hough and Dan Keith, “The German Left Party: A Case of Pragmatic Populism,” in The Populist Radical Left in Europe, ed. Giorgos Katsambekis and Alexandros Kioupkiolis (New York: Routledge, 2019), 137.
  10. Mark McLelland, “The Role of the ‘tōjisha’ in Current Debates about Sexual Minority Rights in Japan,” Japanese Studies 29, no. 2 (2009): 193–207.
  11. 山本、上掲、新宿駅、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  12. 山本太郎 【動画&文字起こし全文】れいわ新選組街頭演説会 19.7.4 東京・JR秋葉原駅電気街口前、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/328/.
  13. 山本、上掲、新宿駅、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  14. 吉田、上掲、「ポピュリズムとなかまたち」 230.
  15. 山本、上掲、「仁義なき戦いをしかける」 29.
  16. Yamamoto, “Seitō ya dantai o koete fuman ga aru hitotachi o atsumetai,” 102.
  17. 山本、上掲、秋葉原駅、2019年7月4日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/328/.
  18. 奥田知志・山本太郎山本太郎代表、NPO法人「抱樸」理事長の奥田知志さんに逢いにゆく」『金曜日』(2019年11月28日): 22.
  19. れいわ新選組 【字幕入り動画&文字起こし】政見放送・れいわ新選組代表 山本太郎、2019年7月10日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/851/.
  20. れいわ新選組「れいわ新選組機関誌」第71号、https://reiwa-shinsengumi.com/flier/ (last accessed 30 December 2021).
  21. 山本、新宿駅、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  22. 山本、新橋駅、2019年7月5日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/501/.
  23. 山本、秋葉原駅、2019年7月4日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/328/.
  24. 辻村、新橋駅、2019年7月5日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/501/.
  25. Ando, Japan’s New Left Movements, 14.
  26. 渡辺、新宿駅、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  27. はすいけ透、【動画&文字起こし全文】「れいわ祭」19.7.12 東京・品川駅港南口、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/1372/.
  28. 現在の党規約では、党の構成員は選挙で選ばれた国会議員と代表によって重要とみなされ、総会で承認された者となっているが、それは結局は党員に限られる. See https://reiwa-shinsengumi.com/determination/.
  29. れいわ新選組「大西つねき氏の動画内での発言について」、2020年7月7日、 https://reiwa-shinsengumi.com/reiwanews/5074/.
  30. 木村英子「大西つねき氏の「命の選別」発言について」、2020年7月7日、https://eiko-kimura.jp/2020/07/15/activity/1053/.
  31. 朝日新聞「れいわ山本代表「おわび」 命の選別発言のメンバー除籍」、2019年7月16日、 https://www.asahi.com/articles/ASN7J7R9ZN7JUTFK012.html.
  32. 野原よしまさツイート、Twitter, @victory51565059, 26 July 2020, 11:23 A.M. (JST).
  33. 参照、総務省「選挙関連資料」、https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin25/index.html.
  34. 参照、総務省衆議院議員総選挙最高裁判所裁判官国民審査結果調」
    https://www.soumu.go.jp/main_content/000776531.pdf.
  35. 「中心の薄弱なイデオロギー」としてのアプローチに従ったポピュリズム分析については、次を参照: Axel Klein, “Is There Left Populism in Japan? The Case of Reiwa Shinsengumi,” The Asia-Pacific Journal: Japan Focus 18, no. 1 (2020), https://apjjf.org/2020/10/Klein.html.
  36. Horie et al., “Introduction,” 2–5; Ando, Japan’s New Left Movements; Brown, Anti-Nuclear Protest in Post-Fukushima Tokyo.
  37. Paloma Caravantes, “New Versus Old Politics in Podemos: Feminization and Masculinized Party Discourse,” Men and Masculinities 22, no. 3 (2019): 465–90.
  38. Hoare, “Moral Minoritarianism from the Ashes of Left Populism.”

 

[a] 訳注: ラクラウとムフの著作は邦訳されている。エルネスト・ラクラウ『ポピュリズムの理性』(澤里岳史・河村一郎訳、明石書店、2018年)、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(山本圭・塩田潤訳、明石書店、2018年)。

[b] 左派ポピュリズムは、次の段落で説明されるように、少数のエリート(the few)が多数の人々(the many)を支配している状況において多数の人々の側に立つが、本稿ではこれに加えて、多数の人々(the many)が、障害者や性的マイノリティ、少数民族など(the few)をしばしば無意識に抑圧している状況が問題にされている。後者の観点は著者の同僚であるSeongcheol Kimが、後述される差異の論理(logic of difference)を拡張させたものである。著者はこれに基づいて、れいわ新選組における、山本太郎を代表とする垂直的な構造と、少数派の当事者を「代表」とする水平的な構造との融合を説明している。

[c] 訳注: 英語版の原文ではsiginifierであったが、これはフランス語のsignifiantを英語に直したものであり、何かを指し示す記号を意味する。ここではシニフィアンと訳す。なおシニフィアンの対義語はシニフィエ(signifié)である。

[d] 訳注: 「愛(love)」は実際のところ、れいわ新選組の演説等で直接的に言及されることは少ないが、れいわ新選組の思想においては重要なキーワードと言える。「愛」に直接言及したものとしては、2021年10月26日のスピーチバナーがある。引用、「国からDVされているような25年間を過ごしてきた。今、この国に一番足りないのは、この国の政治に足りないのは、人々を慮る気持ち。愛がないんです。そして、国が積極的に財政を出していく。愛と金が足りていない国に、心を持った人間を1人でも国会に送り込んでいただきたい」。出典、「[スピーチバナー] 愛と金が足りていない国 | 山本太郎」、https://reiwa-shinsengumi.com/speechbanner2021/10046/

[e] 本節において、カギ括弧にくくられている引用文は、れいわのホームページから演説等の文字起こしの一部をコピー&ペーストしたものである。

[f] 訳注: 本稿での「還元主義」は、事柄をひとつの原因で単純化して説明しようとする姿勢を指している。

ブロック&ソマーズ「スピーナムランド制度の影で:社会政策と旧救貧法」の翻訳

論文

ブロック&ソマーズ「スピーナムランド制度の影で:社会政策と旧救貧法」紹介文

朴勝俊

 

 スピーナムランド制度の名を知る人はおそらく、マルクスエンゲルスの著作か、カール・ポランニーの『大転換』か、あるいはベーシック・インカム(BI)を唱道するルトガー・ブレグマンの『隷属なき道』を通じて知ったのではなかろうか。

 この制度はイングランド救貧法の一部として、救貧院(事実上の労働収容所)に入らない健常者にも手当を支給するものであり、1795年から1834年にかけて、ごく一部の地域で導入されたものである。しかし、救貧政策を批難し手当を廃止に追い込んだ古典派経済学者(マルサスリカード等)だけでなく、マルクス・エンゲルスウェッブ夫妻などの社会主義者や、カール・ポランニーまでが、これを英国社会を荒廃させた社会保障の失敗例と断じる歴史資料(特に王立委員会による13000ページの報告書など)を信用して、批難の輪に加わった。したがって権威あるかれらの著書に触れた幅広い教養層も影響を受けた。このことは、BIに似た米国ニクソン時代の所得保障政策の導入を妨げ、近年の社会保障の切り詰めにも影を落とした。

 その誤った常識を批判し、スピーナムランド制度は実際には成功であったと説いたのがブレグマンの『隷属なき道』(第4章)である(なおベーシックインカムを唱道する本の中で紹介されたことで、この制度を「ベーシックインカムのようなもの」と誤解した読者もあったかもしれないが、この本でも「勤勉ながら貧しい男性とその家族」を支援するものと明記されている)。彼が根拠としたのが、救貧制度に関する歴史学者たちの近年の研究である。ここで紹介するブロックとソマーズの論文は、ブレグマンの参考資料のひとつである。

 ブロックとソマーズの論点は多岐にわたる。マルサスなど自由主義者の救貧制度批判の倒錯性、フランス革命の衝撃が農村エリートを救貧制度の改善に向かわせたこと、手当制度はエンクロージャーと手工業の衰退で困窮する貧農家族を支え、彼らが大挙して都会に向かうのを防いだこと、などである。またスピーナムランド制度のせいで英国の農業や経済が荒廃したとされているが、実際には穀物の生産量も生産性も改善していた。スピーナムランド制度のせいで労働者が怠惰になったとか、農業雇用主が賃下げをしたということも考えにくい。最も興味深い指摘は、リカード自由主義経済学者の主導で行われた1820年頃の金本位制への復帰が、デフレと農工業の混乱を悪化させたという点である。そして、1834年救貧法改革に向かう思想の変化は、この混乱の真因を隠蔽し、責任を貧困者に押しつけるものだったと彼らは指摘している。


スピーナムランド制度の影で: 社会政策と旧救貧法
フレッド・ブロック&マーガレット・ソマーズ*
翻訳:朴勝俊(2023/9/4)
Fred Block and Margaret Somers (2003) In the Shadow of Speenhamland: Social Policy and the Old Poor Law,
POLITICS & SOCIETY, Vol. 31 No. 2, June 2003 283-323 DOI: 10.1177/0032329203252272

<要約>
1996年、米国議会は「個人責任および雇用機会調和法」を可決し、公的扶助に対する貧困家庭の受給資格を廃止した。この福祉政策の転換に至る議論は、英国救貧法 Poor Law) の歴史的一幕であるスピーナムランド制度の影で起こった。この論文では、スピーナムランド制度のエピソードを再検討し、そのもつれた歴史を解き明かす。著者は、40 年にわたる最近の研究成果をもとに、スピーナムランドの政策が、これまで言われてきたような結果をもたらすことはあり得なかったことを示す。論文の最後には、そのようなスピーナムランドに関するストーリーがなぜ深く定着したかを説明する、もう一つの物語を紹介する。

 

キーワード:貧困、福祉、社会政策、ポランニー、旧救貧法

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円安およびエネルギー資源価格高騰で物価はどれだけ上がるか:産業連関分析を用いた価格波及分析

円安およびエネルギー資源価格高騰で物価はどれだけ上がるか
産業連関分析を用いた価格波及分析

朴勝俊

2023年7月7日

 

1. はじめに

 2021年頃から世界的にエネルギー資源(石炭・原油天然ガス)の価格が倍以上に高騰しており、2022年に入っては2~3割におよぶ大幅な円安によって輸入物価が上昇したため、日本の消費者物価指数(総合)もピークで4%以上上昇した(2023年1月、前年同月比、図1参照)。とはいえ、エネルギー資源の価格の倍増や、2~3割以上の円安が起こっても、最高でも前年同期比でせいぜい4%程度の物価上昇にとどまっていることは、ある意味で直感に反する。エネルギー資源の価格が倍増すれば、コストがどんどん転嫁されて物価は倍になるのではないのだろうか? 3割の円安が起これば、それが波及して、物価が3割上がるのではないのだろうか? 

このようなエネルギー資源高や円安が、どの程度の物価上昇につながるのかについて、理論的な把握をし、価格波及の程度の試算をしておくことは、こうした変化に冷静に対応する上でも有用であろう。本稿では、まず産業連関価格分析を用いて「石炭・原油天然ガス」の価格が2倍になった場合と、円ドル為替レートが3割円安になった場合(例えば1ドル110円→143円)について、最終消費の価格指数が何%上昇するかを計算する。その上で、近年のエネルギー資源価格と為替レートの実際の動きを確認し、起こり売る物価上昇について検討する。

 

図1 消費者物価指数の推移

 

2.産業連関価格分析の考え方

 表1に産業連関表の例を示す。これは、横向き(行方向)に見れば、細かく分類された産業部門の生産物が別の産業部門や最終消費部門にどれだけ買われたかを示し、縦向き(列方向)に見れば、各産業部門の生産物(最下行の粗生産額として金額が示される)が、どの部門からの中間投入(原材料・部品・サービス等)と労働・資本の投入(賃金・利潤の支払い)によって生み出されたかを、金額で示している。ここでは、部門数と財(モノやサービス)の種類の数とは一致しており、各部門はそれぞれ1種類の財を生産しているものと仮定される。この表の各産業部門を特に縦方向に見ることによって、各部門の生産コストの構造を知ることができる。

 

表1: 非競争輸入型産業連関表の例

   

農業

工業

サービス業

石炭原油

最終消費

その他需要

粗生産額

国産

農業

pD1xD11

pD1xD12

pD1xD13

pD1xD14

CD1

FD1

pD1XD1

工業

pD2xD21

pD2xD22

pD2xD23

pD2xD24

CD2

FD2

pD2XD2

サービス業

pD3xD31

pD3xD32

pD3xD33

pD3xD34

CD3

FD3

pD3XD3

石炭原油ガス

pD4xD41

pD4xD42

pD4xD43

pD4xD44

CD4

FD4

pD4XD4

輸入

農業

pM1xM11

pM1xM12

pM1xM13

pM1xM14

CM1

FM1

 

工業

pM2xM21

pM2xM22

pM2xM23

pM2xM24

CM2

FM2

 

サービス業

pM3xM31

pM3xM32

pM3xM33

pM3xM34

CM3

FM3

 

石炭原油ガス

pM4xM41

pM4xM42

pM4xM43

pM4xM44

CM4

FM4

 

付加価値

賃金

W1

W2

W3

W4

     

利潤

R1

R2

R3

R4

 

 

 

 

粗生産額

pD1XD1

pD2XD2

pD3XD3

pD4XD4

     

 

表1は「非競争輸入型産業連関表」と呼ばれるもので、財やサービスが国産品(添え字Dで区別)と輸入品(添え字Mで区別)に分けられている。pは価格であり、小文字xは中間投入の量なので、p×xは中間投入の金額である。数字の添え字は部門および生産物の番号を表しており、中間投入の部分では、どの部門の生産物がどの部門に投入されたかを意味する。Cは最終消費であり、消費者は各部門の国産品と輸入品を消費する。Fはその他需要である(本稿では重要ではない)。またWは各部門の賃金、Rは利潤の金額である。一番下の行の粗生産額(生産された総額)と、一番右の列の粗生産額(売れた総額)は、各部門について必ず一致する。また、この表では全ての賃金と利潤を合わせたものが国内総生産であり、国産品に対する最終需要(最終消費とその他需要の合計)と一致する。

 価格波及分析は、次のような考え方をとる(参考:宮沢1979)。まず表1の全部門の生産物の価格は1(単位なし)と仮定する。すると表のセルの金額は、物量を金額で表したものとなる。表の一番下にある各部門の粗生産額(XD1XD2XD3XD4)で、その上にある全てのセルの値を割り算すると、各セルの値は各投入物の費用シェアを意味することになる(表2)。

逆に、各セルの値を縦に足し算してゆくとその部門の国産品価格となるが、これは当初はすべて1である。

 

 

表2: 投入係数行列および消費ウェイト

   

農業

工業

サービス業

石炭原油

 

消費ウェイト

 

国産

農業

aD11

aD12

aD13

aD14

 

cD1

 

工業

aD21

aD22

aD23

aD24

 

cD2

 

サービス業

aD31

aD32

aD33

aD34

 

cD3

 

石炭原油ガス

aD41

aD42

aD43

aD44

 

cD4

 

輸入

農業

aM11

aM12

aM13

aM14

 

cM1

 

 

工業

aM21

aM22

aM23

aM24

 

cM2

 

 

サービス業

aM31

aM32

aM33

aM34

 

cM3

 

 

石炭原油ガス

aM41

aM42

aM43

aM44

 

cM4

 

 

付加価値

賃金

w1

w2

w3

w4

 

1

   

利潤

r1

r2

r3

r4

 

 

 

 

 

粗生産額

1

1

1

1

 

     

 

いずれかの投入物の価格が変化すると、この価格も変化する。例えば輸入された石炭・原油天然ガスの価格が1%上がったとき、ちょうどそのコスト上昇分だけ生産物価格に確実に転嫁されるとするならば、その費用シェアの1%ぶんだけ生産物の価格が上昇することになる。

 

輸入されたエネルギー資源の価格が2倍になるならば、それは100%の価格上昇であり、これがちょうど完全に価格転嫁されるならば、生産物の価格はちょうどこのコストシェアと同じだけ上がる。

 

 

 このようにして、石炭・石油・天然ガスの輸入価格上昇によって全部門の国産品価格が上昇すれば、こんどはこれらを投入する全ての産業部門で中間投入財のコスト上昇となり、これがさらに国産品の価格を押し上げる。この価格上昇が、さらに波及してゆく。しかしこの波及は無限に続くわけではなく一定の値に落ち着く。これは簡単な行列計算によって求めることができる(説明は省略)。

 例えば3割の円安が起こる場合には、全ての輸入品の価格が3割上昇することになる。輸入中間財のコストが全て3割上昇することにより、それらの費用シェアに応じて国産品の価格上昇が起こり、それがまた投入産出関係を通じて波及する。

 消費者は最終的に、値上がりした輸入品と、価格波及によって値上がりした国産品を消費することになる。それらの各生産物の消費ウェイトを計算しておけば、各品目の価格上昇率とウェイトとの積を全て合算することによって、消費物価(産業連関表上の民間最終消費部門の価格指数)の上昇率を推計することができる。ここでの消費物価と消費者物価指数はおおむね同じ意味をもった指標と考えてよいが、推計方法やウェイトが異なるため、同様の分析を行った場合に、価格上昇率の推計値には差が生じることが考えられる。

 

3. 分析方法と結果

 産業連関表としては、内閣府のホームページから現在入手可能なものとしては最新の、2015年表を用いる。非競争輸入型産業連関表は入手不能であるが、107部門の輸入表が利用可能なので、107部門の競争輸入型産業連関表と輸入表を用いて、簡単な引き算によって107部門の非競争輸入型産業連関表が作成できた。この表を用いて投入係数行列(国産品、輸入品別)と付加価値係数行列を求めた。

 日本においては、輸入の比率は意外に小さい。産業連関表上の粗生産額の合計(GDPと中間投入を合わせたもの)は1018兆円であるが、輸入総額は102兆円であり[1]、このうち69.9兆円ぶんが中間投入として用いられ、32.3兆円ぶんが最終需要に用いられる。したがって、全部門を平均的に見れば、輸入中間財の投入係数の合計は約6.9%に過ぎない。また、「石炭・石油・天然ガス」の輸入額は約17.6兆円であるが、これはほぼ全てが中間投入として用いられている。これも全部門の平均として見れば、投入係数は1.7%程度となる(もちろん、石油精製業や電力産業では著しく高くなる)。また、「民間消費支出」に関しては、その総額は約305.6兆円なのに対し、輸入品の消費支出は約18.3兆円(6.0%)に過ぎない。これには、消費支出の大部分(約79.4%)を占めるサービスがほとんど輸入できないことも関係している。エネルギー価格の高騰や大幅な円安の結果として生じる物価上昇率が意外に低いのは、このような理由のためであろう。

 上記のようにして得られた投入係数行列と、産業連関表に含まれるレオンチェフ逆行列([I-Ad]1型)を用いて、価格波及を計算した。具体的には、「石炭・石油・天然ガス(輸入)」の投入係数ベクトル(横ベクトル)と、レオンチェフ逆行列の積を求めるだけで、その波及後の国産品の価格上昇効果が計算できる[2]。また、各部門の輸入中間財の合計の投入係数ベクトル(横ベクトル)の値を全て0.3倍して、レオンチェフ逆行列を乗じれば、30%の円安にともなう全ての国産品の価格上昇率を求めることができる。消費支出の物価上昇率は、国産品各品目の値上がり率と、輸入品各品目の値上がり率を、それぞれの消費ウェイトとかけ算して、総計することによって求められる。

 計算の結果、30%の円安の結果として、消費物価の上昇率は4.40%となった(表3)。同様に、「石炭・原油天然ガス」の輸入価格が2倍になった場合の消費物価の上昇率は3.15%となった。産業連関分析の計算は線形(比例的)であるため、円安率やエネルギー価格上昇率が変わった場合の結果は、適当な倍率をかけ算すればよい(例えば、エネルギー価格上昇率が三倍(200%上昇)なら、3.15%の2倍の6.30%とすればよい)。

 

表3: エネルギー価格高騰や円安、賃金上昇、利潤上昇が消費物価に及ぼす影響

 

上昇率

消費物価上昇率

参考:
投入・付加価値係数

円安で全輸入品価格上昇

3割高(+30%)

4.40%

0.0687

石炭・石油・天然ガス価格上昇

2倍(+100%)

3.15%

0.0173

賃金上昇(雇用者所得)

1%

0.34%

0.2611

利潤上昇(営業余剰)

1%

0.23%

0.1021

 

 またさらなる検討の参考として賃金と利潤が1%上昇した場合の、消費物価上昇率も計算しておいた(表3下部)。これらも、上昇率が高まった場合の物価上昇影響は、そのさいの上昇率の倍率をかけ算すれば計算できる。賃上げや利潤追求の価格波及効果について考える参考にしていただきたい[3]。ただし、賃上げや利潤の増加があった場合にも、人々の所得増加・支出増加に伴う価格上昇効果については、産業連関分析で推計することはできないので、注意が必要である。

 

4.実際の円安・エネルギー価格上昇との比較

 本節では、ここ数年で実際に生じた円安とエネルギー価格上昇について確認し、前節の計算結果から得られる知見を深める。

 表4は過去11年年間の国際エネルギー価格(年平均)である。日本が輸入する石炭・原油天然ガスの価格が2022年に入って急上昇したことが分かる。2022年の価格を、2015年から2020年までの6年間の平均価格で割った倍率でみれば、石炭価格は4.51倍、原油価格は1.89倍、天然ガス価格は1.96倍である。財務省貿易統計によれば、2015年の石炭・原油天然ガスの輸入金額比はそれぞれ16%、52%、32%であった。これをウェイトとすれば、2022年の価格上昇は加重平均で約2.33倍(+133%の価格上昇)となる。前節の分析結果(100%のエネルギー価格上昇で消費物価は3.15%上昇)を用いれば、消費物価で4.19%の上昇につながると推計される(3.15×1.33=4.19%)。

 

表4: 2012年以降の国際エネルギー価格および為替レート(暦年)

 

2012

2013

2014

2015

2016

2017

2018

2019

2020

2021

2022

倍率

石炭

96.36

84.56

70.13

58.94

66.12

88.52

107.03

77.85

60.68

139.01

344.89

4.51

原油

109.5

105.94

96.19

49.56

40.68

52.51

69.52

64.02

41.37

69.72

100.14

1.89

天然ガス

16.55

15.96

16.04

10.93

7.37

8.61

10.67

10.66

8.53

10.32

18.54

1.96

/ドル

79.79

97.6

105.94

121.04

108.79

112.17

110.42

109.01

106.79

109.79

131.38

1.18

出典: 新電力ネットHPにまとめられた国際的な統計資料より

注: 石炭価格は豪州産($/トン)、原油価格はOPECバスケット($/バレル)、天然ガス価格は日本向け($/mmbtu)。倍率は2015年から2020年までの平均に対する、2022年の値の倍率。ちなみに為替レートは140円/ドルで1.26倍、150円で1.35倍となる。

 

 また、円/ドルの為替レートは、2015年から2020年の平均に比べれば、2022年平均は1.18倍に上昇した。これによって2022年の輸入材価格がすべて1.18倍(+18%)となったならば、それによる物価上昇は2.64%と推計される(4.40%×(0.18÷0.30)=2.64%)。なお、2022年においては秋に一時的に150円/$のドル高に達し、足下では140円/$程度で推移している。2015~2020までの平均と比べ、為替レートは140円/ドルで1.26倍、150円で1.35倍となる。したがってその際の物価上昇は、140円/$のレートが定着するなら3.81%、150円/$のレートが定着するなら5.13%と推計される。なお、ここでは単純化のために、円/ドルレートで全ての通貨の為替レートを代表させていることに注意されたい。仮に名目実効為替レートのようなものを用いるとしても、考え方は同じである。

 ただし、ここまでは国際エネルギー価格の上昇か、円安かのいずれか一方が起こった場合の物価上昇である。

 実際には2022年にはエネルギー価格上昇と円安の両方が起こった。1.18倍のドル高が起こった上で、石炭・原油天然ガスの価格が2.33倍に上がるならば、円換算の価格上昇は約2.75倍となる(1.18×2.33≒2.75)。この場合、18%のドル高によって全ての輸入財の価格が上がると同時に、輸入される「石炭・原油天然ガス」も18%値上がりしているから、この2.75から0.18を引いた2.57倍の価格上昇(+157%の価格上昇)を別途考慮してやれば、両方の影響を定量化できることになる。ドル高が1.18倍(+18%の価格上昇)の場合の消費物価への影響は2.64%であり、それに加えて「石炭・原油天然ガス」の価格が157%高くなることの消費物価への影響は4.95%であるから(3.15×1.57)、2.64%と4.95%とを足して7.59%ということになる。実際の消費者物価指数の上昇幅は高い時でも前年同期比で4%を超えた程度なので、日本の産業部門は、輸入物価やエネルギー価格の上昇分を、価格に転嫁しきれていない可能性が示唆される。

 なお、円ドルレートが140円/$や150円/$で定着したとしても、考え方は同じである。150円/$の場合には、輸入品価格が全て1.35倍となり、消費物価は5.13%上昇する。このとき、国際エネルギー価格が2.33倍ならば、円建てで3.15倍となる。したがって、輸入価格上昇分とは別に考慮すべき石炭・原油天然ガスの価格上昇分は2.8倍(3.15-0.35=2.80、増分は180%)であり、このときの消費物価の押し上げ効果は5.67%である。物価上昇効果は5.13%と5.67%を足して10.8%となる。もちろん実際に観測されている消費者価格の上昇はこれよりも低い。

 したがって、1.18~1.35倍のドル高と、2.33倍の国際エネルギー価格上昇を想定するならば、消費物価の上昇幅は7.59~10.8%と推計される。実際に観測されている消費者物価上昇率は4%強とこれより低く、産業はこのコスト上昇分を十分に価格転嫁できなかった可能性が考えられるが、それは同時に、何らかのきっかけで完全な価格転嫁が進むことになれば、少なくとも1回かぎりは年率で7~10%程度の価格上昇が起こってもおかしくないことを意味している。

 

5.結論

 本稿では、2015年の産業連関表を用いて、2022年に起こった円安とエネルギー資源価格の上昇の効果を、産業連関価格分析の手法で試算した。その結果、コスト上昇がちょうど完全に価格に転嫁されるという仮定のもとで、全産業のすべての中間投入財の価格上昇が波及してゆくとすれば、消費物価(産業連関表の民間最終消費に基づいてウェイトを計算して加重平均を求めたもの)は、1.3倍のドル高が起こると4.40%上昇し、石炭・石油・天然ガスの国際価格が2倍になれば3.15%上昇するものと計算された。すなわち、3割のドル高が起こったからといって物価が3割上がるわけでもなければ、エネルギー資源価格が2倍になったからといって物価が2倍になるわけでもない。それは、日本では中間投入においても最終消費においても、輸入が占める比率が低いためである。

本稿の後半では、上記の試算結果を、実際の為替レートとエネルギー価格高騰のデータに照らして検討した。2020年以前の6年間の平均と比較すれば、2022年の石炭・石油・天然ガスの国際価格は、約2.33倍に上昇しており、円・ドル為替レートは1.18倍のドル高となった。この数値を用いれば、円安とエネルギー高の複合効果によって7.59%程度の消費物価の上昇となる。また、150円/ドル程度の円安(1.35倍のドル高)を想定すれば、10.8%の消費物価の上昇となる。実際の消費者物価指数の上昇が、この水準と比べればはるかに低く、4%強にとどまっているのは、コスト増分の価格転嫁が十分に行われていないためと考えられる。これは賃金や利潤の押し下げ要因になっているかもしれない。他方で、価格転嫁がよりスムーズに行われるようになれば、コストプッシュの要因だけで、7~10%程度の物価上昇が起こっても不思議ではないことが分かる。

 

参考文献

ウェーバー&ワスナー(2023) 「売り手インフレと利潤および賃金闘争 なぜ大企業は非常事態で値上げができるのか?」マサチューセッツ大学アマースト校経済学部ワーキングペーパー2023、朴勝俊訳

宮沢健一(1979)『産業連関分析入門』日経文庫

 

[1] 財務省貿易統計では、2015年の輸入額は約78.4兆円であった。このような差がなぜ生じるのかについて、筆者は現時点では説明できない。

[2] 日本には「石炭・原油天然ガス」の他にも、外国で精製・加工された石油製品や石炭製品が輸入されているが、その比率は小さい(産業連関表ベースで輸入エネルギーの8割以上が「石炭・原油天然ガス」である。そのため、本稿の分析では簡単化のために石油製品や石炭製品の価格上昇については考慮に入れていない。

[3] 日本では利潤追求のための値上げは観測されていないように思われるが、欧米では「売り手インフレ」が問題として認識されている。ウェーバー&ワスナー(2023)を参照。


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