ジョセフ・ワン(2020)『セントラル・バンキング101』
Joseph Wang (2020) Central Banking 101, New York, 2020
朴勝俊訳(2024/7/24更新)
著者略歴
コロンビア大学法科大学院を卒業したが、金融危機時に金融部門への転職を試みた。オックスフォード大学で経済学の修士課程を履修したのち、ニューヨーク連銀の公開市場デスクのトレーダーとして働いた。
★一部の図表はブログには掲載されていませんので、PDF版をDLしてご覧下さい。
第一章のみのPDF版DLはこちら
※DLしてご利用下さい
※転載される場合は出典を明記して下さい
全編のPDF版DLはこちら
※DLしてご利用下さい
※転載される場合は出典を明記して下さい
第1章 貨幣の種類
貨幣(money)とは何か。貨幣といえば多くの人が、長方形の紙切れに歴史上の人物があしらわれた、政府が印刷した不換紙幣(fiat currency)と呼ばれるものを思い浮かべるだろう。これは最もよく知られた貨幣の形態だが、現代の金融システムにおいては、貨幣を構成する物のごく一部に過ぎない。あなたの財布の中を見て、一日にどれだけの通貨を持ち歩き、使っているか考えてみてほしい。他の多くの人たちと同じようならば、あなたの給料は銀行口座に振り込まれ、電子決済で使われる。銀行口座にある数字は銀行預金(bank deposits)と呼ばれるもので、政府ではなく商業銀行によって作られた別の種類の貨幣だ。一般の人々がおカネだと思っているものの大部分を占めているのは銀行預金である。
実際には、銀行預金はどの銀行やATMでも、リアルタイムで政府発行の不換紙幣へとシームレスに換金できる。しかし、この2つは全く異なる。銀行預金は銀行の「IOU(借用書)」であり、発行銀行が倒産すれば無価値になる可能性がある。一方、100ドル札は米国政府の一部である連邦準備制度理事会(FRB)が発行している。その100ドル札は、米国が存在する限り価値を持つものである。銀行預金の残高は紙幣(paper bills)よりもはるかに多いので、理論的には、すべての人が預金を引き出せば、銀行は破産してしまう。しかし、政府が口座保有者に対して25万ドルのFDIC預金保険を提供していることもあって、現代人は安心して銀行預金を置いておくので、実際にはそのような問題はない。このため、ほとんどの人にとって銀行預金は不換紙幣と同じくらい安全なのだ。
三番目の種類のおカネは中央銀行の準備預金(central bank reserve, reserve, 中銀準備、準備)である。これはFRBが発行する特別な種類のおカネで、商業銀行だけが保有できるものである[1]。銀行預金が商業銀行の「借用書」であるのと同様に、中銀準備は連邦準備制度理事会(FRB)の「借用書」である。商業銀行の立場からすれば、準備は現金(currency)と交換可能である。商業銀行は、FRBに電話をかけて現金の出荷を依頼すれば、準備を不換紙幣に変えることができる。1000ドルの現金の代金は、FRBの口座から1000ドルの準備を引き落として支払う。商業銀行は互いに(あるいは同じようにFRBに口座を持っている他の誰かに)支払いを行う際には準備を使用し、それ以外の企業や人々に支払いを行う際には、銀行預金か現金を使用する。
[1] 準備の大分は商業銀行が保有しているが、他の選ばれた一部の機関もFRBに準備口座を開くことができる。これには、ファニーメイのような政府出資企業(GSEs)や、シカゴ取引所のクリアリングハウス、信用組合、それに米国財務省が含まれる。
貨幣の種類 |
発行者 |
保有者 |
規模 |
不換紙幣 |
米国政府 |
だれでも |
2兆ドル |
銀行預金 |
商業銀行 |
だれでも |
国内で15.5兆ドル |
中央銀行準備 |
米国政府 |
商業銀行 |
3兆ドル |
米国政府 |
だれでも |
20兆ドル |
|
出典: Federal Reserve H8 and U.S. Treasury as of June 2020 |
最後の種類の貨幣は国債(Treasuries)である。これは基本的には利子も支払われる一種の貨幣である。不換紙幣や中央銀行準備と同じように、国債は米国政府によって発行される。国債は市場で売却したり、借り入れの担保にしたりすることで、銀行預金と容易に交換することができる。あなたが大口の機関投資家か、数億ドルを保有する大金持ちだとしよう。銀行ではないため中央銀行準備を保有する資格はなく、またFDIC保険の限度額をはるかに超える金額を持っているため、その資金をすべて商業銀行に預けることは合理的ではない。そういうあなたにとっては国債がおカネである。
機能的な金融システムでは、すべての貨幣は互いに自由に交換できる。兌換が破綻すると、金融システムに深刻な問題が生じる。以下のセクションでは、それぞれの貨幣について説明し、兌換性が損なわれた場合に何が起こるかを図解で説明する。
バランスシート会計入門 バランスシートは、銀行の資産(assets)と負債(liabilities)の概要を示すものである。複式簿記方式(double-entry bookkeeping)で記載されるため、それぞれの資産と負債が対応している。これにより、資産がどのように調達されたかが分かる。資産とは、その銀行が保有する貸出金や有価証券など、キャッシュフローを生み出す金融商品のことである。負債とは預金や債務(debt)など、銀行が返済する必要のあるものである。一日の終わりには、総資産は総負債に自己資本を加えたものと等しくなければならない。つまり銀行の資産は、オーナーからの出資(資本equity)か、他者からの借り入れ(負債)で賄われていることになる。 バランスシートは、銀行がどのように機能しているかを理解する格好の方法である。どの銀行も、負債側には投資家が出資した株式があり、資産側には中央銀行準備と現金がある状態からスタートする。そこから銀行は、預金という負債を創造して資産を購入し、バランスシートを拡大していく。例えば、銀行は1000ドルの企業融資を行う。この場合1000ドルの貸付債権と1000ドルの預金負債が発生する。銀行はコンピュータを通じて、借り手の口座の預金を1000ドル増やすだけである。貨幣創造(信用創造)の仕組みについては次章で詳説する。
商業銀行のバランスシート
中央銀行にも同じバランスシートの原則が適用される。FRBが国債やその他の資産を購入する際には、準備金を作ることでその代金を支払う。 |
中央銀行準備預金
中央銀行準備預金(central bank reserves)は、中央銀行が金融資産を購入したり、融資を行ったりする際に創出される。中央銀行は、中銀準備を創出できる唯一の主体であるため、金融システムにおける準備の総額は、中央銀行の行動によって完全に決定される[2]。これは、国債の売り手が商業銀行であろうと非銀行部門であろうと同じである。FRBが商業銀行から国債を購入した場合、商業銀行の国債資産は中銀準備と交換される。
[2] 商業銀行は中央銀行準備を不換紙幣に交換できる。それにより中央銀行の準備が減り現金発行高が増える。しかし実際には、大部分の取引は電子的に行われ、現金を介さないので、あまり重要な活動ではない。
商業銀行のバランスシート
資産 |
負債 |
(-)十億ドル 国債 (+)十億ドル 中銀準備 |
|
※ 4部門表方式
全て10億ドル |
民間金融 |
民間非金融(企業・家計) |
||||||
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
|
国債売却 |
|
|
+国債 |
+中銀準備 |
-国債 +中銀準備 |
|
|
|
商業銀行のバランスシート
資産 |
負債 |
(-)十億ドル 中銀準備 |
(+)十億ドル 企業の預金 |
一般企業のバランスシート
資産 |
負債 |
(-)十億ドル 国債 (+)十億ドル 銀行預金 |
|
※ 4部門表方式
全て10億ドル |
民間金融 |
民間非金融(企業・家計) |
||||||
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
|
|
|
+国債 |
-中銀準備 |
-中銀準備 |
-銀行預金 |
-国債 -銀行預金 |
|
FRB が商業銀行でない者から財務省証券を購入した場合には、その者は FRB に口座を持っておらず、従って中央銀行準備を保有する資格がないため、状況は少し異なる。ある企業が10億ドルの財務省証券をFRB に売却した場合には、売却代金はその企業が取引している商業銀行の預金となる。FRBは10億ドルの準備を商業銀行のFRB 口座に追加し、商業銀行は10億ドルを企業の銀行口座に追加する。取引が終わると、商業銀行は中央銀行準備10億ドルと、企業に対する銀行預金負債10億ドルの増加によってバランスすることになる。
中央銀行準備がFRBのバランスシートから流出することはないが、商業銀行が毎日、互いに支払いを精算することによって入れ替わる。仮にこの企業が、10億ドルのうち半分を、別の銀行と取引をしている納品業者に支払ったとしよう。その場合、この企業の預金残高は5億ドル減少し、納品業者の預金残高は5億ドル増加する。その裏では、この企業の取引先銀行は中央銀行準備を5億ドルだけ、納品業者の取引先銀行に送金し、その銀行は納品業者の口座に預金5億ドルを入金する。
企業が納品業者に5億円を支払う場合
企業の取引先銀行のバランスシート
資産 |
負債 |
十億ドル 準備 (-)5億ドルの準備送金 |
十億ドル 企業の預金 (-)5億ドルの預金引落し |
企業のバランスシート
資産 |
負債 |
十億ドル 銀行預金 (-)5億ドル 銀行預金 (+)5億ドルの商品 |
|
納品業者の取引先銀行のバランスシート
資産 |
負債 |
(+)5億ドルの準備受取 |
(+)5億ドルの 納品業者預金 |
納品業者のバランスシート
資産 |
負債 |
(-)5億ドル分商品送付 (+)5億ドル 銀行預金 |
|
2008年の金融危機以前、FRB は準備が稀少なレジームの下で金融政策を行っており、FRB は銀行システムの準備の水準を微調整することで短期金利をコントロールしていた。当時の準備は銀行システム全体でもわずか300億ドル程度であったが、現在の準備残高は数兆ドルに達している。FRBが、より長期の金利に影響を与えようとして、より長期の国債を買い入れる量的緩和プログラムを行い、その代金として準備を増やしたことによって、準備残高が大幅に上昇したのである。FRBは現在、銀行の超過準備に支払う金利と、オーバーナイト・リバース・レポ・ファシリティ[3]の募集金利を調整することによって、短期金利をコントロールしている(参加者がFRB に資金を貸し出すプログラムである)。後者は、参加銀行がFRB に資金を貸し出すプログラムである。FRBの運営枠組みについては後の節で述べる。
[3] レポ貸付(あるいは買い戻し契約)は第6章で説明する。
FRB準備の分析方法 中央銀行準備のデータは、FRB のウェブサイトに掲載される「週刊H.4.1」 で公表される。以下は,準備金残高の詳細を示す表のスナップショットである。 このデータは、主な準備預金保有者タイプごとの、準備残高の分布を示している。2020年1月15日時点の週次平均を示す最初の列に注目すると、まず現金流通量(currency in circulation)が1兆7900億ドルだったことが分かる。これは現金に転換された準備の総額である。商業銀行が現金を必要とする場合、中央銀行準備をFRBに渡し、FRBは現金を積んだ装甲車を送る。準備は消滅し、現金に置き換わる。 次の大きな項目は、2650億ドルの外国政府・国際口座(Foreign official and international accounts)だ。これは外国に対するレポ・プール(Foreign Repo pool)であり、外国の中央銀行にとっての当座預金のようなものだ。外国の中央銀行にはニューヨーク連銀にドルを預けるオプションがあるが、その取引は担保付きのレポ貸付として構成されている。外国の中央銀行は準備預金を保有しないが(FRB に資金を貸し出すレポ貸付を保有する)、市中銀行に置いた預金をこのフォーリン・レポ・プールに移動させると、準備は銀行システムから、フォーリン・レポ・ファシリティ口座に移動するのである。 次に大きい項目は、3500億ドルの財務省一般口座(TGA)で、これは米国財務省の当座預金である。納税など米国財務省への支払いが行われると、準備預金は商業銀行システムを離れてTGAに入る。「その他」の項目の678億ドルは、ファニーメイのような政府出資企業(GSE)や、シカゴ取引所(CME)のクリアリングハウスのような指定金融市場公益事業者の準備残高である。最後に、商業銀行が保有する準備預金の水準である1兆6,800 億ドルが一番下に記されている。 |
銀行預金
銀行預金は、商業銀行が融資を行う際や金融資産を購入する際に生み出される。よくある誤解は、銀行は預金を受け入れて、その預金を他の人々に貸し出しているというものだ。しかし銀行は、預金を貸し出すというよりも、融資に際して単純に銀行預金を無から創造している[4]。これは、中央銀行が中銀準備を創造する際の行動とよく似ている。中央銀行は商業銀行に対する銀行としての役割を果たし、商業銀行は個人や企業のような非金融機関に対する銀行である。
[4] さらに詳しくは右を参照: McLeay, Michael, Amar Radia, and Ryland Thomas “Money Creation in the Modern Economy”, Qauterly Bulletin, Bank of England, Q1 2014.
しかし重要な違いは、中央銀行が1つしかないのに対して、商業銀行が多数存在することである。中央銀行は1行しかないため、創出された準備はすべて中央銀行のバランスシートに留まり、商業銀行が互いに支払いを行う際に、さまざまな準備口座間でシャッフルされる。それに対して商業銀行の場合には、それぞれの商業銀行はそれぞれのバランスシートを持ち、それぞれの預金を創造する。したがって、預金者が銀行預金を引き出し、ある商業銀行のバランスシートから別の商業銀行のバランスシートに移すことは可能である。この場合、その商業銀行は別の商業銀行に支払いを行わなければならない。この支払いは、中銀準備を通じて行われる。
商業銀行は無から預金を作り出すので、中銀準備よりも預金負債の方が多くなる。実際には、商業銀行は毎日大量の受け払いを行う。通常は、一日の終わりに商業銀行が保有する準備の額はそれほど変わらないため、商業銀行は自らが創造した預金に比べれば、ごく少額の準備を保有すればよい。これは部分準備銀行(fractional reserve banking)として知られている。万が一、商業銀行が予想以上の資金流出に直面した場合には、他の商業銀行やFRBからいつでも準備を借りて支払いを行うことができる。
銀行預金は最も一般的な貨幣形態であるが、最も安全性の低いものでもある。銀行預金は民間部門によって作られるため、リスクがないわけではない。銀行危機は、銀行が不良債権を作りすぎて債務超過に陥ったときに発生する。そうなると、銀行の預金はもはや額面通りの通貨に交換できなくなる可能性がある。つまり、融資の損失を預金者たちがかぶることになり、100ドルの預金が100ドルの現金に交換されなくなる可能性があるのだ。預金者はパニックに陥り、一斉に預金を引き出そうとするため、銀行の崩壊が加速する。19世紀の山猫銀行時代には統一された現金がなかったため、それぞれの商業銀行が独自の預金を作り、独自の銀行券通貨を印刷していた。当時は銀行破綻が頻発したため、各銀行が作成した銀行券は、デフォルトリスクを考慮して額面から割り引いた金額でしか受け入れられなかった。
それ以降は、米国政府は銀行の預金保証や、銀行規制の強化、連邦準備制度理事会(FRB)の割引窓口を通じた銀行への緊急融資など、銀行危機のリスクを軽減するための多くの進歩があった。これらの措置は基本的に、銀行預金をよりリスクのない、中銀準備や現金に匹敵する「貨幣的」なものにするために機能している。実際には、25万ドルまでのFDIC預金保証は、大多数の預金者の預金残高を完全にカバーしている。こうした人々にとって、銀行預金はリスクのないおカネだと言える。
中央銀行デジタル通貨 中央銀行デジタル通貨(CBDC)は、中央銀行界でますます人気のトピックであり、ほぼすべての主要な中央銀行が少なくともこのアイデアを検討している。CBDCは基本的に、誰もが中央銀行に口座を持つことを可能とする。商業銀行で銀行預金を保有する代わりに、人々は中央銀行準備のようなものを保有する選択肢を持つわけである。CBDCは、物理的な通貨と銀行預金の両方に取って代わる可能性がある。 CBDCの主な利点は安全性と効率性だと言われている。商業銀行預金の信用リスクを負う代わりに、非金融部門はリスクなして中央銀行におカネを預けることができる。すべての人が中央銀行に口座を持っているため、決済はより迅速になり、おカネは異なるCBDCの口座間でシャッフルされるだけとなる。銀行間決済は必要なくなる。 実際には、CBDCがもたらすとされるメリットは幻想にすぎない。政府の預金保険はすでに銀行預金を安全なものにしているし、今日の電子決済はすでに瞬間的で非常に低コストだ。CDBCの真の目的は、財政・金融政策を実施するための政策手段である。 CBDCによって、通貨システムは事実上、政府よって完全に管理される。政府は、すべての人がいくらおカネを持っていて、誰に送金しているかを正確に知ることができる。政府は誰かのCBDC口座から自由に入金・出金できる。自由に誰かのCBDC口座の金利を上げ下げできる。今のところ、これらの権限はすべて民間の商業銀行に属している。 CBDCの世界では、脱税やマネーロンダリングはおそらく不可能になり、政府は国民に直接おカネを渡すことで支出を行えるようになる。また、罰として国民から直接おカネを取り上げることもできる。もし政府の経済モデルが、マイナス5%の金利が経済への刺激になるとの結果を出したら、ボタンをクリックするだけで即座にすべての人に、あるいは特定の人に選択的に、その金利を適用することができる。権力を劇的に増大させるので、政府はCBDCが大好きだ。 しかし、個人の立場からすれば、CBDCはプライバシーと個人の自由にとって歴史的な打撃となるだろう。
|
国債(Treasuries)
国債〔長期の国債だけでなく短期証券を含む財務省証券〕は、連邦政府が発行する無担保債務であり、安全で流動性が高く、広く受け入れられているため、金融システムにおける支配的な貨幣形態となっている。銀行預金とは異なり、連邦政府が完全に後ろ盾になっているのでリスクがない。中央銀行準備とは異なり、誰でも保有することができる〔※日本では国債は主に金融機関が保有し、個人や一般企業による保有はわずかである〕。不換紙幣とは異なり、利子が支払われ、世界中に電子的に送ることができる。個人投資家は資金のほとんどを銀行預金の形で保有するだろうが、機関投資家は資金保有目的のために国債を利用するだろう。国債は基本的に大口投資家のためのおカネである。
他の種類のおカネと比較した場合、国債の「おカネらしさ」の度合いには違いがあることに注意してほしい。銀行預金の100ドルと、中央銀行準備の100ドル、そして現金の100ドルは、いずれも100ドルの名目価値を持つ。しかし100ドル分の国債を購入すると、市場価格によって価値が変動する可能性がある。長期国債は、予想されるインフレ率や金利の変化に敏感に反応するため、その市場価値は大きく変動するが、短期国債の市場価値はほとんど変動しない。このような価値の変動は、満期まで保有すれば問題にならないが、満期前に売却すれば、利益や損失が生じる可能性がある。
国債は、投資家に大量の資金を保管する簡単な方法を提供する。投資家は国債を使って食料品を購入することはできないが、国債を売却したり借り入れの担保にすることで、簡単に銀行預金に変えることができる。国債の現金市場とレポ貸付市場は流動性が高く、世界中の金融センターで24時間稼働している。実際には、投資家は国債を使って実物経済商品を購入するのではなく、他の投資を行う。そのため投資家は、ブローカーに国債を担保として差し入れて、金融資産を購入できる。基本的に、投資家は国債を使って株式や債券のような金融資産を買うことができる。
米国財務省は国債によって貨幣創造をしている。米国財務省が投資家に100ドルの国債を発行すると、投資家は100ドルの銀行預金と100ドルの国債を交換する。投資家から見れば、単にある形態の貨幣を別の形態の貨幣と交換しただけである。しかし財務省は、自らが生み出した国債で支払うことで、実体経済からモノやサービスを購入することができるのである。支払いの連鎖をたどれば、そのことがよくわかる。
投資家は国債を購入したあと、銀行預金が100ドル少なくなり、彼の取引先の商業銀行は投資家に代わって米国財務省に中銀準備100ドルを送り、支払いを決済する。米国財務省はFRBに口座を持っているため、中銀準備を保有することもできる〔※これは日本では「政府預金」と呼ばれ、マネタリーベースには含まれない〕。米国財務省が借りた100ドルを使うと、中央銀行準備の100ドルは商業銀行システムに戻ってくる。例えば、米国財務省がその100ドルを使ってメディケアの費用を医師に支払ったとする。すると、その医師の商業銀行は米国財務省から100ドルの中央銀行準備を受け取り、今度は医師の銀行口座に100ドルの銀行預金を追加することになる。一日の終わりには、銀行システム内の銀行預金と中銀準備の量は元のままだが、国債の残高が100ドル追加される。投資家はその100ドルの国債を他の金融資産の購入に使うこともできるし、売却して銀行預金にかえて実物経済商品を購入することもできる。
財務省が100ドルの国債を発行し、その資金をメディケアの支払いに充てる
財務省のバランスシート
資産 |
負債 |
(+)百ドル 準備 (-)百ドル 準備 |
(+)百ドル 国債 (-)百ドル メディケア支払 |
銀行システムのバランスシート
資産 |
負債 |
(-)百ドル 準備・国債精算 (+)百ドル 準備・メディケア支払 |
(-)百ドル 投資家の預金 (+)百ドル 医師の預金 |
投資家のバランスシート
資産 |
負債 |
(-)百ドル 銀行預金 (+)百ドル 国債 |
|
医師のバランスシート
資産 |
負債 |
(-)百ドル 医療費請求権 (+)百ドル 銀行預金 |
|
※ 4部門表方式
全て100ドル |
民間銀行 |
投資家・医師 |
||||||
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
資産 |
負債 |
|
国債発行 |
+ 政府預金 |
+ 国債 |
|
- 中銀準備 + 政府預金 |
- 中銀準備 |
- 銀行預金 |
- 銀行預金 + 国債 |
|
メディケア支払 |
- 政府預金 |
(- 債務) |
|
- 政府預金 + 中銀準備 |
+ 中銀準備 |
+ 銀行預金
|
+ 銀行預金 - (債権) |
|
通算結果 |
0 |
+ 国債 (- 債務) |
|
0 |
0 |
0 |
+ 国債 - (債権) |
|
国債(財務省証券)のほかにも政府が発行する証券は色々あり、その「貨幣性」もさまざまである。国債の次に流動性が高く安全な資産は政府系住宅ローン担保証券(Agency RMBS)である。これは政府保証の住宅ローン担保証券(residential mortgage-backed securities, R-MBS)である。無リスクで活発に取引されているが、その流動性は国債より低い。FRBは国債を購入することで金融政策を実施することを好むが、量的緩和のための購入ではAgency MBSも積極的に購入している。
国債市場が壊れるとき 世界中の投資家は、国債を手にして簡単に銀行預金に換え、支払いに充てることができると期待している。これは、誰もがATMに行って銀行預金を通貨に換えることができると期待していることと同じである。ある日突然、すべてのATMに「利用できません」というサインが表示されたら、国民はパニックに陥るだろう。実は2020年3月のCOVID-19パニックの際に、国債市場ではほぼそれと同様のことが起こった。 2020年3月、世界中の人々が恐怖に怯え、ドル貨を持ちたがった。投資家は投資資金を引き揚げ、外国人は自国通貨を売って米ドルを買い求めた。これらの「引き出し」に対応するため、投資ファンドや外国の中央銀行は、あたかもATMからおカネを引き出すように国債を売却した。しかしその時、かなりの割引価格でなければ国債を売ることができないことがわかった。ATMの機械が壊れていたのだ。機関投資家が有価証券を売却する場合には、ディーラーに電話して、ディーラーに価格を提示してもらおうとする。ディーラーはふつう、その証券を購入して保有した後には、別の投資家に売却して価格の差額を得る。2020年3月には、多くの投資家がディーラーを呼び出し、証券の売却を依頼した。住宅ローン証券に投資するために資金を借りているモーゲージREITは、その返済のために大量のAgency MBSを売却していた。社債ETFは投資家の引き出しに対応するため、債券を売却しようとしていた。プライム・マネー・マーケット・ファンドも同じ理由で、保有するコマーシャルペーパーを売却しようとしていた。ディーラーには突然に有価証券が押し寄せ、有価証券在庫の規制限界に達した。 2008年の金融危機では、投資家がディーラーの財務状況を懸念して融資を拒否したため、ディーラーに対する取り付け騒ぎが発生した。このため、ディーラーは既存の借入れを返済するために、保有する有価証券を投げ売りし、金融パニックを悪化させた。これに対して規制当局は、ディーラーが大量の有価証券在庫を保有しにくくするような、そしてリスクの高い有価証券を保有することが割高になるような、新たな規則を導入した。これらの規制はディーラーの財務体質を強化していた。しかし2020年3月の場合は、ディーラーが顧客から証券を購入する能力に支障をきたしたのであった。ディーラーは購入額の上限に達し、安全な国債であっても、それ以上は購入することができなくなった。 投資家は金融市場で起きている混乱に気づいていたが、突如、国債を売ることすらできなくなったことに驚いた。このため、売れるものは何もかもが売られるという大パニックに陥った。すべての金融市場が暴落した。市場が沈静化したのはFRBが介入した時だった。 FRBはディーラーのバランスシートの限界を認識し、3つのことを行った。第一に、FRB は銀行持株会社に対し、そのバランスシートの大きさを制限する規制の一部の適用を一時的に猶予した。第二に、FRB は外国の中央銀行が国債を売らなくてもドルを入手できるようにするために、新たな対外レポ・ファシリティを開設した。第三に、FRBは大規模な量的緩和を再開した。最後のポイントは市場を安定させる鍵となった。数週間という短期間に、FRB はディーラーからほぼ2 兆ドルの国債とAgency MBS を購入した。こうした買い入れによって、ディーラーは大量の有価証券在庫を手放すことができ、顧客から有価証券を購入する余地を取り戻すことができた。これによって財務省証券の「貨幣性」が回復し、市場全体の安定に大きく貢献したのである。 |
不換紙幣(fiat currency)
聞き慣れない言葉かもしれないが、不換紙幣は最も目に見える形の貨幣であるため、説明する必要もない。現金は印刷され、政府によって保証される。預金者は商業銀行やATM機の所に行って、銀行預金を現金に換えることができる。商業銀行は、金庫に十分な現金を保管することで、銀行預金が不換紙幣に自由に交換できるようにしている。さらに現金が必要な商業銀行は、FRBに電話して中央銀行準備を現金に換えることができる。FRBは、商業銀行が必要とする現金を積んだ装甲車をいつでも送れるようにしている。
他の形態の貨幣と比べて、現金がもつ明確な長所が一つある。それは金融システムの外部にあるものだ。金や銀のように、現金は物理的に存在し、誰が持っていようと価値として受け入れられる。政府は中央銀行や商業銀行に対する権限を持っているため、金融システムのすべてをコントロールしている。法律から逃れている人々も、金融システムにはアクセスできなくても、じゅうたんの下に隠してある通貨を使うことはできる。それにひきかえ、他のすべての貨幣は、本質的にはコンピューター画面上の数字にすぎない。実際には、かなりの量の100ドル紙幣が、政府の監視を避れたい人々によって、主に価値貯蔵手段として使われているという証拠もある。
ほとんどの現金は外国で保有されている 電子決済の人気が高まっているにもかかわらず、現金の流通量は年々着実に増加しており、2020年には約20兆ドルに達する。興味深いことに、最も多く流通している紙幣は100ドル札である。100ドル札が150億枚流通しているのに対し、1ドル札は130億枚、20ドル札は115億枚しかない。ドル価値から見ると、総額2兆ドルの流通額の約80%が100ドル札の形で保有されていることになる。100ドル札が大量に流通しているにもかかわらず、ほとんどのアメリカ人は日常生活で100ドル札を使うことも目にすることもほとんどない。その代わりに20ドルかそれ以下の紙幣を頻繁に見たり使ったりしている。調査によれば、これは100ドル札のほとんどが外国で保有されているためであるらしい[5]。
[5] Judson, Ruth “The Death of Cash? Not So Fast: Demand for U.S. Currency at Home and Abroad, 1990-2016”, in International Cash Conference 2017 – War on Cash: Is There a Future for Cash? Deutsche Bundesbank, 2017. |
よくある質問
この章では、今日の金融システムを理解するための枠組みを提供することを目的とした。この枠組みによって、読者は中央銀行の行動の意味をよりよく理解し、最も一般的な誤解を払拭することができるはずである。以下は、このフレームワークを使う練習のための、よくある質問である。
なぜ銀行は準備預金を貸し出さないのか?
量的緩和が導入された当初、多くの市場関係者は市中銀行の準備預金総額が爆発的に増加するのを見て、なぜ銀行は「その準備を貸し出さないのか」と考えた。だが上で議論したように、中央銀行の準備は商業銀行だけが保有でき、FRBのバランスシートから出ることはない。銀行が保有する中銀準備の水準はFRBの行動によって決定され、商業銀行が行う融資の額には影響されない。実際、市中銀行はいつでも準備を借りることができるため、融資を行うかどうかの決定において準備による制約を受けることはない。
商業銀行にとっての貸出制約は、規制によるものか、商業的条件によるものかのいずれかである。商業銀行は、残高の大きさや資産の質、および負債の構成を制約する無数の規則によって、高度に規制されている。こうした規制は銀行システムをより安全なものにしているが、同時に融資可能額も制限している。また、商業銀行は利益を上げられる場合にしか融資に興味を示さないのだが、債務不履行の可能性が比較的高い不況時には、利益を上げられる借り手を見つけるのが難しくなるのである。2008年の金融危機がそうであった。
株式市場が急騰するのは現金が引っ込んだからか?
銀行システムの預金残高を見て、その資金がすべて使われたら金融資産価格が爆発的に上昇することになるぞと指摘するコメンテーターが、時々いる。だが中銀準備の水準がFRBによって決められるのと同様に、銀行システムにおける銀行預金の水準は、商業銀行の集団行動によってほぼ決定される[6]。したがって、銀行預金の額は、銀行システムによる融資の水準を示す指標となる。
投資家が銀行預金をつかって株式や債券を購入するとき、その銀行預金は株式や債券を売却した人の銀行口座に入るが、銀行システムに存在する銀行預金の総量は変わらない。銀行預金は基本的に商業銀行システムの内部でシャッフルされるが、増加も減少もしないのである。銀行預金の総額が大きくても小さくても、巨額の投資が行われることはありえる。
[6] これは部分的には、準備が増加すれば銀行預金が増加するなど、中央銀行の行動によっても決定される。