ベスト・オブ・マンキュー: 世界で最も売れた経済学教科書の誤りと混乱
ペーター・ボフィンガー 2021年1月3日、朴勝俊訳 2023年12月18日
引用・参照は原典に対して行ってください
Peter Bofinger (2021) Best of Mankiw: Errors and Tangles in the World's Best-Selling Economics Textbooks, Jan 3, 2021
全文PDF版DLはこちら↓
わずか数回のツイートが引き起こす反応にはいつも驚かされる。N.グレゴリー・マンキューの入門書(Mankiw 2015)とマクロ経済学(Mankiw 2019)の重要な一節を10回にわたってツイッターで紹介したところ、信じられないほど大きな反響があった。こんなことを私はまったく期待していなかった。しかし、これらの教科書が、マンキュー自身のデータ(Mankiw 2020b)によれば、全世界で約400万部の発行部数に達していることを考えると、自発的にせよ、非自発的にせよ、この本に接し、独自の体験をした人が非常に多かったということなのであろう。
一連のツイートでは"Best of Mankiw"という皮肉なタイトルをつけて、マンキューの著書から根拠がほぼ示されていない「原理」をツイートした。理解を深めるために、以下に個々のツイートを示し、私のマンキュー批判を詳しく説明したい。
- 「政府が経済のパイをより平等に切り分けようとすると、パイは小さくなる」
出典: Mankiw (2015), p. 5
訳: 原理1、人々はトレードオフに直面している。「政府が富者から貧者に所得を再分配すると、勤勉に働くことに対する報酬を減らす。その結果、人々は労働を減らし、モノやサービスの生産を減らす。言い換えれば、政府が経済のパイをより公平に切り分けると、パイが小さくなるのである。」
全10項目の「原理1」として、学生たちは、所得の分配がより不平等であればあるほど、経済生産額が大きくなると教えられる。マンキューはこう付け加える。「これは、所得の分配に関する教訓の中で、ほとんど誰もが同意するものである」(Mankiw 2015, p.429)。
だがそんな証拠はない。所得分配に関するOECDのデータ(純世帯所得のジニ指数で測定)では、南アフリカやチリ、メキシコ、トルコ、ブルガリアといった非常に貧しい国々では不平等が非常に高い。これとは対照的に、経済的に非常に強力なスカンジナビア諸国(1人当たり国内総生産で測定)は、家計所得の不平等が非常に低いという特徴がある。
所得分配と経済パフォーマンスの関係についての不正確な記述とは別に、マンキューが所得再分配を「懸命に働く」インセンティブを低下させるプロセスだと論じていることは注目に値する。高所得者は低所得者よりも懸命に働いていると言いたいのだろう。
出典: OECD、最新データ
- 「政府が市場の成果を改善できる場合もある」
出典: Mankiw 2015, p. 12
訳: 原理7「政府はときには市場の結果を改善できる」、「見えざる手は全ての人々に十分な食糧や、まっとうな衣料、適切なヘルスケアを保証しない。」「この不平等は、個人の政治哲学に依存して、政府介入を求めるかもしれない。」
原理7は明確に、最小政府主義の表現である。マンキューは、市場のプロセスそのものには全ての市民に十分な食料や、適切な衣服、適切な医療を提供する能力がないことを認めている。しかしマンキューにとって、このことは必ずしも政府の介入を求めることを意味しない。むしろ、これは「各自の政治哲学」に依存するものである。
政府についての全く異なる理解は、財政学の専門家であるリチャード・A・マスグレイブによる政府機能についての古典的記述(Musgrave 1959)に見出すことができる。彼は政府の機能を分配機能、資源配分機能、安定化機能と体系的に区別している。政府の介入の可能性のみを語るマンキューとは対照的に、Musgrave (1989, p.7)は次のように述べている: 「公共部門は、その様々な任務を果たす上で、機能する社会の不可欠な構成要素である。」
- 「人々はどのように相互作用するのか」
出典: Mankiw (2015), p. 9
訳: 原理5「人々はいかに相互作用するか」、「家計は買い物に行くときでも、お互いに競争している(...)」「ある意味、経済ではそれぞれの家計が他の家計と競争しているのである」。
原理5(「取引はすべての人をより良くすることができる」)では、取引(ひいては市場経済)が家計にどのような影響を与えるかを述べている。マンキューは、家計が買い物をする際に互いに競争するのは、各家計が最良の製品を最安値で買いたいからだという結論に達する。これが経済原理の表現として誤ったものだという事実はさておいても、これは市場経済の現実にかんする不正確な記述である。
市場経済とは通常、買い手市場であり、そこではすべての消費者に十分な製品が供給され、しかも価格交渉は通常不可能である。これとは対照的に、東ヨーロッパやソビエト連邦の中央計画経済では、1980年代後半まで、統制価格と売り手市場によって、希少財をめぐる家計間の競争が行われていた。これらは需要超過すなわち供給量が需要量を下回ることを特徴としている。ここでは需要者は、需要に比べて供給が不十分な商品をめぐって争っているのである。現在、このような売り手市場構造は、価格上限を特徴とする賃貸住宅市場においてのみ観察される。
また、家族が互いに競争しているという一般的な記述の中で、ひとつの経済学的観点から、人々のお互いの行動に対する一般的な推論がなされていることが気になる。
- 「社会はインフレと失業の短期トレードオフに直面している」
マンキューはインフレと失業の関係を「原理10」として提示している。この原理によれば、短期的にはインフレと失業は常にトレードオフの関係にある。マンキューは、一部の経済学者がいまだにこの関係に疑問を抱いていることを認めながらも、ほとんどの経済学者がこの関係を受け入れているように装っている。
この原理は、マクロ経済学の教科書の多くがショックを体系的に分析していないという根本的な問題を示している。上の図で明らかなように、需要ショックの場合、インフレと失業の間に「トレードオフ」は存在しない。一般的な総供給・総需要(AS-AD)モデルでは、負の需要ショックは総需要(AD)曲線の左方シフトをもたらす。この場合、物価水準は下落し、生産は減少する。このようなショックに対して中央銀行や財政政策が行動を起こせば、拡張的な政策をとることでAD曲線を最初の位置に戻すことができる。したがって、物価水準の安定と生産の安定との間に「トレードオフ」は存在しない。AS-ADモデルの単純なモデル世界では、物価上昇を物価水準の変化によって、失業率を生産ギャップによって、近似することができる。
マンキューが一般的に主張する目的の対立は、供給ショック後の状況においてのみ存在する。ここで、中央銀行(または財務省)は、生産高と物価水準のどちらを安定させることを優先すべきかを、実際に自問自答しなければならない。
出典:Mankiw (2015), p.15および筆者の図解
訳: マンキューの原理10「社会はインフレと失業の短期トレードオフに直面している」「短期(1~2年)では、多くの経済政策はインフレと失業に正反対の影響を与える」「他の要素はトレードオフを多かれ少なかれ弱めるが、トレードオフは常に存在する」「(上図)負の需要ショックは総需要曲線を左にシフトさせる。物価が下がり生産が減る」「ショックに対応して例えば中央銀行が金利を下げて、AD曲線は右にシフトしても、インフレ(物価水準)と失業(産出)のトレードオフは存在しない」。
- 「最低賃金は失業を引き起こす」
出典: Mankiw 2015, p. 118
訳: 図(a)は賃金率によって労働供給と労働需要が一致させられるような労働市場を表している。図(b)は拘束力のある最低賃金の影響を示している。最低賃金は価格フロアであるため、労働の超過供給をもたらす。その結果が失業である。
このツイートはツイッターで最も多くの「いいね!」を獲得した。マンキューの名誉のために言っておくと、彼は教科書の中でこの問題について経済学者の意見が分かれていることを指摘している。しかし、彼が提示する唯一の実証的証拠は、最低賃金が10代の若者の労働市場に与える影響に関する研究である。そして最低賃金擁護派に関しては、証拠も示さずに、彼らでさえ雇用に悪影響があったと認めたと主張している。しかし彼らは、その影響は小さく、全体として最低賃金は貧困層の状況を改善すると「信じていた」のである。最低賃金は雇用に負の効果をもたらさないと結論づけた数多くの研究(Belman and Wolfson 2014)を、マンキューは全く隠蔽している。
分析上は、上記の図は最低賃金が雇用に明らかにマイナスの影響を与えるという印象を与える。この図は、労働市場の供給側と需要側の両方で完全競争が成立しており、賃金変更の場合に代替効果が所得効果を上回ると仮定している。その場合のみ、労働供給曲線の傾きはプラスになる〔賃金率が上がるとそれ自体の効果でより多く働こうとするが(代替効果)、実質的に所得が増えることで働きを減らそうとする効果もあるので(代替効果)、前者が効果を上回らないと、労働供給は増えない〕。
しかし入門コースにおいて、モノプソニー(買い手独占)や所得効果が優勢な状況における労働市場のあり方を伝えることは容易ではない。しかし、マンキューもののような標準的表現だけを示して、それを学生の頭にこびりつかせてしまう前に、少なくとも別の表現を試みるべきである。例えばインターネットでは次のような表現が見られる:
出典: Lumen Learning, Open Educational Resources (2020). Monopsony and the Minimum Wage
訳: 最低賃金と買い手独占(縦軸は賃金率、限界収入生産物、限界要素費用、横軸は雇用量)。買い手独占の雇い手が直面する労働供給曲線はSで〔低賃金にするほど働きたい人は減る〕、限界要素費用曲線はMFC〔W(L)×LをLで微分したもの〕、限界収入生産物曲線はMRPである。利潤を最大化するのは、時給4ドルまで下げて、雇用量を〔MFCとMRPが交わる〕Lmとする場合である。時給5ドルの最低賃金が適用されると、SとMFCの点線部分は重要ではなくなる。L1の雇用量のところまで限界要素費用曲線は時給5ドルの水平線となるのである〔雇用量をあえて減らしても賃金を下げることが出来ないため〕。このときMRPとMFCが交差するL2の水準の雇用がなされるので、雇用量は増加する。
傾きが部分的に負になって、S字型の労働供給曲線となった場合にも、これをプロットすることは容易ではない(Dessing 2002)。
- 「デフレが経済を不況から脱出させる」
出典: Mankiw (2019)、p. 294
訳: デフレ(つまり物価水準の下落)は、需要ショックが起こったあとの経済回復を助ける。
このマクロ経済学教科書の驚くべき主張の一つは、デフレ(マンキューは物価水準の下落と呼ぶ)が経済を不況から脱出させるという説明である。
この結果は、AS-ADモデルの枠組みの中で原理的には導くことができる。ただし、このモデルはIS-LMモデルから派生したものであることに注意すべきである。IS-LMモデルでは、中央銀行は名目マネーサプライを一定に保つと仮定されている。〔不況がくると総需要曲線が左にシフトし、物価の下落が始まり〕物価水準が下落すれば実質貨幣供給量(M/P)は増加する。貨幣需要が所与ならば、名目金利は低下する。名目金利の低下は金利に依存する投資を増加させ、投資乗数を介して総需要を増加させる。この観点からすると、物価水準の下落は、原理的にはAD曲線上の動きをBからCへと導くことができる。
しかし、マンキューが考慮していないのは、デフレの場合には名目金利のゼロ金利下限にすぐに達してしまうということである。つまり、原理的に経済を安定化させるはずの名目金利の低下には、下限があるということである。また、投資は名目金利ではなく実質金利で決まるため、名目金利がゼロ金利下限に達した後にデフレになると、実際にはデフレの進行とともに実質金利が上昇する。安定化プロセスどころか、不安定化プロセスである。
加えて、強い企業破綻(債務超過)のフェーズに続いて、デフレが起こる場合には、これは債務者と金融システムに不安定化の影響をもたらす。アーヴィング・フィッシャー(1933)はこれを「債務デフレーション」と呼んだ。
- 「公的債務は経済成長を低下させる」
出典:Mankiw (2015) p. 561、および著者の図解
訳: ベスト・オブ・マンキューNo.7、「政府の財政赤字は経済成長率を引き下げる」「(左)マンキュー「政府が財政赤字を出して国民貯蓄(貸付資金)を減らすと、金利が上がり、投資が減る」(公共投資がないという仮定)。「(右)もう一つの見方「政府が財政赤字を出して追加的公共投資の財源を賄うと、金利が上がり、投資が増える。マンキューは投資が増えると経済成長率が高まると言っている」
政府債務と経済成長の関係に関するこの記述は、特に経済政策にとって重大であると思われる。マンキューは、政府債務は貯蓄を減らし、経済への投資を減らすと推論している。これは経済成長にマイナスの影響を与えることになる。
ここでの基本的な問題は、文脈が古典派経済学のモデルの枠組みで示されていることである。このモデルの特徴は、世の中には消費財や、投資財、金融資産として同じように使える万能財(all purpose good、原典のone purpose goodは誤り)しかないという想定である。したがって投資は、家計が消費を見送ること(貯蓄)によって「賄われる」必要がある。こうすることで万能財は金融資産として利用できるようになり、投資家はそれをそのまま投資財(「資本」)として利用できるようになる。銀行融資による投資資金調達や、政府の場合は中央銀行をつうじた投資資金調達は、このモデルでは基本的に不可能である。金融システムの「実体経済」モデル化の問題点については、Bofinger (2020)を参照されたい。
しかし、古典的モデルの枠組みのなかでもマンキューが導出した結果は説得力のあるものではない。その結論はむしろ、政府は借り入れた資金をもっぱら消費に使うという暗黙の仮定から生じている。さらに、政府の追加的な信用需要は、信用に対する総需要を増加させるのではなく、家計の貯蓄から生じる信用資金供給を減少させるという奇妙な仮定も特徴的である。
その代わりに、政府が投資の資金調達のために借り入れを行うと仮定すると、様相は根本的に変わる。その場合には、その効果は(貯蓄による資金供給の変化ではなく)信用需要の変化として現れる。投資需要のシフトは金利の上昇につながり、新しい均衡では貯蓄が増え、投資が増えることになる。
したがって、マンキューの推論とは正反対のことが起こる。政府投資の資金調達のための政府借入は、経済成長を高めることになるのである。
- 「銀行は預金を集め、それを融資として貸し出す」
出典: Bank of England (Mc Leay, Radia and Thomas 2014)
訳: ベスト・オブ・マンキューNo.8、銀行の主な仕事。マンキュー「銀行は預金を集める」「銀行の主な仕事は、貯蓄をしたい人々から預金を集め、この預金を使って借りたい人に貸付を行うことである」「イングランド銀行(英国中央銀行)「銀行は預金を創造する」。
銀行が貯蓄者と投資家のあいだの単なる仲介者であると考えるのはマンキューだけではない。これは、前述の(新)古典派理論における、金融システムに関する実物交換経済モデル化の表現である。これは今日に至るまで、金融システムの問題に関するほとんどの学問的研究を形作っているパラダイムである。実物交換経済モデルでは、前述の万能財しか存在せず、それは家計が消費を見送ることによってのみ金融市場で利用可能になるため、銀行の役割は、貯蓄者と投資家のあいだのパイプ役に過ぎないとされてしまう。
これは現実とは全く無関係である。ツイートでしめした、イングランド銀行のプレゼンテーションが明らかにしているように、(現実に基づく)貨幣経済モデルでは、預金は主に商業銀行の貸出によって生み出される。家計が銀行に現金を持ち込むことによって預金が作られる場合には、その現金はもともと中央銀行の貸し出しによって作られたものである。
マンキューの著書でも、この原理を反映した伝統的な信用乗数モデルを用いて、銀行による信用創造のプロセスが紹介されている。しかし驚くべきことに彼は、別のところで、銀行の機能はたんに仲介機能だと言ったことには触れていない。また、信用乗数モデルは全く現実的ではない。このモデルは銀行が、中央銀行貨幣が手に入ったらそれを全て、直接的に、貸付に使うという仮定をしている。しかし中央銀行による広範な国債購入の経験が示すように、このメカニズムは不正確である。またこのメカニズムは、銀行貸付市場における不均衡を仮定しており、実勢金利での銀行貸出に対する超過需要があるとされている。
中央銀行の資金供給が増えれば銀行貸出が増え、マネーサプライが増えるという、貨幣創造乗数モデルが想定する因果関係も不正確である。中央銀行は通常は、マネタリーベースを介して商業銀行貸出をコントロールするのではなく、マネーマーケットの金利を介してこれをコントロールするのである。これらの関係についてはECB (2011)を参照されたい。
- 小国開放経済における完全な混乱
出典: Mankiw (2019), p. 154
訳: ベスト・オブ・マンキューNo.9「小国開放経済の混乱した世界(マクロ経済学教科書)。左「I-SとNXは恒等式である(p. 143)」、右「I-Sはドルの供給であり、NXはドルの需要である(p. 154)」。〔実質為替レートは、上に行くほどドル高である。ドルの超過供給があるときには為替レートが下がり、超過需要があるときには為替レートが上がる、という図解〕。
マンキューの小開放経済モデルは大きな混乱の元である。まず、彼は純輸出(NX)が貯蓄と投資の差額(S-I)と同一であると正しく述べている(「会計恒等式」)。にもかかわらず、彼はそのわずか数ページ後に、NXを外国為替〔ドル〕需要、I-Sを外国為替供給だと表現してしまっている。そこから為替レートを導き出しているのである。
全般的な混乱とは別に、この導出方法は同時に、(新)古典モデルの論理を誤解していることを示している。このモデルでは、為替レートは存在しない量である。すでに何度か述べたように、このモデル世界では、万能財が一種類だけ存在する。したがって、交換は時点内ではなく時点間にのみ可能である。したがって、万能財は時点内貿易において価格を持たない。したがって、この世界には国内価格水準は存在しない。また、二国間で時点内貿易がなく、時点間貿易しかないのであれば、為替レートは無意味な量である。
数え切れないほどの大学で、数え切れないほどの教授が、数え切れないほどの学生たちに教えてきたこの本の初版から7版までで、このような単純なつながりがなぜ見落とされたのだろうか?
- ケインズの理論の核心は何か?
出典: Mankiw (2019), p.309および著者による図解
訳: 「ケインズのクロス」、マンキュー「計画支出と実際の支出の交差」、ケインジアンの説明「短期総供給は短期総需要に等しい」
マンキューはマクロ経済学の教科書の中で、「ケインズの理論の最も単純な解釈」として、いわゆる「ケインズのクロス」を紹介している。これは「計画支出」と呼ばれる曲線と「実際の支出」と呼ばれる曲線の2つをマッピングしたものである。これを示されたら、事前数量(計画)と事後数量(実際)の関係について、ケインズ派の理論に共通するものは何なのかと問いたくなる。
手短に言えば、そんなものは何もない。この図が示しているのは実のところ、所得に依存する消費と、金利に依存する投資で構成される総需要と、45度の線で表される短期総供給との関係である。ケインズ的要素とは、45度と仮定される供給曲線の傾きであり、〔供給が〕総需要によって決定されるとの仮定なのである。
マンキューは、他の教科書の著者と同様に、この論理を認識していないため、IS-LMモデルとAS-ADモデルを導き出す際に、さらに誤った解釈をしている。彼はp.319で「IS曲線上の各点は財市場における均衡を示す」と正しく述べている。彼はIS曲線を「ケインジアン・クロス」から導いているのだから、この曲線が表しているのは財市場における均衡以外の何物でもないということは、その時点ですでに明らかだったはずである。
だがこの混乱は、IS-LMモデルからAS-ADモデルが導き出されたときに一気に加速する。AD曲線は総需要を表し、AS曲線は総供給を表すことになっている。もし「ケインジアン・クロス」を財市場と正しく認識していたなら、AS-ADモデルにおいて、総需要がIS曲線(=財市場の均衡)からどのように導かれるのかと、不思議に思うだろう。
マンキューは彼のマクロ教科書の第10版で、AS-ADモデルを長期的で垂直な総供給曲線だけで提示している。以前の版ではまだ提示されていた短期供給曲線は、差し替えられることなく削除されている。これは、モデルに2本目の短期供給曲線を置く余地がない限りにおいて、妥当なことである。しかしAS曲線を残し、それを単純に物価水準のフィリップス曲線として解釈することも可能であったはずである。
AS-ADモデルの詳細な議論と批判については、Bofinger (2011)を参照されたい。中央銀行がマネーサプライではなく(実質)金利を手段として使用し、したがって物価水準をコントロールするのではなくインフレ率をコントロールするという事実を考慮した、かのドクトリンに対するシンプルな代案は、Bofinger, Mayer and Wollmershäuser (2002 and 2006)によって開発されたモデルである。
要約
私のツイートに対して、マンキューに対する「中傷キャンペーン」だという非難があったが、それ以外には(少なくとも私のフィルターバブルの中では)批判的なコメントはほとんどなかった。実際、私の要点は、マンキューの教科書で紹介されている一面的な、非現実的な、混乱した経済学解説を批判することである。彼の著書は経済学者の教育だけでなく、経営学やビジネス情報学のような経済学全般の学問に使われているためである。マンキューの著書は、経済学者の比較的狭いサークルをはるかに超えて、経済政策思想を形成しているのである。
少なくとも、マンキューが非常に積極的に、かれが説明する経済原理がある種の経済学的コンセンサスになっているかのような印象を与えようとする時点で、すべてが問題となる:
「特にあなたが学部の教室に入ったときに、経済学の専門家たちが知っていることについて、バイアスのない見方を示そうとすることが、教授の目的となるべきでしょう。私は自分のことを、グレッグ・マンキューの見解を代表するだけでなく、私と多くの同僚の見解を代表しようとする、経済学の専門家の大使だと考えています」(Mankiw 2020a)。
そうではないことは、この記事で明らかになったはずである。
文献
Belman, Dale und Wolfson Paul J. (2014), What Does the Minimum Wage Do? Tuck School of Business at Dartmouth, Upjohn Press, https://research.upjohn.org/up…
Bofinger, Peter, Mayer, Eric und Wollmershäuser, Timo (2002), The BMW model: Simple macroeconomics for closed and open economies a requiem for the IS/LM-AS/AD and the Mundell-Fleming model, W.E.P. - Würzburg Economic Papers No. 35.
Bofinger, Peter, Mayer Eric und Wollmershäuser, Timo (2006), The BMW model: A new framework for teaching monetary economics, Journal of Economic Education, 37(1): 98-117.
Bofinger, Peter (2011), Teaching macroeconomics after the crisis, W.E.P. - Würzburg Economic Papers No. 86.
Bofinger, Peter (2020), Reviving Keynesianism: the modelling of the financial system makes the difference, Review of Keynesian Economics 8(1):61-83.
Dessing, Maryke (2002), Labor supply, the family and poverty: the S-shaped labor supply curve, Journal of Economic Behavior & Organization, 49(4), Pages 433-458.
ECB (2011), Monthly Bulletin, October 2011.
Fisher, Irving (1933), The Debt-Deflation Theory of Great Depressions. Econometrica, 1, 337-57.
Lumen Learning (2020), Monopsony and the Minimum Wage, Open Educational Resources https://courses.lumenlearning.com/suny-microeconomics/chapter/monopsony-and-the-minimum-wage.
Mankiw, N Gregory, Principles of Economics (2015), 7th edition, Cengage Learning, Stanford, CT.
Mankiw, N. Gregory (2019), Macroeconomics, 10th edition, Macmillan, New York, NY.
Mankiw, N Gregory (2020a), An ambassador of the economics profession, Gregory Mankiw reflects on three decades as a textbook author. Interview with Chris Fleisher and Tyler Smith, April 29, 2020. https://www.aeaweb.org/research/greg-mankiw-reflections-textbook-author.
Mankiw, N Gregory (2020b), Reflections of a Textbook Author. Journal of Economic Literature, 58 (1): 215-28.
McLeay, Michael, Radia, Amar und Thomas, Ryland (2014), Money creation in the modern economy, Bank of England Quarterly Bulletin, 2014 Q1, p.14-27.
Musgrave, Richard A. (1959), The Theory of Public Finance: A Study in Public Economy. MacGraw-Hill, New York.
Musgrave, Richard A. (1989), The Three Branches Revisited. Atlantic Economic Journal. Vol. 17 (1989), 1-7.