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反緊縮経済・環境経済・政策に関する雑文 

ブランシャールのIS-LM-PCモデルにおける日本のPC曲線に関する実証的検討

ブランシャールのIS-LM-PCモデルにおける日本のPC曲線に関する実証的検討

朴勝俊

2024/2/28

※ お時間のない方は「はじめに」と「結論」のみお読みください

 

1.はじめに

 ブランシャール教科書におけるIS-LM-PCモデルでは、PC曲線はフィリップス・カーブを意味する(ブランシャール2019、p.307)。しかしこれは失業率と物価上昇率の関係としてのフィリップス・カーブではない。失業率とGDPギャップが強く相関するものだとして、GDPギャップ[1]物価上昇率の関係として示される(後出の図2を参照)。本稿は、過去の日本におけるGDPギャップと失業率の関係、およびGDPギャップと物価上昇率の関係を、統計的に明らかにする。まずはIS-LM-PCモデルの概要を、GDPギャップとの関係で説明する。次に、過去の1980年からの四半期データを用いて「物価上昇率関数」を推計する。ここで用いる変数は表1のとおりである。

 

表1 本稿で用いる変数

変数記号

変数名

出所

dotCPI

消費者物価上昇率(前年同期比)

総務省統計局「消費者物価指数」より作成

dotEXR

名目円ドル為替変化率(前年同期比)

日本銀行「主要時系列データ表」より月中平均

dotPOIL

原油価格(ドバイ)上昇率(前年同期比)

World Bank Commodity Price Dataより作成

GDPGAP

内閣府GDPギャップ

内閣府GDPギャップ」excelファイルより

UNEMP

完全失業率(男女計)

総務省労働力調査」長期時系列データより作成

注: データの期間は1980年第1四半期~2023年第三四半期、単位はすべて%である

 

図1 GDPギャップと失業率(1980年第1四半期~2013年第3四半期)

出典: 筆者作成

 

2.GDPギャップと物価上昇率の関係

 GDPギャップと完全失業率の関係を図1に散布図として示した。これを見ると確かに両者には負の相関が見られるが、相関係数は0.4738(決定係数は0.2245)であり、必ずしも強い相関とはいえない。

従って、GDPギャップに基づくPC曲線と、失業率に基づくフィリップス曲線は概ね鏡像のようにはなるものの、個々の点にはズレの大きな物があり、両者の図はぴったり重なりあう線対称にはならない(図2)。失業率に基づくフィリップス曲線の方が決定係数が高いが、本稿の分析ではブランシャール教科書(p.307)の図式に則って、GDPギャップに基づくPC曲線の考え方を採用し、分析を進める。

 

図2 GDPギャップに基づくPC曲線と、失業率に基づくフィリップス曲線

 

3.IS-LM-PC体系におけるPC曲線           

 

図3 IS-LM-PC体系

 IS-LM-PC体系は図3のように表される。IS曲線はどの教科書にも見られる一般的なIS曲線であり、財市場の需給を均衡させる金利と実際のGDPとの組み合わせの軌跡である。LM曲線は中央銀行金利を政策目標と決めて、それを実現するためにいくらでも貨幣供給量を調節するものとして、水平に描かれる。ここで、単純化のために、民間の貸付金利政策金利と同じと仮定している。

 IS曲線とLM曲線が交わる点で均衡GDPY*)が決まるが、これは必ずしも潜在生産量(Yn)とは一致しない。例えば図3のIS1は第1期のIS曲線を意味し、左にシフトした「不況状態」を表している。そのとき均衡のY*Ynより低水準である。

 図3の下図に示されたのがGDPギャップ(G=(Y*-Yn)/Yn)物価上昇率π)の関係を示すPC曲線である。Ynに対応するGDPギャップが定義上0なので、Y*に対応するGDPギャップは負である(マイナス3とする)。第1期のPC曲線上の点は、点B  (G, π)=(-3%, -1%)となっている。

 政府の目標を、潜在生産量の実現(GDPギャップをゼロにすること)と、物価安定目標(πT=2%)の達成の組み合わせであるとしよう。すなわち点A (G, π)=(0%, 2%)である。第1期のPC曲線はこの点を通るので、拡張的財政政策か金融緩和(利下げ)でこれを実現できる。

ここでは第2期に、財政政策によってIS曲線をIS2まで右にシフトさせたとしよう。このときの均衡GDPY**)はYnを超え、GDPギャップはプラスとなる。ここでの生産量は潜在GDPに一致していない。潜在生産量を超えるGDP水準を実現することは、少なくとも短期的には、雇用を増やし、労働時間を延長し、設備稼働率をさらに高めることによって可能となる。こうして、第2期のGπの組み合わせは点C (G, π)=(1%, 3%)となる。

 図3のモデルでは、PC曲線においてG=0の場合、物価上昇率πeの水準で安定すると想定されている。他方、いわゆるフリードマンの自然失業率仮説によれば、人々の予想物価上昇率(πe)が高まれば、フィリップス曲線が上方にシフトする。従って、図3の図式ではPC曲線が上方シフトする(PC3)。ここでは、前期の実際の物価上昇率に応じて今期の予想物価上昇率が決まり(適応的期待)、予想物価上昇率(πe)と潜在GDP(すなわちG=0)が対応するようになると考える[2]。つまり、第3期のPC曲線(P3)は点D (G, π)=(0%, 3%)を通る曲線となる。この時、物価上昇率は3%で安定するが、これは物価安定目標(πT=2%)を上回っているので、政府は若干の財政引き締め(IS曲線の左シフト)や金融引き締め(利上げ、LM曲線の上方シフト)によって、意図的に景気を悪化させて物価上昇率を下げようとするかもしれない(これに関する検討は省略する)。

 なお、経済が過熱したとき(点C)、それが設備投資を促せば、潜在GDP (Yn)そのものが右にシフトするであろう。この場合、Y**が新たな潜在GDPとなれば、物価上昇率が高まることはない。このダイナミズムに注目するのが「高圧経済」の考え方であるが(原田・飯田2023)、本稿ではこれには立ち入らない。

 では、GDPギャップと物価上昇率、および失業率について、実際のデータを確認してみよう。図4に、内閣府GDPギャップと、消費者物価(CPI総合)上昇率、および完全失業率(男女計)を折れ線グラフに示した(単位はいずれも%)。これによれば、GDPギャップは最高で4%近い値を、最低でマイナス10%近い値を記録している。つまり決してゼロが上限ではないということが、ここでも確認できる。CPI上昇率は、1980年代初頭は8%を記録していたが、近年ではゼロ%近辺である(物価上昇率がゼロ%を下回るデフレも観察される)。例外は消費税が導入・増税された1989年、1997年、2014年、およびコロナ禍後の2022年以降の輸入インフレ期である。失業率も長期的に見ればGDPギャップと相関しているように見えるが、動きは非常になめらかである。この図によれば、日本においては、物価上昇率も失業率も、GDPギャップに敏感に反応して動くわけではないようである。GDPギャップが4%近くになったのは1980年代であるが、その頃の物価上昇率は4%に満たず、10%を超えるような「ひどいインフレ」になったわけではない。

 

図4 内閣府GDPギャップと、消費者物価上昇率および失業率(右軸)

出典: 筆者作成。表1参照。すべて四半期データ。CPI上昇率は総合指数の前年同期比。

 

4. 物価上昇率関数の推計

 これまで説明してきたPC曲線を、ここでは「物価上昇率関数」として推計する。1980年第1四半期から2023年第3四半期までのデータを用いて、統計ソフトEViews13を用いて推計した。

 推計式は以下のとおりである[3]

 

dotCPI = c(0) + c(1)*dumq2 + c(2)*dumq3 + c(3)*dumq4 + c(4)*dumc89 + c(5)*dumc97 + c(6)*dumc14 + c(7)*dumc19 + PDL(GDPGAP,8,1) + PDL(dotPOIL,8,2) + PDL(dotEXR,8,2) + AR(1) + u

 

 ここで、dotCPIはCPI上昇率(前年同期比)であり、dumq2とdumq3、dumq4は四半期ダミー(第1四半期を省く)、dumc89とdumc97、dumc14、dumc19は消費税導入・引き上げダミーである(導入・引き上げが行われた四半期から、4期ぶんを1とする)。PDLとは他項分布ラグのことである。 PDL(GDPGAP,8,1)はGDPギャップ変数の係数を、当期から8期前まで1次の分布ラグとして推定する。PDL(dotPOIL,8,2)は原油価格上昇率(前年同期比)の係数を、当期から8期前まで2次の分布ラグとして推定する。PDL(dotEXR,8,2)は名目為替レート変化率の係数を、当期から8期前まで2次の分布ラグとして推定する。AR(1)は誤差項の自己回帰に関する項である(1次の自己回帰)。これを最尤法で推計した結果が表2に示されている。

 

表2 物価上昇率関数の推計結果

 

 利用可能な観測数は163あり(1983Q1~2023Q3)、説明変数が多くても十分に推計可能であった。自由度修正済み決定係数は0.88であり、良好である。Prob.はP値である。四半期ダミー変数はいずれも10%水準で有意ではなく、消費税導入・増税ダミーについても、1997年増税と2019年増税は10%水準で有意ではないことがわかる(89年導入ダミーは10%水準で、2014年増税ダミーは5%水準で有意である)。

 表2のPDL01とPDL02は、GDPGAPのラグを含めた多項式の係数を計算する元になるパラメタである。ここから自動的に計算された係数は、表3の1つめのグラフと表で示されている(変数名がないので注意されたい)。解釈するならば、当期の物価上昇率を、当期のGDPGAPの1%上昇は0.050%押し上げ、1期前のGDPGAPの1%上昇は0.045%押し上げ、2期前のGDPGAPの1%上昇は0.041%押し上げ・・・・、ということになる。さらに、8期前から今期まで9期分のGDPギャップ1%上昇の影響を合計すれば、それは今期の物価上昇率を0.28%押し上げることになる。GDPギャップが持続的に1%高くなっても、中期的な(2年程度の)物価上昇圧力は0.28%に過ぎないということであり、これは想像されるよりも小さい圧力ではなかろうか。

 

表3 多項分布ラグ(PDL)の推計結果

 

 表2のPDL03~PDL05は、原油価格上昇率(dotPOIL)のラグを含めた多項式の係数を計算する元になるパラメタである。係数の分布を2次関数としたため、計算には3つのパラメタが必要なのである。こから自動的に計算された係数は、表3の2つめのグラフと表で示されている(これも変数名がない)。解釈するならば、当期の物価上昇率を、当期のdotPOILの1%上昇は0.00431%押し上げ、1期前のdotPOILの1%上昇は0.00398%押し上げ、2期前のdotPOILの1%上昇は0.00356%押し上げ・・・・、ということになる。さらに、8期前から今期まで9期分のdotPOIL 1%上昇の影響を合計すれば、それは今期の物価上昇率を0.01991%押し上げることになる。原油価格が1%上昇しただけでは、物価はほとんど上がらない。しかし原油価格の上昇率は時に非常に高くなるので、例えば前年同期と比べて100%の値上がりが起これば、物価上昇率は約2%押し上げられることになる。

 表2のPDL06~PDL08は、円ドル為替レート(dotEXR)のラグを含めた多項式の係数を計算する元になるパラメタである。係数の分布を2次関数としたため、計算には3つのパラメタが必要なのである。こから自動的に計算された係数は、表3の3つめのグラフと表で示されている(これも変数名がない)。ちなみに、為替レートは数値が大きくなるほど円安となるので、係数がプラスならば円安によって消費者物価上昇率が高まることとなる。解釈するならば、当期の物価上昇率を、当期のdotEXRの1%上昇は0.00612%押し上げ、1期前のdotEXRの1%上昇は0.00763%押し上げ、2期前のdotEXRの1%上昇は0.00868%押し上げ・・・・、ということになる。この変数の場合には、最も影響力が大きいのは4期前のdotEXRの値であることがわかる。さらに、8期前から今期まで9期分のdotEXR 1%上昇の影響を合計すれば、それは今期の物価上昇率を0.07%押し上げることになる。為替レートが1%円安になっただけでは、物価はほとんど上がらない。しかし為替レートの変化は時に非常に大きくなるので、例えば前年同期と比べて20%の円安が起これば、物価上昇率は約1.4%押し上げられることになる。

 これらの物価上昇率の押し上げ効果は、時間がたつにつれて減衰する。GDPギャップの高まりや、原油価格上昇、為替レート減価(円安化)が一時的なもので、あとは変化後の水準で安定するのであれば、それらの物価上昇圧力はいずれ(2年程度で)ゼロになる。

 図5は、物価上昇率(前年同期比)と物価水準の関係を模式的に表したものである。この図に限っては、横軸の数値は四半期での時点を示している。最初の1年は物価が安定し、次の1年は前年同期比の物価上昇率が段階的に5%近くまで高まる。しかし物価指数がその水準で安定すると、1年かけて物価上昇率も低下してゆき、その次の年の物価上昇率はゼロに戻る。

 従って、外的ショック(原油価格上昇や円安)による物価上昇は一過性のものになりがちである。それを持続的なものにするには、例えば名目賃金が継続的に上昇するような経済環境が作り出されなければならない。

 

図5 物価上昇率と物価水準の関係

出典: 筆者作成

 

 図6は、表2と表3の推計結果を用いて、物価上昇率の実績値(Actual)と推計値(Fitted)、および残差(residual)を図示したものである(推計には、表2で統計的に有意でなかった説明変数もそのまま含めている)。実績値と推計値は非常によく合致しており、最高値は4%弱(1990年頃、および2022~2023年頃)、最低値はマイナス2%程度である。また残差も時間軸にそって偏りなくランダムに推移していることが分かる。

 

図6 物価上昇率の実績値と推計値(1983年~2023年)

出典: 筆者作成。

 

5. 結論

 本稿ではブランシャールのIS-LM-PC曲線について解説したのち、1980年からの四半期データを用いて、PC曲線に相当する「物価上昇率関数」を推計した。その結果としてわかったことは、消費者物価上昇率は、GDPギャップの1%ぶんの上昇(景気の改善・過熱)によって(約2年分の効果の累積として)0.28%押し上げられること、原油価格上昇率の100%ぶんの高まりによって約2%押し上げられること、為替レートの20%ぶんの減価(数値の上昇)によって約1.4%押し上げられることがわかった。価格上昇率の高まりや、為替レートの減価が一過性のもので、変化後の水準で安定するのであれば、物価上昇率は2年程度で安定化する。また、本稿の主な考察対象ではないが、GDPギャップの上昇(景気過熱)が設備投資につながるなら、必ずしも物価上昇率は高まらず、潜在GDPの増加によって物価が安定する可能性がある。これはいわゆる「高圧経済」に関連する論点であるが、その検討は今後の課題としたい。

 

参考文献

栗山博雅・北口隆雅(2023)「2023 年7-9月期GDP1次速報後のGDPギャップの推計結果について」『今週の指標』(内閣府)、No.1324、2023年12月1日

原田泰・飯田泰之編著(2023)『高圧経済とは何か』金融財政事情研究会

ブランシャール・オリヴィエ(2020)『ブランシャール マクロ経済学 上〔第2版〕』東洋経済新報社

 

[1] ブランシャール教科書では、GDPギャップは実際のGDPと潜在GDPとの金額の差で示されるが、本稿では内閣府GDPギャップ率(%)を用いる。両者が意味するところは同じである。なお、内閣府の定義式は「GDPギャップ=(実際のGDP-潜在GDP)/潜在GDP」であり、潜在GDPの定義は「経済の過去のトレンドからみて平均的な水準で生産要素を投入した時に実現可能なGDP」である(栗山他 2023)。すなわち、GDPギャップの数値がプラスの値をとって大きくなることは、実際のGDPが潜在GDPを大幅に超えることを、すなわち景気過熱を意味する。内閣府GDPギャップと類似した統計として、日本銀行需給ギャップがある(推計方法は若干異なる)。これは1983年からの値が利用可能である。

[2] このようになる理由の説明は単純ではないが、直感的に理解できる例を挙げよう。物価上昇率が高まったことで、企業は自社製品がより高く売れて利益が上がると考え、稼働率を高め、人々をより多く雇用する。しかし労働市場の逼迫によって予想物価上昇率に応じた賃上げを求められると、企業はほどほどの雇用水準と稼働率に戻さなければならない。

[3] この推定式には、第3節で説明した予想物価上昇率πe)の上昇によるPC曲線のシフトを意味する項は含めていない。適応的期待の仮説によれば、過去、物価上昇率が高い状況が続けば、予想物価上昇率が高くなると考えられる。しかし、過去数期の物価上昇率や、過去四四半期の物価上昇率の平均などを説明変数として含め、その含め方を色々と変えて推計しても、係数が有意でなかったり、符号がマイナスとなったりした。それが、これらの説明変数を含めない定式化を選んだ理由である。

 

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