朴勝俊 Park SeungJoonのブログ

反緊縮経済・環境経済・政策に関する雑文 

【翻訳】エーダー=ラムサウアー(2022)「山本太郎とれいわ新選組 ― 新自由主義日本のための、愛と、ポピュリズムと、ラディカルなデモクラシー」

アンドレアス・エーダー=ラムサウアー(2022)「山本太郎とれいわ新選組

新自由主義日本のための、愛と、ポピュリズムと、ラディカルなデモクラシー」 

翻訳: 朴勝俊(2023/10/17) 
※ 公式の翻訳ではないため引用・参照は原典に対して行ってください。

原典: Andreas Eder-Ramsauer (2022) “Yamamoto Tarō and Reiwa Shinsengumi -- Love, Populism, and Radical Democracy for a Neoliberal Japan –”, Journal for the Study of Radicalism, Vol. 16, No. 2, 2022, pp. 95–112. ISSN 1930-1189.

 

山本太郎街頭演説@札幌駅南口広場


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はじめに

現在の日本の政治状況は、2011年3月の東日本大震災に端を発する二つの相反するトレンドによって特徴づけられている。一方では、福島第一原発炉心溶融事故が日本の市民社会を幅広く政治化させ、反原発運動のみならず、フェミニズムから人種差別反対、平和主義に至るまで、のちの多くの社会闘争を再活性化させた1。他方で、2009年に反体制を掲げて勝利した、中道左派から中道右派までを含む民主党は、この大規模な危機の重圧に押しつぶされ、他の政策分野でもあまり見せ場がなかった2。2012年の民主党政権の前代未聞の崩壊によって、保守の自民党が無敵ともいうべき権力の座に返り咲き、戦後民主主義の特徴であった一党支配が復活し、一枚岩ではないがヘゲモニー的(覇権的)な新自由主義を中心とする2009年以前の政策的収斂が復活した3

 市民社会の活動は、プログレッシブ政党(革新政党進歩主義政党)の運命に大きな変化をもたらすまでには至っていないが、元俳優の山本太郎が政治家として登場し、2019年に日本初の左派ポピュリスト政党(left-wing populist, LWP)を設立するに至った。現状打破を目指すれいわ新選組(以下、れいわ)は、保守的な自民党の支配を打破するだけでなく、日本社会を支配する新自由主義を終わらせることを目指している4

れいわの指導者中心主義には民主主義的・多元主義的性格が欠けているのではないかと疑問を呈する論者もいるが5、左派ポピュリズムが日本の民主主義を再活性化・急進化させる新たな方法に、可能性を見出す論者もいる6。とはいえ、れいわの言説(discourse)に内在するアイデンティティ形成プロセスが、ポピュリズム的な指導者中心主義、多様な民主的闘争のための自律性をめざすラディカルな民主政治によって、実際にどのように形づくられているのかに関しては、我々にはまだまだ体系的な理解が欠けている。そこで本稿では、以下の研究課題を検討する。れいわの言説構造はどのように「人々」に訴えかけているのか。れいわの言説の特徴としての、(妥協なき集団性を生み出す本質的戦線としての)敵対性(antagonism)とは何か。この言説構造はいかにして、代表制の垂直的形式と、自律的で多様な闘争や要求の水平的なつながりとの間に、折り合いを付けているのか。これらを、エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフの仕事や[a]、言説分析の「エセックス学派」を基礎とする研究アプローチに従って解き明かしてゆこう。

 言説の形式的な特徴(敵対性がどのように描かれているか、中心的概念と主体性が互いにどのように関連付けられているか)に焦点を当てると、れいわの言説における「人々」の構築においては、(〔障害者や性的マイノリティ、少数民族の問題などの〕より限定された多種多様な敵対性の中に見られる)個人的な不満が、「新自由主義エリートが多数派を抑圧している」という中心的かつ包括的な敵対性と噛み合うように、たんに従属的に位置づけられているわけではないことがわかる。れいわの可能性と意義を理解するために、我々はラクラウとムフのポピュリズムの理論化を、民主主義を「ラディカライズ(急進化、根源化)」させるという、現代のグローバル左派諸勢力のより広範なプロジェクトの一部として活用することを提案する7。これによって、日本社会においてラディカルな変化を望む人々が抱いている、代議制に対する疑念に対応できる可能性を秘めた、れいわの斬新な左派ポピュリズム応用戦略を明らかにする8。まずは、ラクラウとムフの言説理論の重要な概念と、彼らのポピュリズムの概念を整理しよう。

 

言説、ポピュリズム、ラディカル民主政治

 ラクラウとムフのポピュリズムに関する著作は、スペインのポデモスから、ギリシャのシリザ、フランスのラ・フランス・インスミーズに至るまで、2008年以降にヨーロッパで成功した左派政治家や活動家にとっての、事実上のガイドブックとなっている。この左派ポピュリズム政治の最近の波は、(「オキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せよ)」やスペインの「インディグナドス(怒れる人々)」のような)2008年以降の不況下における民衆の抗議行動や「広場での運動」の文脈で理解されなければならない9。多くの人々が観察してきたように、民衆の不満を制度化しようとする試みは、概して「ラディカル民主主義の原則を個人的リーダーシップのモデルに結合させる」試みによって、リーダー不在の水平的な願望と伝統的政治への不信に戦略的に適応してきた10。「権力集団」を選挙で打ち負かそうとする垂直的代表制による結集方法は、有名な左派ポピュリズム事例の大部分で中心的なものであったため、個人崇拝カルトに対する懸念をめぐって盛んに議論がなされてきた11。しかし「多数者(the many)」が「少数者(the few)」を抑圧している状況[b]に反対する人種差別反対運動のような特定の社会的闘争は、左派ポピュリズムのアクターたちによっては、それ自体が敵対性を伴う自律的な取り組みとみなされることが多い。このことは、敵対性に基づくさまざまなタイプの政治が、水平的な自律性へと開かれていることを示している。ラクラウとムフが開発した理論的道具は、これらの形態の政治が同時発生していることの分析を可能とするものであり、政治的現象の詳細な理解を可能とするものである12

 まず始めに、我々はポピュリズムを、権力集団やエリート、寡頭政治、エスタブリッシュメントなどさまざまな名で呼ばれる、不当な、あるいは過剰な権力をもつ少数派に対して、劣位の「民衆」を対抗させる独特の政治のあり方として理解したい。どちらの集団も、言説による明確化によって構築されたもの(創出された(interpellated))ものとして理解され、言葉にされる前にできあがっていた集団としては理解されない13ラクラウとムフのポスト基盤的言説理論によれば、あらゆるシニフィアン(記号)[c]の同一性は、差異の論理(logic of difference)と対等性の論理(logic of equivalence)の相互作用の中で、複数のシニフィアンを関連づける偶発的なプロセスから生じるものと見なされる。記号間の関係を確立する二つの論理は、共通の「他者」に対して多数の記号や要求を結びつけることによって統一性をもたらすか(対等性の論理)、あるいは、それぞれの独自性を主張することによって政治的空間を拡大するか(すなわち、差異の論理)、このいずれかである14。これらの論理の相互作用から、それ以上に還元できない敵対性が構築される瞬間に、潜在的に、社会的現実と主体性が確立される15。具体的な例を挙げるならば、ポピュリストの言説は、対等化する論理に支配されたものとして、環境保護や賃金上昇、あるいは男女平等賃金を、「エリート」に対する「民衆」の名において、「対等化の連鎖」を通じて(言い換えれば対等性の論理を通じて)明確にし、両者のアイデンティティに特定の意味を与えるかもしれない。これとは対照的に、以前はその他の要求と等価に結ばれていた特定の要求(たとえば、賃上げと環境保護を結びつける「環境にやさしい仕事」)が、企業の代表者たちによって、環境保護への取り組みは必要だがコストがかかると言った、分断的な形で言及されるかもしれない。それによって、「環境にやさしい仕事を」という幅広い不満が不安定化し、その結果、社会的主体が同一化するための新しい(主体的な)立場、たとえば「倫理的消費者」が生まれるのである。このように、言説構造を研究することによって、実現可能な同一化プロセスを明らかにすることができる。その結果、シャンタル・ムフが提唱した左派ポピュリズムは、ある政党や運動による「政治的戦線の構築戦略」として分析することができる。注意すべきは、左派ポピュリズムを「本格的な政治プログラム」と誤解してはならないということである16

われわれは、ある言説における差異の一時的な固定化を、特権化されたシニフィアンを特定することによって検討することができる。これらのいわゆる結節点は、同じ言説の中の他のシニフィアンをあるていど過剰決定し、それらが何でないかの限界を設定する17。例えば、リベラリズムにおいては、「自由」という結節点が、「政府(state)」の意味を、個人の自由を保証するもの以外の何物でもないものとする18。のちのラクラウのポピュリズムに関する著作は、「民衆」のような「統一的なシニフィアンの代表」を強調している19。このような(結節点のサブグループとしての)複数の空虚なシニフィアンは、本質的な欠陥(constitutive lack)を代表することによって、感情投資の的として働くことによって、社会における中核的敵対性と、それに関連する主体性を顕在化させるために、極めて重要なものと見なされている。言い換えれば、ジェンダーの平等のような単一の要求は、もはや孤立した形で明確化されるのではなくて、「民衆の力」のような空虚なシニフィアンの方が、要求の連鎖の中でそれを包み込み、対等な要求の連鎖全体を統一する結節点として支配的な地位に達するのである。その結果として、それは特定の文脈において生じた本質的な欠陥に対する有望な解毒剤として機能する。注意すべきは、これらのシニフィアンの「空虚さ」が生じるのは、これらのシニフィアンが、絶えず拡大し続ける異質な要求の連鎖に部分的な同質性をもたらすにすぎないためだということである。それぞれの要求に違いをもたらす特殊性は、決して完全には解消されない。なぜなら、その要求は必ずしも明確化されないためである20。それゆえ、結果としての主体の立場には、個々の要求(ジェンダー平等など)と全体(人々の権力など)との間で分裂が残る。したがって、ある包括的な敵対性(「エリート」に対する「民衆」)にむけて多種多様な要求が表現を通じてどの程度統一されているのかということと、より限定的な敵対性(「レイシスト」に対する「マイノリティ」)にむけて特定の要求がなされ続けるための自律性がどの程度存在するのかを研究することによって、ポピュリスト的な同一化と統一の形態と、その他の非ポピュリスト的なそれとの、いずれが相対的に優勢なのかを確認することができる。端的に言えば、多様な敵対性の存在と意義を研究することで、左派ポピュリズム戦略の特異性を明らかにすることができるわけである。

現在、欧米では「ポピュリズム・モーメント」の衰退が議論の中心となっている21。こうした流れに逆らうように、最近では「左派ポピュリズム」は日本の一部のプログレッシブズの掛け声となっており、最も大きな声でそれを支持しているのは、れいわ新選組の協力者や支持者たちである22。次節では2021年10月31日の衆議院選挙までにれいわ新選組の公式ウェブサイトに掲載された選挙演説や、記者会見の記録、出版された書籍、インタビューなどを用いて、れいわの言説において左派ポピュリズム戦略が具体的に応用されていることを明らかにする。

 

れいわ新選組ポピュリズムの言説構造

 2019年4月1日、元俳優から政治家に転身した山本太郎によって、れいわ新選組が結成された。山本は単身の母親と2人の姉とともに、ショービジネスで有名な宝塚で育った。幼い頃から俳優の道に進み、高校は卒業せずに中退した。2011年3月に、東北地方太平洋沖地震津波、そして福島第一原子力発電所メルトダウンが起こったのち、山本は日本の原子力利用を厳しく批判するようになった。リスク回避に熱心な芸能界の内部では、こうした批判に対する圧力が急速に高まったため、山本は所属事務所を辞め、反原発運動に全面的に参加することを表明した23。2012年の衆議院選挙で敗れた山本は、1年後の参議院選挙において無所属で当選した。任期満了を間近に控えた2019年に、山本は自身の再選を目指すのではなく、さまざまな分野で活躍する9人の活動家とともに政治団体を結成することを決意した。2022年の参議院選挙以来、れいわは日本の二院制国会で(710議席中)8議席を占めている。党では山本が際だって目立っており、現時点では議席数も少ない。しかしれいわの重要性は、その独特で斬新な言説構造と、その結果としての、個人崇拝を超えたアイデンティティ獲得の可能性にある。

 

れいわの言説における「人々」の開放性とその地位

山本が反原発運動に関わったことは、初期の彼の政治活動を強く規定していたが、「あなたを幸せにしたい」といった重要なスローガンには、れいわ新選組の幅広く開かれた人々中心主義が表れている24。2021年衆院選マニフェストも同じように「あなたの使えるお金を増やし、あなたの負担を減らします」と公約している25。これらの例に示唆されているように、集団性はほとんどの場合、「あなた」、「みんな、わたしたち」、「ひと、ひとたち」といった、「虐げられた人々」、「排除された人々」、「政治を諦めたひとたち」などのきわめて曖昧な用語で表現されている。オープンな呼び名を用いることで、前もって抑圧の経験を(例えば原子力産業とその政治的支援者の過失による地域的な放射能汚染のような)単一の領域に限定するようなことや、資本家に対抗するプロレタリアートのような単一の闘争に限定することを、回避しているのである。山本や、渡辺てる子候補、あるいは三井よしふみ候補が「労働者」や、「派遣労働者」、「庶民」、「貧乏人」といった階級的にもみえるシニフィアンを使用しているのは、主語である「人々」の等価的な拡張として理解されねばならない26

投票率が低いために、日本人の大多数は政治的に代表されていないと、あるいは正しく代表されていないとみられているが、このような形での抑圧は選挙政治の問題にとどまるものではない27。第一に、「人々」が民族的な線引きや国籍に還元されないという事実は、「この国に生きるすべての人々」に奉仕するという主張によって繰り返し明示されている28。第二に、抑圧されたり排除されたりするのは、選挙に関わる形で組織化されていない経済的貧困層や、失業者、学校中退者、派遣労働者に限ったことではなく、社会を支配する新自由主義の懲罰的・排除的な圧力によって、つねに合格か不合格かを判断され、苦しんでいる人々が潜在的にいる29。このような雰囲気の中で生きるとき、誰もが搾取され、虐待される可能性が常にあるのだと強調することで、開放性が生まれ、「人々」を吸収力のある集団として打ち出すことができる。例えば、教育システムにおける効率性に焦点を当てることで、文化的エリート集団のメンバーさえもが経験している抑圧の形態へと繋がることができる。れいわの2019年の候補だった、東京大学教授でトランス女性のやすとみ歩は、日本社会は長いあいだ彼女が本当の自分として生きることを許さなかった、なぜなら学歴が過度に注目された結果、ただ下を向いて勉強するように強いられたからだ、と言った。彼女は「人々」の開放性がエリートを自認する人々の一部をも取り込んでしまうことを例証している。「この国はそういう〔わたしのような〕学歴エリートによって指導されています。私たちエリートは怯えています。誰かに何かを言われるんじゃないかと思って、怯えています。特に、自分に力を振るうことの出来る人に叱られるのに怯えています」30。要するに、抑圧された人々には、特定の階級とか、民族とか、社会集団といった区別がないことがわかる。それに関しては、政党や組織集団の垣根を越えて、不満を持つ人々を団結させたいという発言や、右でも左でもない31、あるいはフリースタイルだという自己定義が代表的である32。左派ポピュリズムとして分析される他の政党は、「日常的な人々」のニーズに焦点を当てるドイツの左翼党のように、「人々」を広範で漠然とした集団的主体として解釈する点で共通しているが、れいわは「人々」の一部である個人を、文脈に即して主体化しているのである33

中心的な結節点である「当事者」を経由して、「人々」の中に個人が刻み込まれる。この「当事者」という用語は、ある事柄に直接関わる当事者(例えば集団訴訟の原告)とそうでない者を区別するという、法律主義的・個人主義的な起源を強く持つものであるが、これはマイノリティのセルフ・アドボカシー団体の言説に深く根ざしている34。れいわの言説では「当事者」というシニフィアンは、「愛[d]」と「カネ」という結節点による過剰な決定を通して、新自由主義的エリートよる抑圧を経験したり、あるいは抑圧されたマイノリティの一員として生きてきたりと、日本社会において多様でそれぞれに深刻な抑圧を経験してきたすべての個人に、主体的な立場を提供している。当事者というシニフィアンは、れいわが多様な抑圧を言葉に表すための潜在的なプラットフォームとして、いかに機能しているかを教えてくれる。「れいわ新選組の存在理由は何か? 当事者です。当事者を送り込むということ。700人以上いる国会議員、この国会議員、今やその多くが、残念ながら大企業や資本家の、これは代理人と成り下がってしまってます。本来ならば、700人以上国会議員がいるならば、700通りの問題を抱えた当事者が国会の中に入れば、問題解決、さらに前に進んでいくんじゃないですか?。・・・当事者でなければわからないこと、決して代弁者では伝えきれないこと、国会の中を多様性で埋め尽くすっていうのが、私は政治のこれからだと思うんです。どうか新しい未来一緒につくっていきませんか?」35

山本が2019年の参院選で、舩後やすひこと木村英子という重度の障害を持つ2人を参議院選候補者名簿の特別枠にのせ、最終的に自身が落選したことは、当事者の解放の重要性を示している。一人一人が日本社会の何らかの機能不全の専門家であるところの「当事者」の地位向上は、れいわの言説における解放の約束である36。支配的なポピュリストの対等化論理の中で、それと生産的に共存するラディカル・デモクラシーへの開放性は明らかである。後に議論するが、山本が有名なリーダーだからポピュリズムなのだという見方には限界がある。主体的な立場としては、リーダーの下での完全な結集(真の当事者の意思を完全に代表しえない状況)を防ぐために、これが重要なのである。この自律性によって、さまざまな要求や闘争がそれぞれの敵対性を持って、権力をもったエリートに対する抑圧された人々の統一的な敵対性の中に刻み込まれるのである。以下では、「権力者」に対抗する「人々」という構図が、抑圧的な多数派にたいしてマイノリティを奮起させる敵対性によって、どのように補完されるかを説明する。

 

敵対性(複数形):「大多数」と「少数」のための愛とカネ

湯川れい子はソングライターであり、文化評論家であり、またれいわのサポーターでもある。彼女の次の発言は、日本社会におけるポピュリズムの重要な断層に関するれいわ関係者たちの認識を示す、模範的なものである。彼女によれば、権力が権力と癒着し、権力だけを守ってきた結果が、今の日本である37。観察される、様々なエリートに対する強烈な批判意識38は、民間企業や銀行、メディア、時には労働組合などの集団や個人のつながりの中にも見られ39、「既得権者」や「権力を握っている人たち、権力側」といったシニフィアンにも現れている40。これは日本社会における搾取的な状況から利益を得ているすべての者を指す言葉である。「エリート」は、「我々の縄張りに入ってくるな」と、政治の参入障壁を高くして、「普通の人」が選挙に出ることを不可能にしている、とされる41新自由主義は、現在のエリートたちを緊縮財政と生産性のドグマに固執させ、「人々」に苦痛しかもたらさず、自殺に追い込むことさえある、覇権的イデオロギーとみなされている。この覇権的な新自由主義の説明から、愛とカネという2つの結節点が、あらゆる対立関係を決定するものとして浮かび上がってくる。緊縮が貨幣退蔵の原因であり、覇権的な新自由主義に伴う自己責任の言説は愛の退蔵の原因である。つねに自己責任が唱えられることで、個人の孤立と高い自殺率がもたらされたとみられる42

れいわ関係者の要求は全て、「人々」の利益のために、この愛とカネの欠如を解決することを中心に据えている。より拡張的で積極的な政府は、それが過去の行動によって引き起こした問題に対する責任を負い、金輪際人々を「野垂れ死に」させないよう求められる43。対等化の論理は全ての要求を、現状からのラディカルな脱却として理解される「やさしい社会」の創造ための、より広範なプロジェクトの一部として結びつける44。二つの国政選挙の中心的要求である消費税廃止が、経済停滞に対する不可欠の技術的解決策としてだけでなく、新自由主義的エリートや覇権的慣行に対するより広範な攻撃の一部としても明確に表現されていることを見れば、権力集団に逆らう要求をするというポピュリストの対等化論理は明確である。利己的なエリートである政治家は、カネと票にしか興味がなく、カネで買われる存在とされる。資本家や大企業に属する人々から安定的に票を得るために、長期政権を維持する自民党法人税増税を控え、むしろ消費税増税という形で弱者から搾り取っているとされる45。税制や、政府債務、政府支出の仕組みを「当たり前の事実」として、現代貨幣理論(MMT)の観点から見れば、消費税増税は金持ちをより金持ちにするための意図的な決定であり、幅広い人々の購買力を高めるなどの代替案を避けるための決定ということになる46。このように説明される対等性の連鎖は、上と下の関係としてある共通の「他者」に向けられたものであるが、それが一部の候補者にとってはそれほど重要ではない。そのことは興味深いことである。

何人かの候補者は、当事者としての自らのアイデンティティを通じて、れいわのいう「人々」につながる。時には、彼らはポピュリズムの対等性の連鎖の中で要求を結びつけるだけでなく、強いマジョリティに対して弱いマイノリティを奮起させる敵対性を追加して、さまざまな形態の支配に対抗する特定集団の権利というラディカル民主主義の論理を、より広範なプロジェクトと結びつけてゆく。仏教系の宗教団体である創価学会の沖縄支部会員で、2019年の候補者であった野原よしまさもその一例である。彼は一方で、創価学会と親密な政治団体である公明党を、大衆の声に耳を傾けることを忘れ、「権力のうま味」に屈し、「民衆を弾圧するような法案」の共犯者になったと批判した。また他方では、日本で最も貧しい県である沖縄からの、米軍基地の移設を求める彼の中心的な要求は、多数者の無関心が少数者を抑圧していることと、少数者の権利擁護の必要性を主張することによって、対等性の連鎖に刻まれている。野原は集会で、「多数のエゴで弱い立場の人を犠牲にするのが民主主義なのか」と問いかけた47環境保護活動家の辻村ちひろも同様に、日本社会は豊かさと多数派の快適さのために、少数派を傷つける社会だと見ている。彼は長崎県の石木ダムの例を挙げる。小さな村々からの抗議にもかかわらず、石木ダムは近隣都市の電力需要を満たすために建設されたのである48

こうして明らかなように、対立は「人々」と「権力集団」との戦いには還元されない。すなわちムフが言うところの意味での、平等を求める闘いとして理解される、多種多様な民主主義的闘争のための自律性の余地が、そこに現れてくるのである。もちろん悪意を持って行動するのはエリートだけであり、「多数派」はおおかた無自覚に抑圧に加担したものと理解されている。したがって、れいわのアクティビズムとラディカルなビジョンは、自身を苦しめている抑圧の形態に対する解放のプロジェクトであると同時に、抑圧的な関係に加担していることを暴露する教育的プロジェクトとしても機能しうる。それによって、れいわは拡大する集団を、中心的指導者との垂直的な代表関係に組み込みつつも、自己変革を重視する日本の「新左翼」の考え方に基づいていると言える49。次の章では、リーダー中心主義(代表制)と、ラディカル・デモクラシー政治における自律性とが同時に発生し、そこに葛藤が生じていることについて、より深く掘り下げていこう。

 

れいわにおける代表性と自律性[e]

 ボランティア活動と投票意思を結集するための、言説的に実行可能な同一化プロセスは、リーダー中心の同一化形態と、プロジェクト全体のより広い構造(党名)を空虚な記号の地位に高めるような同一化形態との間で、揺れ動いているものである。2021年の衆議院選挙を前にした渡辺てる子候補の熱烈な訴えは、空虚な記号としての山本の地位を象徴している。彼女はこう訴えた。「今までにない方法。今までにない目的。それを山本太郎がまず1人で始めた。だけれども、今はこれだけ多くの人が志を同じくして集まっている。これって、まさに革命だよね? こんなに、こんなに手づくりで誰もがやってこれなかったことを、まず山本太郎が1人でやろうとした。だけれども、「山本太郎を1人にしておけない。いや、自分こそが次の山本太郎になるんだ。(ママ)」と。その思いで、みんな、れいわ新選組をつくってくれましたね?」50。言い換えれば、山本太郎という名前は、日本社会における愛とカネの欠乏を解消するシンボルとして、潜在的に機能しているのである。しかしながら我々が論じるところでは、「人々」は、そして「人々」の代表組織としてのれいわは(すなわち当事者の集まりとしてのれいわは)愛とカネの欠乏という危機の結びつきのなかで、同じような空虚な左派として出現した。2019年の候補者であるはすいけ透は、各候補者が(そして各支持者)が主張できる自律性を反映した次のような発言をしている。「私たちは本当に、自由に、ゆるく繋がっています。皆様を幸せにするために、ゆるく1本の線で繋がっております。山本太郎に「絶対服従」なんかしません。そんな、どっか、どっかの党とは違います。我々はまだ団体ですけれども、ゆるい繋がりで皆さんを幸せにするために頑張る。その一点です」51。しかし、2019年の参議院選挙から2021年の衆議院選挙までの組織の実践は、幸福を分配する政治のポピュリスト版と、ラディカル・デモクラシー版との間の緊張を示している。

党内で議決権を持つのは選ばれた数人だけであるため、党内組織のプロセスについて公開されている事例はほとんどない52。それにもかかわらず、2020年の「大西つねき事件」は、この限られたサークルで繰り広げられる代表制と自律性との緊張関係を明らかにした。2019年の参院選後、ユーチューブで多くのコンテンツを制作している元JPモルガン社員の大西つねき候補が、動画の中で、高齢者の延命は何がなんでもやる価値があるのか、社会は考えるべきだと発言した。山本は、れいわが目指す「やり直しがきく寛容な社会」の実現を掲げ、大西の除名を躊躇した53。障害者差別に反対する当事者である木村英子議員が抗議したことで54、山本は無神経さを謝罪し、最終的に大西を党から外すという集団的決定を行うこととなった55。これは、特定のグループ(身体障害者)のラディカル・デモクラシー的な自律性という観点から表現された闘争が、あらゆる闘争をひとつの共通の相手に対するものにまとめようという代表の意思を凌駕したようにも見えた。だが、野原よしまさはまもなく、れいわ内部の中央集権的な意思決定プロセスに不満を示し、それを「ブラックボックス」と呼んで、れいわから離脱した56。彼の離党と大西の排除は、れいわの言説構造を組織的実践に移すさいに生じる問題を、すでに党の初期段階において例示している。こうした困難があったものの、われわれが主張したいのは、個人を重視する選挙文脈のなかでも、ここまで説明してきた言説構造によって、れいわ全体に対する支持が構築できたということである。

れいわの選挙結果を振り返ると、獲得票を山本の個人票に限定するのは、還元主義[f]だと思われる。2019年の参院選と2021年の衆院選の投票方法の違いから、よりニュアンスの異なる図式が見えてくる。どちらの選挙も、小選挙区比例代表並立制の下で行われる。いずれの選挙でも、有権者が受け取る2枚の投票用紙には、手書きで名前を記入することに注意が必要である。また、党首の名前を書くことは必ずしも可能ではない。参院選非拘束名簿式比例代表制では、有権者は山本氏の名前か、政党名か、政党リストに記載されている他の候補者の名前を記入することができた。しかし衆院選の拘束名簿式比例代表制では、手書きの政党名しか有効投票とみなされない。2019年の参院選の比例投票では、山本の名前ではなく政党名を書いた人がやや多かった57。しかし、2021年の衆議院選挙では、左派リベラル野党間の選挙協力によっても、山本を1人区統一立候補にすることができなかったため、山本のネームパワーが損なわれる懸念が生じた。結局は、この懸念は現実のものとならず、れいわは党名に頼るだけで、2019年とほぼ同数の票を獲得したのであったが58。この観察結果は、リーダーの名前よりもグループ名が、対等主義的な要求の連鎖全体にわたって、代表的機能を果たすに至ったことを示唆している。このことから、マジョリティが受ける抑圧と、マイノリティが受ける抑圧という、両方の主体的立場を包含する「人々」という集合的シニフィアンの開放性が、重要であったと結論づけられる。

 

結論:破壊的な潜在力

 本稿は、日本初の左派ポピュリスト政党と、そのカリスマ的で著名なリーダー山本太郎の、統合的象徴としての役割について、言説理論の観点から新たな洞察を提供するものである59。結果として示されたのは、「あなた」や「みんな」、「わたしたち」、「人」、「人たち」として示される「人々」というシニフィアンが、れいわ新選組の言説において中心的な位置を占めていることである。党の公式文書や山本代表の言説は主に、新自由主義的な体制に抑圧された負け組としての「民衆」に訴えかける、ポピュリスト的な対等化論理によって特徴づけられるが、(何かに苦しめられたり、直に関わったりしている)「当事者」という結節点と、その主体的地位によって、「民衆」対「権力集団」という二分法よりも、より限定された敵対性を組込むことができる。「マジョリティ」によって「マイノリティ」が抑圧されることは、様々な敵対性によって描かれるが、それがグループの言説と結びつけられる。当事者というシニフィアンの統合と、闘争の水平的自律性の支持は、左派ポピュリズム戦略の文脈に特化した実践例を示しており、れいわが単なる個人崇拝カルトであるというレッテル貼りが還元主義に過ぎないことを暴露している。れいわ新選組の破壊的な潜在力は、日本社会に立ち現れる様々な不満を柔軟に統合する能力と、多種多様な社会闘争との安定したつながりを構築する能力との、その両方によるものである。加えて、多種多様に定義された集団を中心的リーダー像の周りに持続可能なかたちで統合できるような組織の行動様式を見出すことは、今後も課題であり続けるだろう。

れいわにおける「人々」の多様性は、他の左派ポピュリズム政党においても似たようなものが見られるが、経済に関係しない抑圧の形態を、「愛」のような結節点のまわりに結集させうる開放性は、より詳細な検証を必要とする。「愛」や「幸せ」、「やさしい社会」といったシニフィアンの使用は、日本の急進左派が以前の戦闘性から転向し、「たのしげな抗議(fun disruption)」へとシフトしたことの副産物である。一方、れいわの代表政治の焦点は、「日常性」の変革や、主流社会の制約から解放された空間の創造に焦点を当てた、先行するラディカリズムとは明らかに一線を画している60。こうした言説の特徴についてより広く考察することで、例えば、これまでの男性化された形の左派ポピュリズム政治と、生産性に重きをおく新自由主義的に対する対抗的言説としての、思いやりや共感といった実現可能な代案を、批判的に分析することができる61。反エリートと反マジョリティの要求を統合するれいわの具体的な方法は、しばしばこの点が掛けていると批判されている他地域の左派ポピュリズム現象にとって、興味深い研究材料となろう62

 

 

脚注

  1. Horie Takashi, Tanaka Hikaru, and Tanno Kiyoto, “Introduction: Post-FukushimaSocial Movements in Japan. An Overview,” in Amorphous Dissent: Post-Fukushima Social Movements in Japan, ed. Horie Takashi, Tanaka Hikaru, and Tanno Kiyoto (Tokyo: Trans Pacific Press, 2021), 1–25; Alexander James Brown, Anti-Nuclear Protest in Post-Fukushima Tokyo: Power Struggles (London: Taylor & Francis, 2018).

2. Phillip Y. Lipscy and Ethan Scheiner, "Japan under the DPJ: The Paradox of Political Change without Policy Change," Journal of East Asian Studies 12, no.3 (2012):311-22.

  1. Leonard J. Schoppa, “Neoliberal Economic Policy Preferences of the ‘New Left’: Home-Grown or an Anglo-American Import?” in The Left in the Shaping of Japanese Democracy, ed. J. A. A. Stockwin, Rikki Kersten, and David Williams (New York: Routledge, 2006), 103–25; Myles Carroll, “From Nationalist Communitarianism to Fragmentary Neoliberalism: Japan’s Crisis of Social Reproduction,” Capital & Class 43, no. 4 (2019): 637–52.
  2. 第二次安倍晋三政権(2012~2020年)以降、自民党がドグマティックな新自由主義的綱領を打ち出すことを避けてきたことへの反動として、れいわは主に、小泉純一郎元首相(2001~2006年)やその側近である竹中平蔵など、日本の歴史において新自由主義イデオロギーの最も明確な体現者と敵対することに依拠している。地域政党である大阪維新の会とその全国的な子孫は、支配的な新自由主義イデオロギーを先鋭化させる現代の勢力として特定され、敵対性の的となっている。
  3. 木下ちがや「「山本太郎現象」を読み解くポピュリズムは「民主主義とファシズムの坩堝」である」『論座』、2019年6月5日、 https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019060400004.html.
  4. 吉田徹「ポピュリズムとなかまたち――山本太郎はひとりなのか」 『群像』 74、2019年10月号、228–37; 石戸諭・中島岳志「「山本太郎現象」と左派ポピュリズム」『金曜日』 27、 (2019): 46–53.
  5. Seongcheol Kim, “Radical Democracy and Left Populism after the Squares: ‘Social Movement’ (Ukraine), Podemos (Spain), and the Question of Organization,” Contemporary Political Theory 19, no. 2 (2020): 211.
  6. 1960年代と1970年代の「新左翼」の信奉者も、1990年代以降の反プレカリアートや反原発のデモ参加者も、代議制民主主義や中央集権的リーダーシップに対する懐疑を共有していた。See Ando Takemasa, Japan’s New Left Movements: Legacies for Civil Society (New York: Routledge, 2014), 65–66; Brown, Anti-Nuclear Protest in Post-Fukushima Tokyo, 124–25, 164.

9. 日本では2011年、新宿駅東口の「原発やめろ広場」において、原発事故後の「広場モーメント」があった。

  1. Marco Damiani, Populist Radical Left Parties in Western Europe (New York:Routledge, 2020), 171.
  2. Benjamin Arditi, "Populism Is Hegemony Is Politics? Ernesto Laclau's Theory of Populism," in The Palgrave Handbook of Populism, ed. Michael Oswald (Cham UK: Springer International, 2022), 53.Michael Oswald (Cham, UK: Springer International, 2022), 53.
  3. 詳細については、Kim, “Radical Democracy and Left Populism…”を参照されたい。
  4. Ernesto Laclau, On Populist Reason (London: Verso, 2007), 72-73.
  5. Ernesto Laclau and Chantal Mouffe, Hegemony and Socialist StrategyTowards a Radical Democratic Politics, 2nd ed. (1985; London: Verso, 2001), 130.
  6. David Howarth and Yannis Stavrakakis, “Introducing Discourse Theory and Political Analysis,” in Discourse Theory and Political Analysis: Identities, Hegemonies and Social Change, ed. David Howarth, Aletta Norval, and Yannis Stavrakakis (Manchester, UK: Manchester University Press, 2000), 3, 9–10.
  7. Chantal Mouffe, For a Left Populism (London: Verso, 2018), 80.
  8. Laclau and Mouffe, Hegemony and Socialist Strategy, 112.
  9. Benjamin de Cleen and Yannis Stavrakakis, "Distinctions and Articulations:A Discourse Theoretical Framework for the Study of Populism and Nationalism," Javnost-The Public 24, no.4 (2017):306.
  10. Kim, “Radical Democracy and Left Populism…”, 216-17。
  11. Laclau, On Populist Reason, 40, 139, 152-53.
  12. George Hoare, "Moral Minoritarianism from Ashes of Left Populism," Damage, 13 January 2021, https://damagemag.com/2021/01/13/moral-minoritarianism-from-the-ashes-of-left-populism/2021 ;
    Giorgos Venizelos and Yannis Stavrakakis, "Left-Populism Is Down but Not Out", Jacobin, 22 March 2020,
    https://jacobinmag.com/2020/03/eft-populism-political-strategy-class-power.
  13. 最も重要な例は経済学者の松尾匡である。参照: 松尾匡『左翼の逆襲:社会破壊に屈しないための経済学』(講談社、2020年)。
  14. Arita Eriko, “Taro Yamamoto: Actor in the Spotlight of Japan’s Antinuke Movement,” Japan Times, 4 May 2012, https://www.japantimes.co.jp/life/2012/03/04/people/actor-in-the-spotlight-of-japans-antinuke-movement/?utm_source=pocket_mylist.

24.山本太郎木村元彦雨宮処凛『#あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組集英社、2019

  1. れいわ新選組「2021年 衆議院選挙マニフェスト れいわニューディール
    https://reiwa-shinsengumi.com/reiwa_newdeal/total/ (last accessed 30 December 2021).
  2. 渡辺てる子 【動画&文字起こし全文】比例はれいわ祭! In 新宿駅南口バスタ前 山本太郎代表(東京比例)×渡辺てる子(東京比例) / ゲスト:北原みのり湯川れい子佐藤タイジ(MC)・須藤元気、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/
  3. 山本太郎 【動画&文字起こし全文】比例はれいわ祭! In 新宿駅南口バスタ前 山本太郎代表(東京比例)×渡辺てる子(東京比例) / ゲスト:北原みのり湯川れい子佐藤タイジ(MC)・須藤元気、2021年10月30日、 https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  4. 山本太郎 【街宣動画・文字起こし全文】山本太郎代表×都議選 足立区 末武あすなろ(れいわ新選組公認 東京都議会議員候補)2021年6月28日 綾瀬駅西口、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/6993/.
  5. 木村英子 【動画&文字起こし全文】木村英子候補(比例代表・特定枠2)記者会見 2019年6月28日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/905/.
  6. やすとみ歩 【動画&文字起こし全文】れいわ新選組街頭演説会 19.7.5 新橋駅SL広場、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/501/.
  7. Yamamoto Tarō, “Seitō ya dantai o koete fuman ga aru hitotachi o atsumetai,” Posse 20, no. 9 (2013): 102–105.(山本太郎 「雇用問題、ブラック企業問題を国会で追及します!」『POSSE』(2013年9月25日)
  8. 山本太郎「<インタビュー> 仁義なき戦いをしかける」『ニューズウィーク日本版』 1667 (2019年11月): pp. 30-.
  9. Dan Hough and Dan Keith, “The German Left Party: A Case of Pragmatic Populism,” in The Populist Radical Left in Europe, ed. Giorgos Katsambekis and Alexandros Kioupkiolis (New York: Routledge, 2019), 137.
  10. Mark McLelland, “The Role of the ‘tōjisha’ in Current Debates about Sexual Minority Rights in Japan,” Japanese Studies 29, no. 2 (2009): 193–207.
  11. 山本、上掲、新宿駅、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  12. 山本太郎 【動画&文字起こし全文】れいわ新選組街頭演説会 19.7.4 東京・JR秋葉原駅電気街口前、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/328/.
  13. 山本、上掲、新宿駅、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  14. 吉田、上掲、「ポピュリズムとなかまたち」 230.
  15. 山本、上掲、「仁義なき戦いをしかける」 29.
  16. Yamamoto, “Seitō ya dantai o koete fuman ga aru hitotachi o atsumetai,” 102.
  17. 山本、上掲、秋葉原駅、2019年7月4日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/328/.
  18. 奥田知志・山本太郎山本太郎代表、NPO法人「抱樸」理事長の奥田知志さんに逢いにゆく」『金曜日』(2019年11月28日): 22.
  19. れいわ新選組 【字幕入り動画&文字起こし】政見放送・れいわ新選組代表 山本太郎、2019年7月10日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/851/.
  20. れいわ新選組「れいわ新選組機関誌」第71号、https://reiwa-shinsengumi.com/flier/ (last accessed 30 December 2021).
  21. 山本、新宿駅、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  22. 山本、新橋駅、2019年7月5日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/501/.
  23. 山本、秋葉原駅、2019年7月4日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/328/.
  24. 辻村、新橋駅、2019年7月5日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/501/.
  25. Ando, Japan’s New Left Movements, 14.
  26. 渡辺、新宿駅、2021年10月30日、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/10714/.
  27. はすいけ透、【動画&文字起こし全文】「れいわ祭」19.7.12 東京・品川駅港南口、https://reiwa-shinsengumi.com/activity/1372/.
  28. 現在の党規約では、党の構成員は選挙で選ばれた国会議員と代表によって重要とみなされ、総会で承認された者となっているが、それは結局は党員に限られる. See https://reiwa-shinsengumi.com/determination/.
  29. れいわ新選組「大西つねき氏の動画内での発言について」、2020年7月7日、 https://reiwa-shinsengumi.com/reiwanews/5074/.
  30. 木村英子「大西つねき氏の「命の選別」発言について」、2020年7月7日、https://eiko-kimura.jp/2020/07/15/activity/1053/.
  31. 朝日新聞「れいわ山本代表「おわび」 命の選別発言のメンバー除籍」、2019年7月16日、 https://www.asahi.com/articles/ASN7J7R9ZN7JUTFK012.html.
  32. 野原よしまさツイート、Twitter, @victory51565059, 26 July 2020, 11:23 A.M. (JST).
  33. 参照、総務省「選挙関連資料」、https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin25/index.html.
  34. 参照、総務省衆議院議員総選挙最高裁判所裁判官国民審査結果調」
    https://www.soumu.go.jp/main_content/000776531.pdf.
  35. 「中心の薄弱なイデオロギー」としてのアプローチに従ったポピュリズム分析については、次を参照: Axel Klein, “Is There Left Populism in Japan? The Case of Reiwa Shinsengumi,” The Asia-Pacific Journal: Japan Focus 18, no. 1 (2020), https://apjjf.org/2020/10/Klein.html.
  36. Horie et al., “Introduction,” 2–5; Ando, Japan’s New Left Movements; Brown, Anti-Nuclear Protest in Post-Fukushima Tokyo.
  37. Paloma Caravantes, “New Versus Old Politics in Podemos: Feminization and Masculinized Party Discourse,” Men and Masculinities 22, no. 3 (2019): 465–90.
  38. Hoare, “Moral Minoritarianism from the Ashes of Left Populism.”

 

[a] 訳注: ラクラウとムフの著作は邦訳されている。エルネスト・ラクラウ『ポピュリズムの理性』(澤里岳史・河村一郎訳、明石書店、2018年)、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(山本圭・塩田潤訳、明石書店、2018年)。

[b] 左派ポピュリズムは、次の段落で説明されるように、少数のエリート(the few)が多数の人々(the many)を支配している状況において多数の人々の側に立つが、本稿ではこれに加えて、多数の人々(the many)が、障害者や性的マイノリティ、少数民族など(the few)をしばしば無意識に抑圧している状況が問題にされている。後者の観点は著者の同僚であるSeongcheol Kimが、後述される差異の論理(logic of difference)を拡張させたものである。著者はこれに基づいて、れいわ新選組における、山本太郎を代表とする垂直的な構造と、少数派の当事者を「代表」とする水平的な構造との融合を説明している。

[c] 訳注: 英語版の原文ではsiginifierであったが、これはフランス語のsignifiantを英語に直したものであり、何かを指し示す記号を意味する。ここではシニフィアンと訳す。なおシニフィアンの対義語はシニフィエ(signifié)である。

[d] 訳注: 「愛(love)」は実際のところ、れいわ新選組の演説等で直接的に言及されることは少ないが、れいわ新選組の思想においては重要なキーワードと言える。「愛」に直接言及したものとしては、2021年10月26日のスピーチバナーがある。引用、「国からDVされているような25年間を過ごしてきた。今、この国に一番足りないのは、この国の政治に足りないのは、人々を慮る気持ち。愛がないんです。そして、国が積極的に財政を出していく。愛と金が足りていない国に、心を持った人間を1人でも国会に送り込んでいただきたい」。出典、「[スピーチバナー] 愛と金が足りていない国 | 山本太郎」、https://reiwa-shinsengumi.com/speechbanner2021/10046/

[e] 本節において、カギ括弧にくくられている引用文は、れいわのホームページから演説等の文字起こしの一部をコピー&ペーストしたものである。

[f] 訳注: 本稿での「還元主義」は、事柄をひとつの原因で単純化して説明しようとする姿勢を指している。