この文章は『現代の理論』(2020年夏号)に寄稿したもの(校正前)です。
■ 新型コロナ禍の現状
2020年5月上旬現在、世界は新型コロナウイルスのパンデミックに襲われています。世界各地の医療施設で人員・設備・機器の不足が表面化し、医療崩壊というべき状況が報じられてきました。世界保健機関(WHO)の5月9日の集計によると、すでに世界でおよそ26万6千人が亡くなっています。日本では、5月7日時点で国内感染確認は15649人、死亡は600人とのことです。日々報告される感染確認者の数は減少傾向ですが、諸外国とくらべてPCR検査数が絶対的に少ないため、実際の感染者数は誰にも分かりません。
コロナ禍は、リーマンショックを凌ぐ経済危機だと言われています。米国では、経済対策として、税金を主な財源とせずに3兆ドル[約318兆円]を投じます。欧州諸国でも、休業した企業や従業員、あるいは発表の機会を閉ざされたアーティストたちに対する休業補償や失業手当、所得補償などが迅速に出されていることが、報じられています。しかし、日本の対策は後手後手に回り、政府は無能をさらしています。無条件の一人十万円給付を決め、117兆円規模として打ち出された経済対策も、実際の国債発行額は26兆円程度にすぎません。倒産や自殺が日に日に増えています。
この経済危機の中で、政府がこれほどまでにおカネを出し渋るのは、社会の安定という面からも危険なことです。歴史的な教訓があります。経済危機時に緊縮財政が行われると、それに対抗する極右が台頭するということです。
■ ナチスの台頭はなぜ起こったのか。
ナチスが台頭した背景に、1918年のインフルエンザ大流行があったとする記事は、“Spanish flu naze”などのワードでネット検索すると、たくさん見つけられます。そして、ナチスが権力を獲得した背景には、ワイマール政府が世界大恐慌後に積極財政をとらず、不況を悪化させたことがありました。1932年総選挙において、デフレ不況対策として有効な反緊縮政策を掲げたのはナチスだけでした。他方、当時の社会民主党の有力者ディットマンなどは「われわれは現状(恐慌)がさらに進展することを望んでいます」と言っていたぐらいです(ブライス2015、264頁)。
総選挙で勝利し、政権を執ったナチスは公約を実行し、国民車構想やアウトバーン建設などの大型公共事業を進めました。その結果ドイツの経済は一挙に不況を脱出し、1932年に577万人(30%)だった失業者が、1937年には、91万人(5%)に下がりました。この経済的な成功によってナチスは大人気となり、政権は盤石となり、ヒットラーは全ての権力をつかんでいったわけです。
ナチスはユダヤ人を迫害し、世界を戦争に巻き込み、アメリカ、イギリス、ソ連の反撃によって徹底的に破壊され、敗北しました。そういう事態になるまで、なぜドイツの人々はナチスを批判しなかったのか、そもそも、なぜ1932年の選挙でナチスを選んだのか、それはナチス以外の政党が有効な経済政策を知らなかったからです。ナチス以外の平和的な政党が積極的な経済政策を打ち出せなかったのは本当に残念なことです。
■ 昭和恐慌時の金本位制がもたらした悲劇
1929年の世界大恐慌を契機とする恐慌は、日本にも波及して、昭和恐慌を引き起こします。恐慌を深刻化させたのは、1929年7月に発足した浜口雄幸(はまぐちおさち)首相と、井上準之助(いのうえじゅんのすけ)蔵相です(例えば、ブライス2015、267~269頁)。井上は財界を「いぢめつける」ために緊縮策をとり、恐慌が起こっても金本位制への復帰を断行しました。その結果、国民総生産は大変なマイナス成長になり、デフレが起こり、円の価値が高止まりしました。日本産業の国際競争力が低下して輸出が激減し、金はどんどん外国に流出しました。また、何よりも農村の困窮が深刻化し、テロリストや青年将校が出てくる素地となりました。それでも、井上準之助たちは金本位制に執着して緊縮策を続けました。他方で、金融資本や財閥は、円がやがて暴落するだろうと見越して、ドルを買いまくって逆に大もうけしました。
1930年11月浜口首相は右翼のテロリストにピストルで狙撃されました。翌年の1931年の暮れに成立した犬養毅(いぬかいつよし)内閣で、大蔵大臣に任命されたのが高橋是清(たかはしこれきよ)でした。まず高橋は1932年1月末に金本位制の離脱を実施しました。そして、国債の日銀引き受けによる資金調達を周到に行い、そのお金で農村を救済する事業などいろいろと積極的な財政政策をとりました。この政策によって1932年のうちに景気回復とデフレ脱却が実現しました。その段階で、高橋はインフレを抑えるために財政再建へと舵を切り、とりわけ軍事予算の縮小に尽力します。それは満州事変の直後で、大変に勇気ある決断でした。
1932年には血盟団事件で井上準之助が殺害され、5・15事件で犬養毅が殺害されました。不況に苦しんだ人々は、これらテロリストに味方しました。その後、軍部の暴走は加速し、1936年の2・26事件で高橋是清が殺害され、軍事予算に対する歯止めはなくなりました。
日本の財政「健全」論者の中には、高橋財政の国債引き受けが後の軍国化につながったと論じる人がいますが、それは不当な濡れ衣だと考えます。
■ ギリシャの悲劇
ギリシャは1981年に欧州共同体(EC)に加盟し、ユーロを導入した結果、為替リスクがなくなって、多額の金をドイツなどから貸しこまれました。そこに、リーマンショックが襲いかかり、経済危機が発生しました。
ユーロに加盟したギリシャは金融政策つまり貨幣政策ができなくなっており、トロイカと呼ばれる3人組(IMF国際通貨基金、EU欧州委員会、ECB欧州中央銀行)から救済を受けることになります。救済といっても本当に救済されるのはギリシャのような債権国ではなく、金を貸したほうのドイツやフランスの民間銀行でした。債権団トロイカから強要された緊縮策の結果、2008年に比べて2015年までにギリシャは、1人当たり所得で実質4分の1も減少し、人々の暮らしは目に見えて悪くなりました。緊縮財政に反対するデモがアテネの広場で繰り返された一方、ナチスの流れをくむ「黄金の夜明け」という政党がついに2015年の総選挙で国会に議席を占めました。経済の危機が極右の台頭をもたらすという歴史の繰り返しです(バルファキス2019)。
2015年1月総選挙でギリシャの人々は、トロイカの緊縮策にNOをつきつけるべく、急進左派連合(シリザSyriza)政権を選びました。しかしこの政権はおよそ半年でトロイカに屈服し、財政緊縮策を受け入れていきます。
そのかんギリシャでは、通貨の切り下げで価格競争力を回復することが出来ないため、対内切り下げ(賃下げ)が行われ、賃金は4割以上も低下しました。これはあの井上準之助の金本位制復帰政策がもたらした害悪と同じようなことです。
■ マクロ経済学の最低限の基礎知識
反緊縮の経済対策は、供給側ではなく需要側を重視する経済学に基づくものです。総需要によって国民所得の水準が決まるというのがケインズの言う有効需要の原理です。重要なのは以下の数式です。
Y=C+I+G+EX-IM、
総需要=消費+設備投資+政府支出+輸出-輸入
コロナ禍の場合には、一部の医療用品などに供給側の逼迫が見られますが、基本的な問題は需要側のものです。当面は、人の移動や労働・営業が制約されるので、数十兆円規模での収入の補償が重要になります。しかし、流行が収まって経済が回復する局面に入れば、需要を増やす政策が求められます。消費税減税とか、金利を引き下げて設備投資を増やすとか、政府が公共投資を増やすとか、通貨高を是正して輸出を増やすとかの政策が必要となります。
現在、アメリカが税金を財源とせずに大規模におカネを出しているのに、日本が出し負けているので、円高が進んでいます。円高が進むと、日本の産業が空洞化してゆく一因となります。ですから、政府が国債を出して、日銀が買い入れるべき局面です。そのための財源を税金で調達することは現在も将来も必要ありません。
こんなことを言うと、財政破綻するじゃないかという人がいるでしょう。しかし、デフォルト(債務不履行)という意味での財政破綻はあり得ません。それは財務省のホームページにも書かれています(財務省2002)。日本政府(日本銀行を含む)は、通貨発行権を持つ政府なので、国債は満期が来たら通貨を作って償還するか、借り換えをすればよいのです。財政赤字でギリシャみたいに破産するぞ」という人がいたら、「通貨発行権がなくなるとギリシャみたいに破産する」って、言い直すようにお願いしてください。
なお、これは無税国家を主張しているのではありません。物価上昇に対しては警戒が必要であり、税には貨幣の価値を裏付ける機能があります。累進所得税など物価安定のための税や、環境税などは必要です。
■ おカネはどのように生まれるのか
管理通貨制度における貨幣制度の本質を理解するためには「政府」「日本銀行」「民間銀行」「民間企業・人々」の4部門のバランスシートを、複式簿記の形で把握する必要があります(図)。なお、以下では「おカネ」や「貨幣」、「通貨」などの用語は同義語として扱います(詳しくは、朴&シェイブテイル2020)。
貨幣の発行主体は、主に日本銀行と民間銀行です(財務省も硬貨を発行しますが、約5兆円と金額が少ないですし、話が複雑にならないように捨象します)。日本銀行は日銀券と日銀預け金(準備預金)を発行しますが、これがマネタリーベースを構成します。日銀の負債側に、これが記されます(2020/1/20時点で、日銀券109兆円、日銀預け金397兆円、合計506兆円)。
マネタリーベースは、いったん民間銀行が買った国債が、日本銀行に入ることによって生まれます。民間銀行から見れば、準備預金は普通預金のようなもので、国債は政府に対する定期預金のようなものです。ですから預金が通貨だというなら、国債は「通貨のようなもの」だということもできます。
他方、民間銀行はお金として使える銀行預金(預金通貨)を、貸し出しを行う時に、自分の負債として創造します(必ずしも、一般の人々から集めた預金を貸しているわけではありません)。民間に流通する日銀券と、銀行預金を合わせたものがマネーストックですが、これは「民間企業・人々」の資産側に記されます(2018年末時点で約1300兆円)。マネタリーベースとマネーストックは全く別の世界にあるもので、マネタリーベースを増やしてもマネーストックが増えるとは限りません。これは、過去7年間の日本の「量的金融緩和」の経験からも分かります。
企業や人々が預金を引き出した時に、日銀券を受け取ります。銀行は、この引き出しに応じる時に、準備預金を下ろして日銀券を手にいれるのです。また、政府が国債発行をして民間企業・人々に対して支出すると、直接にマネーストックが生まれます。それを仲介する銀行と日銀の間にはマネタリーベースが生まれます。
■ 徴税によって国債が償還されるとおカネが消える
逆に、政府が徴税をして国債を償還した場合には、民間企業や人々のマネーストックが消え、それを仲介する銀行と日銀の間のマネタリーベースも消えます。つまり、徴税で国債を返すことは、おカネを消滅させます。政府は、平常時は国債の借換えを続けないと、貨幣残高を維持できません。「国債を全部返済すべきだ」という考えは間違いです。そんなことをすると悲劇的な大デフレが起こります。
コロナ禍のもと、日本の総需要が50兆円減ると言われます(日本経済研究センター2020)。だとすれば、それ相応の政府支出が必要になりますが、その財源を税金でまかなう必要は現在も将来もありません。物価のコントロールが重要ですが、そのためには一部の物資の調達と価格を政府が周到に調整することと、累進課税を通じて貨幣を部分的に回収できるようにすることです。
<参考文献>
財務省(2002)「外国格付け会社宛意見書要旨」2002年4月30日
ブライス、マーク(2015)『緊縮策という病』(若田部昌澄監訳、田村勝省訳)NTT出版
朴勝俊&シェイブテイル(2020)『バランスシートでゼロから分かる財政破綻論の誤り』青灯社、近刊
日本経済研究センター(2020)「<動画シリーズ1>コロナ危機を恐慌にはしない GDPの需要不足、50兆円規模の恐れ」
バルファキス、ヤニス(2019)『黒い匣』(朴勝俊ほか訳)明石書店