「この国の最大の問題は"外国人優遇"ではなく"高齢者優遇"」なのか?
Twitterで意見交換させていただいたWind Villaさまへのお返事
朴勝俊
Upload 2025/7/10
イスラエルによるジェノサイドに毅然とした姿勢を示しておられる、京都のゲストハウスWind Villa様と、Twitter上で「高齢者優遇」や財政・経済に関してやりとりさせていただく機会がありました。Tweetとしては長くなりましたので、ブログ文およびPDFファイルにて公開させていただきます(Wind Villaさまご承諾済みです)。
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Wind Villaさまへのお返事
朴勝俊
2025/7/9
Wind Villaさま、お忙しいなか長文でのお返事、恐縮です。当方もどうしても長文となることは避けられませんが、発端となったWind Villa様のツイートと、それに応じた私のツイートを振り返ることから、お返事をさせていただきます。できる限り全てについてお答えをさせていただきます。もちろん、お考えを変えていただく必要はございません。
Wind Villa様の2025年7月6日のご発信 (下線部は朴による)
@WindVilla 午後8:24 · 2025年7月6日
なぜ今、"外国人優遇"がこれほど注目されているのでしょうか。
私にはこれが、選挙を前に"本当の問題"から有権者の目を逸らさせるための、与野党による壮大な"プロレス"のように見えます。
なぜなら、この国の最大の問題は"外国人優遇"ではなく、#高齢者優遇 だからです。
データを見れば明らかなように、この国の成長を阻害し、国力低下の最大の要因となっているのは、肥大化を続ける #社会保障費 です。
現在、国の予算(純計)全体の4割(国債費を除く実質的予算だと8割)が社会保障関係費に割り当てられ、その内の85%が年金・医療・介護に使われています。
しかもそれだけでは足りず、不足分を赤字国債の発行によって賄い続けています。
積み上がった国債発行額は、"インフレ"という名の実質的な増税として長期にわたって現役世代、そして、子や孫の世代へ跳ね返ってきます。
バブル崩壊後の出生率低下を見れば、こうなることは遅くとも20年前には分かっていたことでした。
本来であれば、その時点で社会保障制度の抜本的な見直しを行わなければならなかった。
しかし、与党も野党も問題を先送りし続け、ズルズルと現在に至ります。
彼らが問題を先送りにした理由は、最大票田である高齢者の負担増を公約に掲げれば 選挙に勝てない、という民主主義の仕組みによるものです。
今回の参院選でも、ほとんどの政党は本質的な議論をすることなく、「減税か、現金給付か」といった表面的な論争や、「外国人排斥」といった扇動的な主張を続けています。
これは、従来の日本型民主主義がすでに限界点・崩壊点に達しつつある兆候のように思えます。
この文章によればWind Villa様は、「この国の最大の問題」は、この国の成長が阻害されること、国力が低下することであって、その最大の要因になっているのは「肥大化を続ける社会保障費」と把握されています。ですから「社会保障制度の抜本的な見直し」によって、経済成長・国力増強ができるという主旨で論じられています。これは「高齢者の負担増」が必要のご認識ですが、おそらく、高齢者に対して行われている社会保障や医療を削減する主旨を含んでいると考えられます。そして第一文よりこの文書の全体は、日本の政治家は、外国人優遇を叩くよりも、高齢者優遇を叩け、という意味を持っています。
それに対して私自身は、日本においては実際に起こりえない財政破綻への恐れにともなう「健全財政主義」が、日本の成長阻害・国力低下の原因と考えており、むしろ社会保障(高齢者のみならず、全世代の介護・医療・子育て等)を充実させることが、GDPを増やすと意味で成長を促進させると同時に、全ての人々の暮らしのゆとりを改善することが、世代や属性を超えた人々の協力・連帯を促し、自分以外の「外国人が優遇されている」「高齢者が優遇されている」との考え方を、緩和しうるものではないかと考えています。
Wind Villa様に対する、朴勝俊による同日の引用リツイートは以下のとおりでした。私は140字以内の仕様ですので、どうしても十分で正確な伝え方になっていないと思います。
@psj95708651 午前6:51 · 2025年7月7日
高齢者優遇も存在しません。高齢者も氷河期世代も若者も、みなじわじわと貧困化していますそれは財政破綻論によって、社会の投資が削られ、消費税によって世の中のおカネが吸い上げられ、大企業や一部の富裕層だけに富が集中しているからです。向き合うべき問題は、財政破綻論の誤りです
実際には、日本は少子高齢社会になってしまい、どうしても政府の財政は高齢者の暮らしを支える部分が大きくなります(諸外国も同様と思います)。一方で、社会保障支出は、高齢者のための財・サービスの生産やケアを行う人々にとっての所得にもなりますし、当然、高齢者の支出はGDPを構成しています。とはいえ、高齢者の負担を高める方向の社会保障改革は進められている側面もあります。高齢者の医療費の自己負担は引き上げられていますし、年金も「マクロ経済スライド」という仕組みで実質的に減額される仕組みになっています。何より消費税が1989年に導入され、何段階かで増税されてきたことは、年金以外の所得のない高齢者の「負担増」になっています。Wind Villaさまが求めておられるような負担増がすでに行われていないとか、これからも行われない、ということはないと考えます。
しかし、経済の成長に関しては、消費税の増税などの負担増や給付減が、最も問題だと私は考えています。なぜならマクロ経済における総需要の抑制要因となるからです。GDP(ここでは物価要因を除いた実質GDP)は、総需要と(労働・資本・技術で決まる)供給力のうち、少ない方で決まります。
総需要=消費+設備投資+政府支出+輸出-輸入
したがって、どれだけ供給力があっても、例えば1990年頃のバブル崩壊後で設備投資の減少・停滞が続き、消費税導入・増税で消費が減少・停滞すると、ひとまず「輸出-輸入」の部分を一定として考慮外に置けば、政府支出を増やしていかなければ総需要の停滞が続くことになります。総需要が供給力を下回る状況をいわゆる「不況」と解するならば、「生産性向上」「構造改革」などの掛け声でいくら供給力を高めようとしても、総需要が停滞する限り、GDPは成長しません。もちろん高齢者の負担を求める「社会保障改革」を行ったとしても、負担が増えた高齢者の消費は増えるのですから、それが明確に下の世代への分配を増やして、下の世代の消費需要を大幅に増やす物でない限りは、日本経済の停滞は続きます。総需要が減少・停滞すれば、中・長期的にはそれに応じて供給力の方も弱体化してゆきます。
さらには、高齢者への給付やケアが削られると、子や孫が資金面でもケアでも高齢者を支え無ければならなくなるので、使える収入も、働いておカネを稼ぐ時間も減少するはずです。その方面でも、日本の供給力も需要も弱体化してゆきます。
つまり言い換えれば、総需要を増加させるような策がなければ、それに応じる生産力や生産性への投資も行われないということになります。
ですから、Wind Villaさんがおっしゃるような社会保障改革は、Wind Villaさんが意図するような成長や国力増強には繋がらないと考えられます。
Wind Villa様の2025年7月6日のご発信 (下線部は朴による)
@WindVilla 午前4:08 · 2025年7月9日
【高齢者の貧困について】
全体的に言って、高齢者は決して貧しいわけではありません。よく「高齢者の5人に1人が貧困」と言われますが、これの根拠になっている「相対的貧困率」は「可処分所得」のみによって算出されるもので、金融資産保有額などは反映されていません。[1]
仮に資産が1億円あっても、年金などの所得が127万円以下なら「貧困」になり、現金給付といった低所得者対策の対象にもなります。しかし、年齢階級別の金融資産保有額などを見れば、むしろ「高齢者はかなり裕福」というのが実態です。[2]
また、高齢者世帯は他の世帯に比べて負債額が少なく、持ち家率も8割を超えています。つまり、基本的に必要な出費や消費意欲が比較的低く、経済的に余裕はあるが消費より貯蓄に回している、というのが実態でしょう。そもそも論として、少なくとも高齢者の5人中4人が貧困ではないのであれば、その方々には現役世代と同等の負担を求めるのが、“当たり前の道理”だと思います。
もちろん、中には本当に余裕のない年金生活者もいるでしょうが、そういう方々には従来通りの社会保障給付を行えばいいだけですし、それでも不十分なら生活保護というセーフティネットもあります。
三段落目まではおっしゃるとおりだと思いますが、四段落目の「高齢者の5人中4人が貧困ではないのであれば、その方々には現役世代と同等の負担を求めるのが「当たり前の道理」というところは、そうだとも思えますし、飛躍しているようにも思います。問題とされているのは、若年世代と高齢者世代を対比して二分法的に考えるべきものではなくて、軸を二つに、四文法で考え、豊かでない人と豊かな人を比較すべきものでしょう。高齢者世代の方が、時間をかけて資産蓄積してきた人が多いので、資産でみればたくさん持っている人が多いと思いますので、そちらへの課税などは私も必要と思います。もし豊かでない人への負担を増やしたり、社会保障を削るべきだと主張なさっているなら、それとは私は違う考え方です。

Wind Villa様の2025年7月6日のご発信 (下線部は朴による)
@WindVilla 午前4:08 · 2025年7月9日
【緊縮財政について】
私は緊縮財政だけが低成長の原因ではないと考えています。というか、それ以前に今までの日本が「緊縮財政」だったとも考えておりません。口先ではPB黒字化などと言っていますが、実際のところ、日本の政府債務残高は諸外国と比較しても急速に増大しており、全く"緊縮的"ではないと思います。[3]
また、積極財政派の方々が言うように、本当に政府支出が経済成長に結びつくなら、諸外国より政府支出が増大し続けている日本はもっと成長していなければなりませんが、現実の日本はここ30年間ほとんど成長できていません。これは支出の大部分が社会保障給付に偏り、成長に結びつく分野に振り分けられていないからだと思います。
社会保障給付を減らせば高齢者の消費も多少減るでしょうが、その分を社会保険料の減額や教育・子育て支援などに充てれば、高齢者より消費性向の高い現役世代・若年層の消費増大によってカバーできると思いますし、何より世代間格差の是正になるでしょう。
Wind Villaさんは、経済が成長することを目的にされていますので、前述のように社会保障を削る方向で考えない方がよいと思います。社会保障を削った資金を、成長に結びつく分野に振り分けるということが、現在の財政過程で行われるとは考えにくいですが、それが行われて生産力が高まっても、総需要が停滞すれば経済は成長しません。つまり、財政を健全化させる努力は総需要を減退させて成長を損ないます。
ご参考まで、以下は私がIMFのデータを用いて作ったグラフですが、主要国では政府支出伸び率と名目GDP伸び率がほぼ同じ率になります(年平均伸び率です)。日本の政府支出(横軸)は2000年以降で見れば、先進国で最も伸びておらず、その結果として名目GDP(左図縦軸)の伸び率は最低となっています。物価上昇ぶんを差し引いた実質GDPの伸びでも、相関は弱くなりますが似たような図になります。
以下の図に関しては「相関関係がある」ことだけでなく、「因果関係の向き」が問題になることがあります。「経済成長するから政府支出が増やせるのではないか?」という批判です。これについては、私自身、統計学的な分析を行って、平成時代の日本では政府支出の変化が経済成長に先行していた可能性が高いことを明らかにしました。

朴勝俊(2022)「タマゴが先かニワトリが先か? 政府支出とGDPのグレンジャー因果性に関する検討」https://economicpolicy.jp/wp-content/uploads/2022/06/report-017.pdf
Wind Villa様の2025年7月6日のご発信 (下線部は朴による)
@WindVilla 午前4:08 · 2025年7月9日
【財政健全化について】
「健全な財政」の意義というのは、バランスシートで論じるものではなく、諸外国の財政との比較において論じられるべきものだと思います。
すでにGDP比240%という莫大な債務を抱えている日本が財政健全化の意思を放棄し、新規国債発行を拡大する姿勢を見せれば、円の国際的な信頼が決定的に崩れるのは時間の問題でしょう。このように量的緩和は諸刃の剣なので、欧米諸国なども、リーマンショックやパンデミックといった非常事態を乗り切るための時限的な措置として行っています。
また、需要創出のために通貨供給量を増やしても、インフレによって名目GDP・名目賃金が水増しされるだけなので、それ自体は経済成長とは呼べません。逆に実質賃金の低下と物価上昇によって、生活はむしろ苦しくなる可能性が高いと思います。[4]
政府債務対GDP比は、日本のような通貨主権を持つ国々にとっては、財政健全性の指標として意味のあるものではありません。日本の財政の信頼性としてもっとも重要なのは、私は国債の金利だと考えています。実際に国債を買って政府におカネを貸す人々(主に金融機関)が満足する利子率は、どれだけ財政破綻の可能性が低いか、インフレの可能性が低いか、という指標になっています。こちらは私自身がOECDのデータを使って、政府債務対GDP比(横軸)と長期金利(縦軸)の関係を見たところ、相関係数はゼロでした(ユーロ加盟国では弱い正の相関がみられましたが、ユーロ加盟国は通貨主権を持たないので、そういうこともあるかもしれません)。

債務対GDP以外でみれば、日本の財政に関する主な指標はG7の中でも特に良好です。当然、ギリシャより良好です。

債務対GDP比が増えることが、円の国際的な信頼を損なうのなら、お示しいただいた図のように1990年以降は、日本の債務対GDP比が急激に高まり、高い水準を維持しているのですから、もっと早い時期に、円の信頼がなくなり、円安になってもよかったでしょう。
また、コロナ禍以後は米国が巨額の積極財政をしたので、ドル安が進んでもよかったでしょう。実際には、米国FRBは経済回復と並行して起こった物価上昇を抑制するために、急激に金利を引き上げました。日本は利上げすべき経済状況ではなかったので、日本銀行が金利を維持した結果、米日金利差が開きました。最近の急激な円安はかなりの部分、この理論で説明できると思います。
Wind Villa様は「需要創出のために通貨供給量を増やしても、インフレによって名目GDP・名目賃金が水増しされるだけなので、それ自体は経済成長とは呼べません。逆に実質賃金の低下と物価上昇によって、生活はむしろ苦しくなる可能性が高いと思います」とおっしゃいますが、実際には先の図で見たとおり、政府支出を増加させている国ほど、実質でも成長率が高くなっています。つまり政府支出の伸びは、実質で、モノやサービスの需要を増やし、それに対する生産を呼び起こし、その副作用としていくぶんの物価上昇が起こっているわけです。
実質賃金の低下についてもご指摘いただきましたので、別のグラフを示させていただきます。割と面白いグラフだと、私は思います。何を意味しているかは、ここまで読んでいただいたなら、キャプションを見ればご理解いただけると思います。

Wind Villa様の2025年7月6日のご発信 (下線部は朴による)
@WindVilla 午前4:08 · 2025年7月9日
【財政出動について】
積極財政派は需給ギャップだけ見て「デフレだ、需要創出だ、通貨供給だ」と言いますが、実際の今の状況は"インフレ進行中"なので、この状況でそれをやればインフレの火に油を注ぐことになると思います。
なので、財政出動をするなら財源は国債発行以外に見つけなければならず、それには莫大な支出を続けながらも、これまでずっと“聖域”となっていた社会保障制度の抜本的な見直しが、政策的には最も合理的な選択だと思います。
その上で、削った分を生産性向上のための投資に振り分け、サステナブルな成長の道筋を作り、国民の将来に対する不安を軽減し、消費意欲を復活させるのが、中長期的に最も有効なデフレ対策だと考えます。
積極財政派は、物価上昇率の推移そのものだけでなく、需給ギャップをも参考にしています。内閣府GDPギャップはゼロ%が上限ではありません。2008年ごろはもっと高く2%程度に達していたことがあり、1990年ごろには4%に達していたものが、現在ではゼロ近辺です。これは需給ギャップが上限に達していないということです。

したがって、現在の物価上昇は、需要が旺盛でないにも関わらず、輸入エネルギー価格高騰や円安によって起こったものと言えます(デマンドプル・インフレではなく、コストプッシュ・インフレだ、と言われます)。ここでは示しませんが、産業連関分析を用いた私どもの計算では、輸入資源高と円安による輸入価格上昇分が、すべて生産物の価格に転嫁されていれば、10%をはるかに超える物価上昇が起こっていたと考えられます。実際の物価高が4%程度にとどまっているのは、全般的にみれば、企業も労働者も、値上げを我慢してきた結果だと言えると思います。
このような状況では、消費税の減税や給付金で人々の暮らしを支えるのが正解だ、と指摘するエコノミストは少なくありません。
コストプッシュ・インフレの場合には、輸入資源価格の上昇や、円安がいつまでも続かない限り、つまりこれらが落ち着くと、物価上昇圧力が収まることになります(その意味では、おさまってきていると考えられます)。
賃金主導のデマンドプル・インフレの場合には、物価上昇は、賃金上昇と交互に起こります。物価上昇に油が注がれることになるとしたら、労働者側が激しい賃上げ要求をして、賃上げを勝ち取り、企業がそれを価格に転嫁する、というサイクルが回る必要があります。つまり、そこで物価上昇が起こる場合には、賃金が上がって、働く人々が豊かになった結果として、価格の上昇が起こる、ということになるでしょう。
最後に、「不安を軽減し、消費意欲を復活させるのが、中長期的に最も有効なデフレ対策」と結んでおられますが、やはり社会保障を削ることは、不安を増幅することになり、だれもがもっと老後に備えて消費をへらし貯蓄をせねばならなくなるわけですから、消費を落ち込ませることになり、私自身はデフレ対策というより、デフレ促進策と思われます。
以上、最後まで読んでくださってありがとうございました。